書く、ということについて

育児の息抜きに育児書を読んだりするから
ああこれが「息抜きが下手」ということか、と思い知らされるな


先日、ムスメちゃんが入院した際
(おかげさまでまだ薬は飲んでいますが すっかり元気です💓)
母子同伴だったのですが
突然ゆえ時間を持て余しすぎて
Instagramにて質問を募集したのですが、
「ブログが大好きでした!」
「またブログ始めないんですか!」
というお答えが多くてびっくりしました。

書く、という行為について
私なりに最近思ってることを
(本当に)とりとめはないですがまとめておきます✍️


と、その前に
特に好きでしたと人気の高かった
エロいはなしのやつ、置いておきますね
これでいつでも読み返せるよヤッタネ✌️

「これはゆってもいいのかだめなもの」

描写がとても下手で
よくわかんないんですけど?っていう日本語も多いけれど
あえてすべて当時のままにしています。
2013/02/24 2:16ですって、6年前…
結婚1年目とかで初々しいねヒュウ

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みなさんが好き!とおっしゃってくださっているブログは
2012~2017頃までやっていたものを
指していると思うのですが、
そのブログは自分の中でどうしても
きちんと「見せる」ために考えた
おもちゃ紹介やShopの更新などの「外の顔」と、
どうしようもなく自分のためだけの
悩みだとか考え方や思いついたこと、
メモもろもろみたいな「内の顔」とがごっちゃになっていて、
ソレデイインカイナ…というもやもやが常にあった(ある)のですけど。
ま〜それでいいのか?全部ひっくるめておんなじ私ではあるしね…
と思ったり思わなかったりしています、

弾けきれない、まじめなところ
のまさにその中間を走ってる感じ
伊集院さんの今週のラジオ
同じようなお話をされていたので
ちゃんと始めから聞かないと多分わかんないんですけど一部抜粋します、

“自分のことを楽しみにしてくれているはずだ、と思ってるから
大事なことは返さなきゃなんないと。
でも心の中でずっと「この番組はradikoの普及のための番組だよね?」っていう。
「普及に関わる方向に戻さないとダメなんじゃない?」
っていうエンジンが俺にはずっと働き続けるわけ。

ゆっている自分の誇らしさと快感と、
ん?この感じでこの番組でいいのか?っていうことと
全部頭の中にあるわけ。

結果、ラジオ自体をその時にいっぱい来るメールは
「面白いですね!」って言ってくれるけど、
「面白いこと」と「radikoの普及」と正直関係ない番組になってる。
だってその、今までのみんなの立ち位置がわからないと何にもわからない話、
だけど貴重な生のスラッシュ感のあるめちゃめちゃな話を
ずっとしてるっていうこの変な現状じゃんか。
そこに太田光はどんどんドライブかかってくるじゃん。
そのときに思う俺のいろんな感情の中に
"劣等感"っていうのがあって。
これを戻そうとするギアがずっと掛かり続けているオレのダメさっていう…
この、ダメという言葉の難しさなんだけど、
俺のさっき言うところの、
「お前、だから売れねえんだよ」っていう。
その、1ポンドステーキをフルで頼むこともできず、
顔色に気を使い続けることもできない…

太田光は当たり前のことだけど、
「ラジオが面白いこと優先に決まってんじゃん」っていうことじゃん、
でも俺は昼のラジオではそうならない。
自分の中で、このルールとこの基本概念の中で
フルに面白くしていこう、っていう企画じゃん?っていう、
もうその「館内の公務員としての資質」…!”


(伊集院さんのラジオ、2人目出産の際
陣痛時に好きなCDやDVDを持ってきてもいいですよーと言われていたので
3週分聞かずにとっておいたのを用意していたくらいこじらせています笑
ほんとうにだいすき😂💓)


私はブログに限らず、自分のイラストに対しても同じで
デッサンを習っていない、というのがコンプレックスにありすぎて
好きです!と言われても、
こんな適当な薄っぺらいのを好きになっちゃダメですよ、
と思っていたのが数年前からようやく、
好きです!に対しての返す返事が
素直に「ありがとう」に変わるくらいには
受け入れられつつあります、
好きっていってくださる方に、私はそうでもないですと言うよりは
私も好きです!って受け入れている方がお互いによいなと思って、、

ブログに対してはまだ
きちんとしなきゃ7(あくまで人が見る・読むものなのだから)
これでいいのよ3(ブログで好きなこと書けなかったらおしまいだ)
くらいで、まったく吹っ切れきれてないですが
でもこれも、今回の質問箱でいただいたみたいに
たくさんの「好き」をもらえるようになったら変わっていけるのかな

好き=認めてもらえることは
何よりもの「それでいい」「そのままでよい」ための自信になるので
(かといって10割全員に好かれることなんて無理なんですけど)

「何かを作る、発信する側の人間は作品はもちろん
人そのものが魅力的でないと誰もついてこない」
というのは常に思っていることだけど
「インターネットの悪い部分」のほうがまさってて
何も気にしないほど強くはないのだよな


……はー、ほんっとめんどくっさいことバカ真面目に考えてんなあお前!!
書きたいときに書きゃあいいんだよ書きたい言葉で!!!!!
それがおもしろいんじゃんか!!!ってことがわかってるはずだお前は!!!
ってセリフもすごくきこえるな〜〜〜〜〜〜〜笑

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そうそれで(戻る)
そのどっちつかずにウンザリしていたのもしかり、
根本的に母になってからは時間がなく
ブログを書く行為(言葉で紡ぐこと)、がぐんと減ったけれど
たま〜に夜のドライブとか、
普段行ったことないところにひとりで行った時など
心が何か感じた時には急いでメモにとめたりしていて。
そうでないとなんだか感情をうまく表現する「仕方」みたいなのを忘れちゃいそうで必死に繋ぎ止めている。
この「繫ぎ止める」という言葉がいちばんしっくりきてしまうのが切ない、
でも、これはなんにでも共通していることで
していないと そばにいいないと
忘れるから、人は、すぐに


そしてその母になってから、というのにまた戻るのですが(でもちょっと話は逸れます)
橋本治さんの『「わからない」という方法』という本のこちら



「若いときの記憶」だけを頼りにしてうっかり生きてしまう、
「自分の心の名作」にしてしまう、
というのがそのとおりすぎて衝撃を受けた。

音楽や映画をはじめとする娯楽や流行り、
もうずっと新しい感覚についていってなくて、
昔から聴いているアルバムを何度も流しているから
これでいいのか!?って思っている。
かつ、YouTubeでは気軽に、すぐ
カフェミュージックや民族音楽などの素敵なBGMを
手に入れられるからよく利用してしまうけれど、
その「どこぞの誰が作ったかもわからない何時間も流れるそれっぽいもの」は、
はて良い影響を与えてくれるのか、それから「衝撃」を受けることはないのでは…?
と思ったりもしている。

でもそうチラついているくせに私たちは全てを時間のせいにして目をつぶるんだ


昔の感動で生きてる、と言ったけど例えばあれだ、
キリンジの新曲が出たところで
drifterや耳をうずめてを越えることはないのだ、と
心の中で決めてしまっているのを
先日市役所で灰色の空の下、すべてのタスクをこなした
(書類を提出し傘を返し手紙もポストに投函した)とき
男の子と女の子を口ずさんでしまったときにすごくストンと腑に落ちた
すごいねわたし、男の子と女の子だいすきじゃん
そういうことだよ

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普段、人と会う時
自分のことを聞かれたら答えるけれど
自らわざわざ話さないのは
自分のことが好きじゃないことと
他人は自分などに興味を持っていない、と思っているからだし、
そもそも相手の話を聞いたり相手のことを知る方が
世界が広がってよっぽど好きだったんだけど、
あまりにもそのテイでいすぎたせいか
大人になるとすぐに月日が流れてしまうから
気がついたらこれもまたどんどん
「話さない」のではなく「話せなく」なっていて
危うく自分がどういう人間か、を
説明することができなくなってしまいそうだった、

そんな自分だから記すことが意味を持つのかな
重要で繋ぎ止めておきたいものなのかなと思ったりしました

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そのInstagramの質問に対し
まだ返せていなかったものに答えるはずが
毎度おなじみ、長くなっちゃったので
次回に切り分けます😂

(この、コンパクトにまとめられないのはもうどうしよもないなとおもってる、
長くてもいいでしょう楽しいよねあははって言えるようになったら
それは変われているしるしです)