日記 diary

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"夢のような、唇をすり抜けるくすぐったい言葉の、たとえ全てがウソであってもそれでいいと"だし
"分かち合うも物は何もないけど、恋のよろこびにあふれてる"だとおもう、

これらは"心は通わない、でも温もりだけならある"と仲良くなれるはず



この言葉(銀色夏生という作家のものらしい、あってる?)、まだ青い年齢のころに出会ってずうっと心にストックはされていて、
「まあ結婚となるとそういうわけにいかないんですけどね…」とゆ、あまりにも現実的な返しをしたくなっては、ハ〜〜おまえってやつは!とため息混じりのやりとりを脳内で繰り広げるのが常だったのですけど、
青から紅になりつつあるいま、またちょっと理解ってきたような気がするというか、これにしか救われない関係もあるのだなと思うなどしています
どうしたどうした

もはや長いといわれている人生のなかでも、そうそうない出来事とそれによっておこる感情や自分の気持ちが、
いま!いま記しておかないと意図もたやすく流されていってしまうことなんてわかっているのに、
あまりにも「言葉にしておく」ことをほうっておきすぎたらしくって、うまく笑わせることも泣かせることもできない
でもなるほど、人ってゆうのはこういうときにラブソングを作って歌うものなのかもと、発見、感心、納得したりしているんです、

だれかのおすすめにばかり触れていたら自分で選ぶことを忘れてしまいそうだ
ほんとにみんなどこにいっちゃったんだろうねえ
もうちょっとわーいってしっかり口に出したり手をひろげて跳ねてよろこんだりしていきたい
甘やかしてくれるわけでもないのがきっとちょうどいいと知ったところかもしれない
好きな人のすべてを好きになるのはただの崇拝だから、ここはどうかとおもうっていうところも含めて「許す」ということこそが「好きということ」なのかもしれない
否定語をつかわない練習がうまくいきません


「プリンあるよ、でもさっそくみんなで食べたい」←さっそくとせっかくをまちがえてる5歳児、とてもいい

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🪦

焼却された骨は、赤や緑を帯びているということがわかったことがおもしろかった
骨を砕く音ってそれでしか出せない(まちがいようのない)不思議な響きをもっているよね
死んだらどうなりたいか、むずかしいな
父は空から灰を撒いてくれ、母は樹木葬がいいとゆう
死んでもなおどうにかなりたいと願うのか、おこがましいな

わたしが希望を挙げるならば、告別式では棺桶内にマシュマロを敷き詰めてほしいのだけれど(しきつめるのではなくそのとおり「敷き詰めて」)火葬場の張り紙を見るかぎり、どうやらきっとダメらしいとわかり少し悲しくなる、
「最後くらいわがままな夢を見させて」くれはしないっぽい、これは「一生のお願い」が許される世界線でも叶わないのかな

食堂のカツカレーはスキー場のそれと一緒だったし、売店は海沿いのさびれたホテルのままでした


自分がいなくなったあとに、まだ使えるあれやこんなものを
(目に見えて金目のものだとしても)孫たちがもらいにくるって、人生の終わり方として完璧な気がしたよ
いままでは自分のお葬式ではこう、しっとりとした曲を流してほしかったけれど(とりあえずキリンジの『耳をうずめて』か、片思いの『躍る理由』がいいです、蓮沼執太の『Juxtaposition with Tokyo』もいい)(とりあえずの範疇じゃない)
どうも次に続くような曲もいいなあとおもうようになってきたのが少しおもしろい、マリオワールドのオープニングとかさ

おそらくわたしの死ぬころにはお葬式そのものの存在が危うくなっているはずなので、安心していつまでも迷おうとおもう

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💭

性癖のハテナ?なはなしをひとつさせてもらいたい

あくまでフィクションや創作の上での話ですけど、エロにおいてわたしは「いちゃラブ」な「ジャンル(関係?行為?)」がすきで、逆に「公共のトイレ」でしている「シチュエーション(場所?)」はとても苦手なのですけど、
この場合は

「NTR(苦手なジャンル)でもいいので、ちゃんと部屋で(ふつうor理想的なシチュ)がいいです…」

ってなりますか、それとも

「いちゃラブ(好きなジャンル)なら、シチュエーションがいやだぁぁあこんなのぉぉってものでも、まあしょうがないです…」

ってなるものですか?

みんなはどっちかなあ、わたしはこれどちらの答えも出ないんですけど(うんち味のカレーとカレー味のうんちみがある)
恋だの愛だの性だのの力関係のトップは、いったいどこなのでしょう?

ということを「一般的にはこっちの結果らしいです」といってもよいくらいの人数に尋ねてまわりたい
やめとけなんですけど、きっと

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✍🏻

カサンドラ症候群 - アスペルガー症候群の夫やパートナーへの報われない支援の日々から精神的苦痛が大きくなり、本人自体が心身ともに健康でいられなくなってしまう状態。

ウェルテル効果 - マスメディアの報道に影響されて自殺が増える事象。

フレーメン反応 - 臭いに反応して唇を引きあげる生理現象。これわたしウマのイメージなのだけどネコに多いぽい(哺乳類に起こる)。

プロスペクト理論 - 「人間は合理的な判断ができない」マーケティングやビジネスに応用される(宝くじがそれ)。

リミッティング・ビリーフ - 物事の捉え方をネガティブに傾ける思い込み・固定概念。思考や感情に否定的に作用することで心にブレーキをかけている。

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フェティッシュ - フェチにおける対象物のこと(無生物に限る)。

クレプトマニア - 窃盗症

ウェリーズ(Wellies) - イギリスではゴム長靴のことを通称こう呼ぶ、「今日は、ウェリーズを買いに、どこそこへ行く予定なの」なんて具合に。

パチュリ(パチョリ) - エキゾチックでスモーキーさがあり、土を想起させる香り。「縁側下の土」「湿った土」「墨汁」「梅雨のときの押入れ」などと例えられる(はたしてそれがいい香りなのか?)。

スージークーパー - 英国のアンティーク食器(ウェッジウッドのような)

シャルトリュー - 灰色に黄色のおめめのネコの品種

パーコレーター - コーヒーを淹れるこれ

シュニッテン - 「切ったお菓子」(そのとおりドイツ語)

ホカンス - ホテルでの滞在そのものを目的とした休暇の過ごし方で、ホテルとバカンスを組み合わせた造語。

ヨウルトントゥ - フィンランド語で小人や妖精の意味🇫🇮森の中や人の家に住みつき、人が楽しく暮らせるよう火事や病気から守ってくれる。

エイアハオピハ(働くなかれ) - ゴーギャンの絵

フライアッシュ - 石炭火力発電所で微粉炭を燃焼した際に発生する石炭灰のうち、集塵器で採取された灰のこと。高速道路を走るタンクローリーが運んでいるのはたまにこれ。

チトマスステレオテスト - 立体視の検査(なんでハエの絵チョイスした?)

クバクロス(草ビロード) - アフリカのコンゴ共和国のクバ族で、ラフィアというヤシ科の植物の葉を編んで作られる布。

ベルナシオン - おいしいチョコレートブランド(フランス)

ハシバミ色 - わたしの兄の目の色、ハシバミは「榛」と書く。

エスプリの効いた - 人の言動に知的な面白みがあるさま。ユーモラスな、ユーモアのある(ウィットに富んだは🇫🇷、エスプリは🇮🇹)

ステ振り - 「ステータスにポイントを振り分ける」の略

ツメのさきっちょだけラメしたときにカクテルみたいだなーと思ったもの - スノースタイル

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ardor - 情熱、熱意、熱心

三助(さんすけ) - 江戸時代中頃から現代における日本の銭湯で働いていた男性労働者。

息災(そくさい) - 災いをとどめる。健康なこと。達者。無事。(「無病―」はわかるけど単体で使うことあるのかな)

家督(かとく) - 中世、一門、一族の首長のこと。家を継ぐべき子。

老獪(ろうかい) - 経験をつんでいて悪賢いこと。

嘆息・歎息(たんそく) - なげいてため息をつくこと。非常になげくこと。

形骸化(けいがいか) - 何らかの決まりごとを作った後、本来の目的が見失われてただルールを維持することが目的になってしまうような状態。

健啖家(けんたんか) - 食欲の旺盛な人。大食漢。

艶然(えんぜん) - にっこりほほえむさま。 美人が笑うさま。(読み方/嫣然とも書く、こっちなら読める)

斥候(せっこう) - 敵軍の動静・地形などをひそかに探り監視するために、部隊から差し向ける(少数の)兵。

逡巡(しゅんじゅん) - 決断できないで、ぐずぐずすること。しりごみ。ためらい。

蹲踞(そんきょ) - 体を丸くしてしゃがむ、または膝を折り立てて腰を落とした立膝をつく座法。

船場吉兆(せんばきっちょう) - ささやき女将/食品偽装事件、2007年

慧可断臂(えかだんぴ) - 非常に強い決意のほどを示すこと。また、切なる求道の思いを示すこと。だるまのモデル

守破離(しゅはり) - 芸道における修行の過程を説明するときに用いる。「守」とは師の教えを忠実に守ること(基本)「破」とは自分で考え工夫すること(自立)「離」とは独自の新しい世界を確立すること(創造)

身体髪膚(しんたいはっぷ)これを父母に受く、あえて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり - 親からもらった肉体を傷つけるべからず、元は中国の考え?整形やタトゥーが避けられるゆえん?

収斂(しゅうれん) - ひとつにまとめる。読み方

敬虔(けいけん) - 深く敬って態度をつつしむさま。読み方

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鉄槌を下す(てっついをくだす) - きびしく処罰・処置する。きびしい制裁を与える(「制裁を課す」と一緒でいいよね?)。

無用の用(むようのよう) - 一見意味がないように感じるものが、実は重要な役割を担っている。

鬼籍に入る(きせきにいる) - 死亡する(死んで鬼籍に名を記入される)。

悄気る(しょげる) - 読み方

蕩けた(とろけた) - 読み方、ぜんぜん字面がとろけてない!

お耽美(おたんび). - 美を最も価値のあるものと考え、美を求め、熱中すること(おそらくもうちょっとスラング的言い方があるような気がする)。

差しつ差されつ - 酒をついだりつがれたりして、仲良く、また盛んに杯のやりとりをするようす。

気骨(きこつ)のある女性 - 自分が正しいと信じていることは、どんな障害にも屈服しないで貫き通そうとする強い心。(平塚らいてう)

口さがない(くちさがない) - 他人のことについて、無節操に口悪く言いふらす傾向。批評がましく口うるさい。

干戈を動かす(かんかをうごかす) - 戦争を始める。

立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花 - 美人の魅力的な姿を表現する言葉。立っても座っても歩いてもその姿が美しい様子。

及的速やかに - できるかぎりはやく。(さも当たり前のように使いたい)

雉(キジ)を撃ちにいく - 男性が山中の屋外で排泄すること。大便を大雉、小便を小雉と言ったりするなど(女性の排泄は「お花摘み」)

女だてらに - 女性に似つかわしくないことをするさま。 女性らしくないさま。

あなや - 強い驚きのことば。あれえっ。ああ〜。

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菱マンガン鉱(りょうまんがんこう) - 赤い宝石

のし泳ぎ - いわゆる「よこ泳ぎ」

巣ごもり卵 - これ

ザゼムのジェリーキャンディ - かわいいリップクリーム(こういうのにいつまでもよわい)

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🇹🇭タイ語

マイペンライ - 大丈夫、気にしないで、どうってことない、なんとかなる(どんまいとイコールでいいの?)
チャイヨー - やった〜!ばんざい!
スッヨート(スットヨート) - すごい!最高!
タイレーオ - しまった、オーマイガー
マットヨムトン - 中学生
ノックガーワオ(ノックガウワウ) - めためたうるさくなく鳥

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🎥見たい映画

『アデル、ブルーは熱い色』2013/フランス
『ペルセポリス』2007/フランス(アニメ)
『そして人生はつづく』1991/イラン映画(イラン地震のドキュメンタリー)
『オリーブ林をぬけて』1994/上の続編(三部作)

映画とゆえば、第2回大島渚賞の
映画監督:黒沢清さんのコメントに胸を打たれました↓(՞ ܸ. .ܸ ՞)"

"「いろいろあったけど、よかったよかった」となる映画が多すぎる。
本当にいろいろあったなら、人は取り返しのつかない深手を負い、社会は急いでそれをあってはならないものとして葬り去ろうとするだろう。
人と社会との間に一瞬走った亀裂を、絶対に後戻りさせてはならない。あなたがささやかに打ち込んだクサビは、案外強力なのだ。
よかったよかったと辻褄を合わせる必要なんかどこにもない。
「たかが映画だろう」と周りは言うかもしれない。
しかし映画とは何だ?ぼんやりとみなが想像するものだけが映画ではない。
表現の極北から見出される鋭い刃物のようなクサビで、人と社会とを永遠に分断させよう。これら二つが美しく共存するというのはまったくの欺瞞だ。
このような映画製作に挑む若者を探している。それは大島渚が切り開いた道であり、決して閉ざしてはならないと思うから。"


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📚読みたい本

『白い手』椎名 誠
『精神科医の本音』益田 裕介
『心の傷を癒すということ』安 克昌
『レベッカ』ダフニ・デュ・モーリエ
『嵐が丘』エミリー・ブロンデ
『MAPS』アレクサンドラ・ミジェリンスカ&ダニエル・ミジェリンスキ(地図の絵本、わかりやすいらしいとても)

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📚読んだ本

3ヶ月分?なのでまあまあ多いの(どんなに忙しくても読むことははずせない楽しさだ)
このところは1冊あたまからおしりまでぜんぶ!の長編ではなく、多くても5ページくらいにまとめらた短編を集めた1冊!ばかり好んでしまうよ(まとまった時間をとるのはむずかしい&どっぷり浸かると現実への切り替えが大変になる)
前者のほうが今後の人生においても血肉として働いている気がするのですけど、まあそりゃあかけた時間(と集中力?)が同じ厚みといえど違うからね?っていわれたらそうなのだけど、これって「菓子パンで済ませたお昼だとわりとすぐお腹が空いちゃうけど、カフェでランチした日って夕方おそくになってもぜんぜんまだ大丈夫だよね〜」と似ていませんか

まとめ方は自分にわかればいいや式でまあまあ雑です、いつもに比べるとね?

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『テヘランのすてきな女』金井真紀

ハンマーム - アラビア語で「熱い空気や場を供する場所(公衆浴場のこと)」日本、韓国、ジョージアの温泉は全裸
鯵ヶ沢(あじがさわ) - 青森県の相撲どころ
ハムジェンスバーズ - 英語のスラング「ファゴット」のような、同性愛者を揶揄するひどい言葉
クルド人 - 国をもたない世界最大の民族

・イランは世界一性転換手術が多い、理由は同性愛は死刑だから、好きな人と一緒にいたい場合は手術するしかない。

マーシャアッラー
神に恵まれし者
=グッドラック(ご武運を、門出)

バリキャアッラー
神様の祝福がありますように
=よくできました(はなまる💯)

エンシャアッラー
神様の思し召しのままに
=今度メシでも(いつかまた、社交辞令)

"無謀なエピソードは自分も他人も勇敢にする。"

"イラン、トルクメニスタン、カザフスタン、ロシア、アゼルバイジャンの5ヶ国にまたがるバカでかい水たまりの底には大量の石油と天然ガスが埋まっている。ここが「湖」と定義されれば地下資源は5ヶ国の共同管理となる。もし「海」ならば、海岸線の長さに応じて領海と経済的排他水域が設定され、地下資源の取り分が確定する。そうなると海岸線が短いイランは不利だ。だからイラン政府は古くからの呼称はいったん忘れて)「ここは湖でしょ」と強く主張してきた。旧ソ連勢はもちろん「いや、ここは海だよ」と言い張る。何度も5ヶ国で会議を重ねて、2018年に「海とも湖とも定義せず」という玉虫色の決着を見たという。海でも湖でもない? じゃあ、いったいなんなんだ・・・・・・。"
↑「カスピ海」がまさかこんなやんわりとした存在だったなんて…🌊ヨーグルト

"イランから国外に移住した人の数は公表されていない。しかし、ものすごい数だということは想像できる。わたしが知り合ったイラン人はほぼ全員が、国外に住んでいる親族がいると言ったのだ。
通訳のメフディーさんに言わせると「日本の場合、国民が働いて納税して国が運営されているから、国民の数が減ったら政府は困るでしょ。でもイランでは石油が採れますから。労働力が減っても国は困らない。むしろ少ない人間で資源が独占できていいって政府の人は考えているかもしれない」とか。ほわー、なんだそりゃ。有能な人材を大事にしようとか、みんなで力を合わせて国をよくしていこうって気配がぜんぜんない。そんな政府に失望して、さらに人は出ていく。もう何十年もその繰り返しだ。


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『旅ドロップ』江國香織

「コーヒータイム」と「はみだす空気」いう話がすばらしいのでぜひそのふたつだけでも!イタリアンモーメント!☕️
「濡れそぼっていた」という表現がすてきでした、ラガーディアはラグアディアと発音した方がタクシー運転手に通じやすいそう

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野良犬の話で、

"道の端によける。 飼い犬に吠え立てられれば、それがどんなに小さな(おまけに生意気な) 犬で、自分がどんなに大きな犬でも身を小さくしてひきさがる。万が一にも飼い犬に怪我でもさせたらどんな目に遭うかわかっているのだ。いかんともし難いことながら、それは切ない光景だった。私はのら犬たちをほめたたえたかった。みんな立派で気高いと言いたかった。無事に生き抜いてほしいと願うしかなかった。"

という文があったのですけど、
先ほどの『テヘランのすてきな女』の中にあった

"「でも息子には、学校の友だちに訊かれたら「両親はマシュハド(イラン北東部の都市)出身」と言いなさいって伝えてあるの。アフガニスタンと言えば、いじめられるかもしれないから」という話が切なかった。「イラン人とは絶対に喧嘩しないの。なにを言われても「はい、わかりました」って引き下がります。イラン人とアフガニスタン人が揉め事を起こしたら、必ずわたしたちのせいにされるから」
そんな…。それはかつて在日コリアンのハルモニ(おばあさん)から聞いた話とまるで同じだった。子どもたちに、「日本人と喧嘩してはいけないよ、なにかあったらすぐ朝鮮人のせいにされるから気をつけなさい」と教えなければいけなかったハルモニ。その皺だらけの手がキムチを漬けるシーンと、ラーイェゲさんがピクルスを漬けるシーンがオーバーラップする。"


という文とが、わたしの中ではオーバーラップだったんですけど、というメモ

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『とるにたらないものもの』江國香織

なんにも考えないとつい江國さんを手にとってしまうな…(上質で着心地の良い服を着ているような気持ちを約束されているから)
こちらでは「ケーキ」が好きでした
焼き鳥屋を「会社につとめていることが通行手形である場所のような気もしていた」とゆってたの、とってもよいな

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"かなしいものの一つに、だからのびたり干からびたりした輪ゴムがある。あれは実にわびしいが、それでさえも、仕事をしきって一生をまっとうした、というような、職人めいた潔さがあってちょっとほれぼれする。私はいまでも台所でそういうゴムの屍をみると敬虔な気持ちになる。"

"持つより持たない方が楽だ、と、ある日ふいに気がついた。すべてを持つことはできないのだから、比較的いろいろ持っている、と思うより、何も持たなくていい、と思う方がずっと安心ではないか。財布と家の鍵さえあれば大丈夫。そこに口紅と文庫本があれば完璧。
どうしても必要なものはその場所で探せばいいのだ。全然どうってことはない。小さな鞄一つでどこにでもいかれる、と、思う。 ほんとうに、すごく楽になった。"

↑「財布と家の鍵」という、皆が「持つべきもの」として挙げるものに足すのが「口紅と文庫本」である女性になりたい(わたしは「美しいとおもう女性は?」と尋ねられたら真っ先に江國さんの名前を挙げます💄)

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『安全な妄想』長嶋有

長嶋さん、好きな作家として挙げるくらいには好きなのですけどエッセイは初めてだったの、
作品から女性だと思われることも多いみたいだけれど、今作で「ああこの人はまごうことなき男性だ!」とおもった(このくくりはとてもひどいとわかった上で)
なんだもうおもしろいね話がほんとうにお上手ですってゆうのと、しょうもないねアハハってゆうのが上手に入り混じっているところあたりがそうなんだよ、

絶交のはなしが許す許さないの話に似ている、自分の中でもうちょっと噛みくだきたいな
言いまちがいのはなしももう何回でも読みたい愛しさがあった

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"いつからだろうか。小説家は、小説しか書けない人がなるものになった(父は「深沢七郎あたりから」といってるが、どうだろうな)。"
↑わたしはこうゆうのがあると「ふーん、深沢七郎さん今度読んでみよう」となる単純さをもっている

"一頃、ハンバーガー屋のノベルティで同じサイズの本物の人形をいくつもみたが、もちろん「そんなもの」はスルーだ。
「ス○ーピーの偽物? そんなの香港あたりにいけばいくらでも売ってる」といわれるが、それはいわゆるコピー品で、本物と同じ造形だからつまらない(コレクションは、それが進むごとに流儀や美学が発生するものだ)。昨年みつけたビニールの指人形も、本物にはあり得ない、いい加減な造形だからこそ、コレクションに加わった。生涯であと何個、加わるのだろうか。そして同好の士と醍醐味を分かち合える日なんて、くるのだろうか。"


"あぁ、幕下の相撲だなぁ。しばらく眺め、チャンネルを変える。 熱帯魚の水槽や外国の動物園の白クマのネット映像をたまに眺めることの安心に、これは似ている。"
↑幕下と熱帯魚がつながることがあるんだ、この世に…

"あらゆる骨董店が集まったクリニャンクールというところに連れて行かれて、どの骨董店も、その場所の全体も「よかった」。
でも、「よかった」という気持ちとは別に、覚えているのは蛸足配線。外国の人もやるんだな、蛸足配線を。そのための「タップ」も売られているんだ。当たり前のことのようだが、みたことはなかった。"

↑海外旅行の感想として持ち得ていたい感性

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『谷川俊太郎質問箱』谷川俊太郎

"優しくすることの基本は、できるだけそばにいてあげることです。
優しくするのがコッパズかしいという感性は大切だと思います。"


"自信って自分ひとりでもてるものじゃなくて、他人がもたせてくれるもんですよね。"

"谷川さんが、この「質問箱」を「ほぼ日」で始めるときに、愚問も受けつけます、とおっしゃったのは、そのあたりをつなぎやすくしたのかもしれませんね。最初にそう言っておくことで、「気の利いた質問」が来なくてもよくなったんです。お仕着せの、詩らしい詩のような、「空は青なのに、どうして虹は七つの色なんでしょう」という質問が来たとしても、それはおそらく編集が選ばなかったのでしょう。つまりそれは「詩だったはずなのに通貨になっているもの」です。それがかなわんのです。学校で教えられることも、そうなっているでしょう。
詩というものはすぐに、いわゆる英語でいう「クリシェ」っていう決まり文句になるんです。決まり文句のほうが通用しやすくて、みんなが安心して詩的だと思っちゃうわけ。だから詩人というのは、作ることと壊すこと、両方をやんなきゃいけないんです。それは、同じぐらい大事。"


"谷川 - 危なかったですよ、絶対。
糸井 - 褒められたくなりますからね。
谷川 - きっと朔太郎賞とかもらったかもしれないけど(笑)、つまんない人生になってたおそれがありますね。
糸井 - 価値基準を向こう側に置く練習をしちゃいますから。
谷川 - あ、それはうまい言い方だな。そういう言い方をされると、すごくよく分かる。
糸井 - 「友達」というものをみんなが好きなのは、友達同士はジャッジじゃなくて共振し合うからです。
谷川 - うん、そうですね。"


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『こぽこぽ、珈琲』おいしい文藝

このシリーズは好きなので迷ったら手に取りがち
佐野洋子さんがやはりグンをぬいてすき…(おにぎりにチーズ入れるのってナシ寄りなんだ?)

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"地獄のように熱く、恋のように甘く、思い出のように苦く、というのがコーヒーを淹れるこつだそうである。コーヒーに一家言をもつ人々がいて、豆の選択から炒り方、水、温度となかなかうるさい。口に含んだだけで、これはモカが五にキリマンジャロが三、コロンビアが二の割合と当てるから感心させられる。私はといえばインスタントとそうでないものの区別が関の山である。(中略)
ところで淹れ方の形容に関して地獄のように熱く、というのはいいとして、恋のように甘く、というのはどうだろう。恋のように苦く、思い出のように甘く、というのが本当ではないだろうか。
コーヒー好きは小人物であるときめつけた作家がいる。先日、東京で私はたまたまその人と同じホテルに泊りあわせた。彼がロビーで旨そうに飲んでいたのはコーヒーであったが、一体あれはどういうつもりでいったのだろう。"

↑野呂 邦暢(のろくにのぶ)さんのもよかったです…さすが冒頭に置かれるだけの!

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『ブルーハワイ』青山七恵

暗くなりたい元気なときに青山さんを読みたくなるのですけど、「わかれ道」はいつでもだれにでも読ませたいくらい読後の心のざわめきがおそろしいよ、読んでみてよ
"ほたてのひもみたいなブラジャーのストラップ"というのが、みんな思ってたけど口にしなかった表現でいいね

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"吉永さんは問わずがたりに、ボリショイ・サーカスの思い出をぼそぼそと話しはじめる。優子は黙ってほほえみをうかべたまま、フラッペをすすりつづける。シートのうえで口を開けて、夢中でショーをみている子どもたちの顔が、がんもどきのようにころころと頭のなかで転がりだした。自分に親しんでくれた、子どもたちが恋しかった。最初は恥ずかしがって、なにをいってもわらってもくれなかったのに、一年の最後には泣い別れを惜しんでくれた幾人かの子どもたちの顔が、一緒になって、ころころ転がりはじめた。"

"立ちどまって住宅街のほうを振りかえると、夕焼けに照らされたねぎ畑と家々が、そこに生きて暮らしているものがいるとは思えないくらい、さびしく、くすんで遠くにみえる。反対を向くと、川を渡って吹きつけてくる十一月の風がつめたい。気づけば堤防のうえを歩いているひとは、みな冬のコートを着ていた。散歩している犬さえも、なにか着させられていた。セーター一枚の梢は、寒いのよりも、唇がカサカサなのが気になった。"

"父は大声を出すのがきらいで、母がわたしたちを叱るときには露骨に不快そうな顔をした。それが母の怒りを買い、子どもたちそっちのけで夫婦げんかが始まることもたびたびあった。母がどれだけ声を荒げようと、つられずに、かえってほとんどしゃべらなくなる父をみていると、わたしは不安な気持ちになった 。
父は我慢しているのではなく、ずるをしているようにみえた。でもそういう父の態度から、姉もわたしも確実になにかを学んでいたはずだ。"


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『文に当たる』牟都子

「「本来は謝り」であっても」の"聞こえる"と"聴こえる"のはなしと、「すべての本に」という章がすごくよいです、

"そんな中で校正が本作りに欠くことのできない職業として成り立つために、いったい何ができるのでしょう。いつもこの問いに戻ってきてしまうのです。"
↑こういった、きちんと自分たちを疑うこころ?いつでも考えることをやめない人がいる業界は終わることがないのだろうなと安心します(ただの願望かもしれないけれど)、
仕事への向き方の理想と尊敬がつまってる

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"胃を冷たい手でぎゅっとつかまれたようでした。ゲラを戻し、見本が届いて反省校正も終わったあとで、編集者から電話がかかってきて「実は....」と切り出されるときに味わうあの感じ。"

"初めて台所に立つ人のための料理本をふだんは料理をしない人が読んで、「大葉」ではなく「しそ」と書くほうがわかりやすいのではないかと疑問を出せることもある。詳しい人ほど通り過ぎてしまうところで立ち止まれるのは、知らない人間の強みです。"

"仕事で読んできたゲラの著者の多くは、ひとりでも思索を深めていける人たちでした。書くということはひとりでありながら対話する営みなのでしょう。わたしはこれまで対話の相手を内側ではなく外に求めてきました。わたしにとって人と話すということは、人の力を借りて考えるということなのだと思います。"

"柴田元幸さんは「少なくとも原文よりわかりにくくなってはいけないというのは大原則」と断ったうえで、「ところどころで立ち止まらされるような文章が、いまふうに言う『サクサク読める』訳文になってもいけない」という。「立ち止まらざるを得ない」文章と「立ち止まらされる」文章は違います。意味が取りにくく読み進めることが難しい文章と、ページを繰る手を思わず止めて考えることを促される文章といえばいいでしょうか。"

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『僕がコントや演劇のために考えていること』小林賢太郎

ヘタなビジネス本を読むならこちらにしてはいかがと薦めたい、
そういったジャンルの本は、なるほど感想として書けることがない😂

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『お前より私のほうが繊細だぞ!』光浦靖子

なにきっかけで「読もう」にメモしておいたのか忘れていたけれど、自分にしては珍しく作家ではない人の、お笑い芸人(というくくりでいいのかしら)の本を読むことが新鮮で、やはり「おもしろいねえ!そういう視点で捉えるんだ!」が多くてよかったです、結婚式への参列は「言葉は悪いけどほぼ自慰です」っていいきってたところとか

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"こんな話をある番組で言ったら、ある方に「それは違うよ」と言われました。「欲求不満なだけだよ」と。
人間はさ、スキンシップを求める動物なのよ。皮膚粘膜の接触ほど気持ちいいものはないじゃない? でもそれを大っぴらにできないじゃない? 特にアナタのような性格は。そんな自分認めたくないでしょ? だから、大っぴらにしても恥ずかしくない、子供や動物に置き換えて正当化してるだけなのよ。ごまかしてるだけなのよ。皮膚接触したいだけなのよ」目から鱗が落ちました。なるほど。その通りだと思いました。とにかくぎゅっとしたい、見てるだけで興奮する、楽しい……そうか、欲求不満なのかぁ。"

↑年々こどもや動物を好きになる理由

"アナタは「虚しい」までいっちゃったようで。それはいかん。「虚しい」は発展しませんからね。永遠に続きますからね。下手したら死ぬぞ。私は「虚しい」になったときは、意識的に「怒り」に変えます。「怒り」はね、一見悪いもののように思われますが、上のほう向いてるっつーか。ダイエット番組のおデブさんらの動機しかり。自分のだらしない生活は棚にあげ、同僚が何気なく発した「豚」、それに怒って痩せるんです。見返してやるって。悪いのは他人。自分に向いたら落ちるだけ。コノヤロウって気持ちは、手軽に立ち上がれるんです。"

"仕事と子育て両立させるには、いい意味でがさつ、雑なんですよ。だからご飯もザザッとたくさん作って、だから他人の私が盗み食いしようが気にしない気がするんですね。許してくれる? きっと、佐々木健介さんとこの弟子が北斗さんに抱く思いと一緒です。これも想像です。だから、なんつーの、自分の損得のためじゃなくて、ついでに何かしてくれる感じ、それが女子力だと私は思ったんです。余裕てやつです。必死じゃないやつです。アナタのために、じゃないやつです。"
↑本当の女子力とは

"だって字のイメージだと「貧」のほうが小さくない? で、正しい意味を知ろうとネットに「微乳」と入れたんですね。びっくりしました。こんなに簡単にエロ画像が見られるなんて! PCを買って早十数年。初めてエロ画像を見ました。びっくり。微乳というのは、こんなに需要があるんですね〜。そして、エロ〜い。微乳は十分な武器であることを学びました。アナタ、微乳に自信を持ちなさい。胸は大きさではない。乳首の品性です。
さて、アナタが男性に対して、モテたいから胸の大きさを気にしてるのではなく、ただ、自分の美意識が自分の胸の大きさを許せないのなら、手術をおすすめします。31歳でしょ。勝手にやりなよ。"

↑「胸は大きさではない。乳首の品性です。」ちょう真理!!!わたしも今度からそう言う、
「31歳でしょ。勝手にやりなよ。」も魔法少女に変身したときの決め台詞にしたいくらいのよさ!!!!

"エイプリルフールに嘘をつける人。エイプリルフールに嘘をつくんですよ。もう、いい人なはずです。まず、勇気がいりますでしょう。いい大人ですよ。幼少期からそんな文化圏に育ってた? 私は嘘をつくまではできるかもしれませんが、万が一、私の嘘に引っかかった人に「やーい、だまされた。今日はエイプリルフールだよ」なんてセリフ、死んでも言えません。肥大化した自意識が邪魔をするからです。でも、エイプリルフールに嘘をつける人は、NHK的明るさと健全さを兼ね備えた人だと思うんです。ちゃんとしてるんです。真面目なおじさんが積極的に外国人に英語で話しかける、あの明るさみたいな。
エイプリルフールに嘘つける人は、ちゃんとした人なはず!"


"次に、沖縄に住むと全てがうまくいくと思っているお話ですが、そうはいきません。
沖縄に住んでいるウチのお袋は、20代で家が火事になり、40代で自己破産をし、50代でわき毛を剃り間違え、わきがかぶれました。そこから考えると、沖縄は、「北斗の拳」の修羅の国より、厳しい環境だと言えます。しかし、良いところも、もちろんあります。天ぷらのころもが、異様に厚いところです。その厚さから、天つゆにつけると、しみにしみて、脱水する前のエドウインのジーパンぐらい水分を含みます。結果、ご飯がすすみ、さわやか健康家族です。"

↑これはあとがきオマケのスリムクラブの真栄さんの文なんですけど、こちらもとてもいい…🍤👖

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『これが生活なのかしらん』小原 晩

ほとんど冒頭しか読めなかったのでリベンジしたい、
なぜか、何かと唐揚げの話をしていませんでした?と記憶していたのですけど、メモしておいたものたちのどれもかすりもしてなくてどうゆうことなの?

-

"すべてがどうでもよくなったとき

スーパーマーケットをふらふらしていると、ペヤングの超大盛りが目についた。
私はそれを三つ買って帰り、黒のマジックペンで『すべてがどうでもよくなったときのためのペヤング』と書いてみる。りんごちゃんの、めろんちゃんの、小原の、とひとつひとつに名前も書き入れ、台所に並べる。
すべてがどうでもよくなったとき、私はふたりのそばにいないかもしれないし、そもそも私ではなんの役にもたたないかもしれない。
ならば食い意地の張っている、きっと落ち込んだときにもたくさん食べるタイプの君たちに、ペヤングの超大盛りをひとつあげます。"


"私たちはおおきな喧嘩をしたり、言い合ったり、殴り合ったりしたことは、勿論、なかったけれど、次へ行くと決めた人間というものは、そうやって、自然に、当たり前に、さらりと顔を合わさなくなるものであるのだと、私はそのとき知ったのだった。私はというと大阪に住んでいる恋人の家へ行くことに決めた。"

"私はティッシュを二枚とり、すばやくとんとんしながら、保育園のときにもこういうことがあったなあと思い出して、人間って変わらないなあと主語を大きくしながら恥ずかしさを誤魔化すための感慨にふけり、でも、他人と一緒に住むって、失敗を笑ってもらえるということでもあるのだなあと、うれし恥ずかし感じ入り、そういう、私たちの、はじめての夜だった。"

✼••┈┈┈┈┈┈••✼



いまわたしの枕元とバッグの中に控えています、やっとです、待っててねうふふ



(この2冊も読了したよの記録だけつけときます)


✍🏻

わたしが替え歌をする(歌詞のない曲になにか言葉を乗せる)ときは
"ただそれだけでいいよ"といった意のフレーズをやたらと使いますね、ということに気がついた、
箱庭療法的な観点だと、これはどういった心理を指しているのか知りたいところ

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活字の物語でしか得られない元気というのは確実にあって。
読みやすい文章というのは褒め言葉じゃないのかもしれない、「おもしろい」かどうかはまた別なので

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わたしはあなた
またしゅわーってなった

↑聴き間違えた、たしかに似てなくもない🍹

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さいきんお休みになると必ずスコーンがクッキーを焼いていて(米粉で バナナか紅茶の)、試しに試してようやく これは!というレシピにたどりついた🍪
結局、大人気!まちがいありません!なレシピを参考にしても、うちのオーブンでは書いてある温度ではコゲつきやすいとか、厚みはもうちょっと小さめがいいなとか、自分自身でいろいろ試してみないと、自分の環境にあった最適解はわからないわけで💭それの答えも出せたってわけです、

わたしはアトピー体質で、脱ステロイドをはじめて今で1年半ほど経つのだけれども、「グルテンがだめ」「カフェインは敵」「漢方がおすすめ」「漢方は効かぬ」などのたくさんの情報に振り回されながらもいろいろ試した結果、
「わたしの状態はわたしだけのものだから、ぴったりそのままわたしに当てはまる回答がもらえるわけはない わたし自身で出していくしかない」という結論に落ち着いたのね(当たり前といわれればそうなのですけども…)🕊

開始当初は、うにゅ〜早く治ってほしい。˚.º·( ꪑꪑ)º·˚.と悲観しては「調べる」日々だったけれど、この結論に至ってからは「今週はふつうに過ごして来週はこれを抜いてみよう、その違いがどう出るかな〜」など、長い目で「試す」ようになったの


一緒だねえ、ってはなし(とはいえ一重瞼になっちゃったのはどうにかなりませんか)

°.✩┈┈∘*┈ ┈∘*┈ ┈∘*┈ ┈∘*┈ ┈∘*┈ ┈*∘┈┈✩.°

💭

・ジアスターゼ - 大根に豊富に含まれる消化酵素。

・疑義(ぎぎ) - 意味(事柄の内容)がはっきりしないこと。疑問に思われること。

・水をあける - 競争相手を大きく引きはなすこと。

・ご相伴にあずかる(ごしょうばんにあずかる) - 誰かの連れとして同席し、もてなしを受けること。元々は茶道用語。

・ラート - これのこと。ドイツ発祥のスポーツ

・ノブレス・オブリージュ - 直訳すると「高貴な義務」。中世の貴族が、特権と同時に領民を養う義務を負っていたことから、優位な立場にある者が社会のために果たすべき責任という意味で使われる。
なんっっっかい聞いても忘れちゃうし、これを決め台詞みたいに、別れ際?に必ずゆってるアニメありませんでしたっけ…?(脳の忘却機能が働きすぎ)


以下自分へ、読んどいてね

・色と意味の本 - 明日誰かに話したくなる色のはなし / ジュード・スチュアート
・南の島に雪が降る / 加東大介
・いずみさん、とっておいてはどうですか / 高野文子
・シェニール織とか黄肉のメロンとか / 江國香織
・本の栞にぶら下がる / 斎藤真理子

°.✩┈┈∘*┈ ┈∘*┈ ┈∘*┈ ┈∘*┈ ┈∘*┈ ┈*∘┈┈✩.°

📚



『これからの男の子たちへ:「男らしさ」から自由になるためのレッスン』太田 啓子

めいりーちゃんが読んでて気になったの📚✨オススメしてくれてThank you〜♡ *。+(*˘︶˘人)♡*。
(さいきん本をあまり読めていないからちゃんと時間確保したい…)

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"この「性欲は本能ではなく文化」というのは大事なポイントなので、少し具体的に書きましょう。たとえば、いまの社会では、女性の乳房は性的興奮を誘うものとして認知されています。実際、グラビアなどで女性の大きな胸を強調し、「Gカップボディ」などと売りにすることはよくありますね。思春期の男子の多くも、女性の胸のふくらみにドキドキした経験をもっているでしょう。ですが、実は江戸時代の春画(セックスを描いた、要するにポルノグラフィ)では、女性の乳房はとくに性的興奮を呼ぶパーツとして描かれていません。乳房は、大きさや形にかかわらず、そもそも「セクシーな部位」としては広く認知されていなかったようです。もちろん一部にそう認知していた人もいたでしょうが、世の中の大勢にとっては「別にそんなもの見ても興奮しない」という部位だったようです。日本で「乳房を見て性的に興奮する」のが社会の主流というか「普通」のことになったのは、意外と最近のことのようです。"

"年頃になると、友達はセックスを経験しているのに自分だけ経験していない…と焦ることがあるかもしれません。とくに男性の場合、セックス経験がない 「童貞」であることを恥ずかしいことのようにからかう風潮が一部にありますよね。『日本の童貞』(澁谷知美著、河出文庫)という本を読むと、17世紀末ごろから現在まで、この社会で「童貞」がどう扱われてきたかの変遷がわかり興味深いです。
「童貞」が美徳とされる時代があったり、かっこ悪く恥ずかしいとされる時代があったり、「童貞が恥ずかしいなんておかしくないか」と見直されてきたり…と、社会における「童貞」の扱いは変化しています。いまの社会にも一部にある「童貞はかっこ悪い」という言説は決して普遍的なものでもなく、むしろ、いまの社会はセックスの経験に過剰な意味づけをしすぎなのだと思います。"


↑性欲は社会的に作られている、いわば「記号」に興奮しているというお話
近年のBLの立ち位置とかもこれに該当するよね?

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"少なくとも子ども向けコンテンツでは、性暴力を「エロ記号として」描かないでほしいのです。性暴力を描くなら、それは「性暴力として」描くべきです。
子どもの性への関心に応じて挿入する表現やエピソードには、さまざまな描き方がありうるでしょう。それなのに、数ある選択肢の中で「女の子が不本意に裸やスカートの中を見られてしまう」という状況を「ちょっとエッチで笑えるエピソード」と位置づけるのはふさわしいのか。他の設定やシチュエーションも考えられるにもかかわらず、「異性愛の男の子目線で、かつ、女の子にとっては不本意に性的な姿を見られてしまう」場面というのは、実はかなり限られた場面設定だと思います。それはいったい何のために必要なエピソードなのか、なぜ他の場面設定ではいけないのか、制作者は真剣に考えた結果なのでしょうか。
「お色気」を入れたいのであれば、女の子が恥ずかしがったり嫌がったりしておらず、主体的に性的接触に関心をもったり快楽を感じている場面や、主体的に裸になるような描写でもいいのでは?と素朴に思います。
しずかちゃんが自分から性に関心をもつのではなぜダメなのでしょう。「それでは夢が壊れる」と言われるかもしれませんが、その「夢」は誰の、誰に対する、どんな夢なのでしょうか。"


↑だれもが一度は疑問に思ったであろう『ドラえもん』のしずかちゃんのシャワーシーンについての見解

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"「嫌だったんだね」「不安なんだね」というように。それによって子どもは自分の感情を言語化でき、安心感を得ることができます。しかし、周囲の大人が子どもの不快感情を否定し、抑圧してしまうことがあります。いちばん典型的なのは、男の子が道で転んだとき、続いて起こるであろう大泣きを予測した親が、先に「痛くない!」って言ってしまう。

- ああ、これはほんとうにありますね。よそのお宅とか、公園でたまたま一緒になったお子さんとか、何度もそういう場面を見ている気がします。泣きそうになっている子どもに「男の子だもんね、痛くないよね!」「男だろ、泣くな泣くな!」と、励まし口調で言う大人はよくいますね。しかし、転べば痛いのが自然なのに…。

そう。その子の身体の中には痛みとかショックとか、不快な感情が駆けめぐっているのが事実なわけです。そこで、その子に大人が寄り添い「そうだよね。涙が出るよね。泣いていいよ。怖かったよねえ」と共感し、その不快な感情を言語化してあげることで、はじめて子どもは「これは恐怖なんだ」とその感情を認識し、受け入れることができる。子どもが自分の負の感情を表出しても、他者が受けとめてくれると感じること。その積み重ねこそが、子どもの感情の健全な発達につながるのです。
それなのに、言語化する前に「痛くない」とか「泣かないお前は偉い」といきなり言われてしまうと、子どもは自分の負の感情は受け入れてもらえないことを体験的に学び、その感情を抑え込んでしまいます。結果それが何を招くかというと「解離」という状態です。たとえば、家では大人しく親の期待通りふるまうのに、学校では負の感情を抑制できず、友達に暴力や暴言をぶつけてしまう。そういう行き場のない感情を解消しようとします。"


"一見、本人に選択させているようで実は誘導されている。しかも表向き親切のように装って。彼はずっとそれに慣らされてきたから、他人とのあいだでもそのコミュニケーションの型が抜けないんだろうと思います。
自分の感情が語れない原因もたぶん同じで、自分の中で言語化する前に、周囲が「あなた、悲しいのね」と先回りしてしまう。彼自身が感じていたのは別の感情だったかもしれないのに。嫉妬とか意地悪な気持ちといったネガティブな感情があっても、「あなた、いい子だから何も思ってないわよね?」と言われると「うん、僕いい子だから何も思ってない」と、なかったことにしてしまう。自分の負の感情を認識できないから、人から「どう思っているの?」と聞かれても答えられないわけです。

- 言語化の機会を奪ってしまうんですね。

それはとても暴力的なことだと思うんです。母性という砂糖衣を着せた、強力な支配ですよね。"


↑これら一連が、結局、感情を拾う(先に言語化する)ことが良しか悪しかがわからないのですが????
言語化してあげないと感情を認識することができないけど、それが別の感情かもしれない(正しい言語化の機会を奪う)のは難易度が高すぎない??

"強い感情に向きあうためには、言語化によってそれを対象化することが必要です。
しかし、それができない人は、アルコールやセックス、ギャンブルや自傷行為などに依存することで、自分や他者の強い感情と向きあうことから逃避してしまう。
斉藤章佳さん(精神保健福祉士・社会福祉士)が、痴漢は依存症だと論じていますが、痴漢行為に依存する人は性欲にかられているというより、相手を支配する感覚に満足を得ていると言われています。これもアフェクトフォビアに起因する依存症の一種ではないかと思います。

- それを聞いて、離婚事案でよくある「夫と話し合いにならない」「大事なことだから話しあおうと一生懸命伝えても、『もうその話は終わった』『聞きたくない』とか、無視されてシャットアウトされてしまう」など、コミュニケーションにならない現象を思い出します。あらわせる感情の種類が乏しく、ほんとうは悲しみでも怒りにすぐ転化してしまうという印象を受ける男性も、離婚事案でよく見ます。"


"『ソーシャル・マジョリティ研究』という本の中で、感情の言語化のメカニズムが説明されています。それによると、まず身体の中でなんらかの反応が起こり、そこへ言葉のラベルを貼りつける。それがうまく結びつくことで言語化が実現されるそうです。
身体反応というのは、たとえばお腹のあたりがキュッとするとか、呼吸が浅くなるとか冷や汗が出るとか、そういったことです。身体反応が先にあり、「これは緊張だ」 「相手に萎縮しているからだ」などと文脈的な理解ができたときに、はじめて感情が言語化される。それはある程度の訓練を要する作業だと思うんですが、その習慣がないと、身体反応そのものを感知できなかったり、実感と異なる言葉のラベルを貼りつけてしまいかねない。たとえば、ほんとうは恐怖によって足が震えているはずなのに「これは武者震いだからびびってない」と思い込み、心の底にある恐怖を拾えない、とか…。こういうことって男性によく起こると思うんですよ。自分を不快だったり不安にさせている原因が把握できないから、「よくわからないけど早くこれを取り除け!」とばかりに、不機嫌な態度や他者への暴力といった形で発露されてしまうんだと思うんです。"


↑いちばんは自分で体験して自分で正しく言語化しろ、という話ではあるのだけれども…(という話なのか?)

本書に「日記など書いて文字に起こす」のがいちばんの訓練になると書いてあったし、わたしも長年この「ブログに記すこと」で自分はこう思っていたのか!を整理できているわけですが、ブログももはや珍しくなった今、みんなどうしているんだろうか?


そしてつまり?先ほどのことは、
「年端のいかない子にとって少し言語化しにくい、むずかしい感情(羨ましいとか、憎いとかかな?例えばどんなのがあるだろう)をその子が抱いたときに、たとえぴったりその感情を表す言葉じゃなくても(だってまだ知らないからね)、その子がいま持っている言葉で一生懸命にそれを表現することに、きちんと耳を傾け向き合う」
が、理解するべき「本質」ですかね…?

(重要なのは「言語化すること」ではなく「同意すること」?と気づき、もう一度読み返して整理してみたら
"子どもが自分の負の感情を表出しても、他者が受けとめてくれると感じること。その積み重ねこそ〜"
ってたしかに書いているね、うんうん、やっぱりここでまちがいなさそう(,,•﹏•,,)

…ということに、わたしはこうやって書くことにより辿り着ける、読んだだけではわかっていなかった(記事公開したあとに気づいて加筆してるんですけど…笑))


このあたり、どのように考えますかみなさん!意見を交わしたいな

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"「相手がいいと言わなければ、ひとの体に勝手に触ってはダメ。触ってほしくないときに触られることは、すごく嫌な気持ちにさせてしまうし、怖がらせるから」
「でも、相手がいいと言えば、好きな人と手をつないだり、ぎゅっとハグしたりすることで、お互いに好きだなという気持ちを実感できて嬉しくなったり、もっと好きになったりすることもあるんだよ。誰かの体に触ることは、お互いにとても幸せな気持ちになるときもあれば、すごく怖い嫌な気持ちにさせることもあって、相手と自分がどんな仲かによって真逆なんだよね。」"

"「前も言ったと思うけど、ほかの人の体は、その人が嫌だと思うような触り方をしちゃいけないの。とくにお尻とかちんちんとかの水着で見えなくなるところは、プライベートゾーンっていって自分だけの大事な場所だから注意が必要なの。そこを叩いたり触ったりすることを冗談や遊びにしてはいけないの。
ひとの体を大切に扱うっていうのはそういうことなの」"

"「モテるというのは、その人の素敵なところをより多くの人が見ているということだろうけど、お母さんが思うのは、人の長所にはいろんな種類があるのに、子どものうちは見えやすい長所だけに目が行きやすいと思う。たとえば、足が速いとかサッカーが上手とか、話がおもしろいとかね。でも人には、すぐには気づきづらいけど素敵な長所というのもあって、そういう長所をいずれ誰かが気づいてくれることもある。わかりやすい長所をもつことで大勢からモテるのもいいかもしれないけど、自分の素敵なところを伸ばして、数は少なくても、そこを見てくれる誰かと仲良くなるというのも楽しいんじゃないかな」"

"「オバサンというのは人の状態を指す言葉で、お母さんも30代後半の女性だからオバサンです。でもそれは状態だから良くも悪くもない。だけど君は"オバサン”を悪口だと思ったんだね。それはどうして?」「年齢を重ねることは悪いことではないのに、歳をとった女性は若い女性よりも劣る存在だと、君は言ったことになるんだよ」"


↑もろもろこう返せば素敵だねえ、という模範回答でしかないので覚える/見返せるために置かせてほしい

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"自分の弱さを認めると同時に、助けが必要なときには誰かに助けを求めていいんだということも知っておいてほしいと思います。
脳性麻痺の障害をもつ小児科医の熊谷晋一郎さんは、「自立とは、依存先を増やすこと」とおっしゃっています。何かに頼ること、依存することは、むしろ自立した大人として必要なことです。恋人や友達ができないとか、周囲から孤立してしまうとか、自分の加害経験あるいは被害経験に悩むといった、つらい思いがあるとき、同じような気持ちを抱えた他の人とつながることは、自分なりにつらさと折り合いをつけるきっかけになると思います。"


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" 盗撮動画・画像と知りながらそれを見ることは、犯罪行為に加担してしまうことだということも、わかっておいてほしいと思います。ポルノを消費することの問題として、それらの制作過程で人権侵害が生じる場合もあるというのも深刻な問題です。「モデルのスカウト」などと騙されたり脅されるなどして、意に反してAV出演を強要されるという被害が少なからずあるということが近年、大きな社会問題になりました。制作業界側も問題意識をもって自浄努力をしているようですが、その成果は未知数です。ポルノを消費するときには、誰かの傷や痛みを消費することになってしまっていないか、消費者として制作過程にも問題意識をもってほしいと思います。"

↑わたしがAVを見たことがない(見る気になれない)理由はこれ🤔
一次創作のエロ漫画がいちばん「作品・表現」になっているから好きで、これが二次創作になるとまた同様にキャラクター(を生み出した作者も?)を傷つけていそうで微妙なラインになってくる

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✍🏻メモ

◆アンガーマネジメントの考え方では、怒りは二次感情で、それに先立つ一次感情は悲しみや不安や嫉妬などの感情だとされる。その一次感情をどれだけ自己認識できるかが重要。


◆アイラビスタ銃乱射事件
2014年5月 アメリカ・カリフォルニア州で起きた、エリオット・ロジャーによる大量殺人。
「女性たちは自分を拒絶し、見下したのに、他の男とはセックスした。自分がセックスの経験がないのはそういう生意気で高慢な女性たちのせいだ。僕より楽しい生活をして、セックスしている男たち。おまえら全員を憎む。罰を与える」と、自分を拒否した女性たちと、女性たちが好んだ男性たち双方への憎悪と復讐心が語られていた。

◆「『気づかずにすむ人々』 『知らずにすむ人』 『傷つかずにすむ人』こそが、特権を付与されたマジョリティである」
ポケモンSVのはなしをします、
わからない人はわからないまま置いていくようなかなり優しさのない書き方をします、

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毎月、ランクマッチバトル(通称ランクマ)のシングルとダブル(可能な限り両方)でマスターランクを取ることを課していて。
「課した」つもりはなかったのだけど、毎月達成していたら やめ時がわからなくなってしまい 8ヶ月も経ってしまった(˙.˙)

せっかくなので、とりあえず12月までの1年間は続ける、ということにした


ポケモンSVのソフトの売上が、2023/2月の時点で2000万本
ランクマの人口が、初回の2022/12月で120万人、つまり全体の6%
それが先月の2023/8月で、約35万人まで減った、2000万のうちの35万は1.75%

35万人のうち、マスターランクに上がった際につく順位は、わたしのそこまでよくない成績でだいたい3-5万位
つまり、ランクマにチャレンジしている人のうち、マスターまで到達する人は10%前後
=2000万人中0.2%しかマスターランクの人はいない

という計算になる

.

ひとことでいえば「ポケモンが好き!」なわたしだけど、とりわけ「バトルが好き!」ということが、最近になってようやくわかってきた(図鑑や色違いやらオシャボやら証やらも、「ランクマッチで使いたいポケモンがいるのでそのためです」に集約されるので)、
8月に行われた世界大会も結局、バトル部門は生配信に1日中かじりついて観ていたのに、終了後のパレードなんかは手のひらを返したようにまったく…だったのも確信に繋がった

ただ、「好き」なだけで 決して「上手く」はないから、毎月マスター上がるのにヒイヒイゆってて
さらには普段からコツコツ積み重ねず、最終日に全部詰め込んでしまう悪いくせがある
(7月は最終日22:00からS0のテツノカイナとガチグマを探しに行き、0:00前からランクマッチスタートし、制限時間20分×30戦して6:00すぎにやっと到達した、死んだ / というのに、結局8月も最終日にすべてをかけるハメになり学習しなさに呆れた)、

というのも、ついつい順位のつかないフリーバトルに潜りがちで、なんならフリーならほぼ毎日5戦はこなしていて、
それはいちいち勝敗結果が残らず傷つかない、気負いせずにすむお気楽さゆえになのだけど、
きっとわたしにとって「この子はこう動いたらおもしろいんじゃないか」を楽しんでいる"その瞬間"が、「ポケモンをしている意味」なのだとおもう、

「上の順位に行きたい」「レート2000超えたい」つまりは「勝つための組み合わせ=何がなんでも勝ちたい」じゃなくて、「お気に入りの子でどこまでいけるかな」「この子はどんなことができるのかな」「こんな縛りでパーティ組んでみようかな」が!好きなの!


だから?けっこうみんなレギュ変更になっても「元のパーティから少し調整する」程度で大幅変更はしないのが主流でびっくりした
わたしはわりと、そのレギュで解禁になった子を軸に新たに作ろうとするので…



ゆえに、マスターに上がったらそれでそこそこ満足してチャレンジやめちゃうの、キルアのこれじゃんっていつもおもう
(ゆっとくけどマスター上がってからがようやくスタートだからな!ってわかってる、わかってるんだけど)

.



しかし、(しつこいようだけど)マスターに到達するのはわたしにとっては大変で(主に精神的に)。
上位に上がることが目的じゃないとしても、負けるとやっぱりくやしいんだもん、
自分の育てた大事な子たちが、まるでかわいくないねって否定されたみたいになっちゃって

勝率としては悪くないのに、次勝てばマスターだよっていう大一番では負けちゃうのがお約束になりつつあって、
えづいてえづいて、手も震えてたりしてて、どうしてこんなにがんばるのかと思う、がんばる必要などあるのかと

別に、「世界大会に出たい」とかないんだよ(そんなこと夢にも思わないし出れても辞退する)
もともと上位に行くことが目的じゃない人ももちろんいる、マスター到達の報酬が欲しいだけとかね
そこじゃないのに!自分にとっても、そこは重要じゃないはずのに!なのに、

「せっかくなら上位になってみたいよね」っていう欲みたいなものが、どうしても沸くのをやめてくれない

世界大会の予選に出ている人も(予選ですらも)当日の朝まで吐きそうになるほど考えて考えて考えて考えていると伺った
そこまで行ける人がその努力をしているというのに、凡人の私が何もせず何かになろうとする(?)など愚かすぎるじゃないか

受験に例えればおそらく、偏差値55〜60ぐらいのところでウロウロしているんだ
東大に行くような人とは、ありきたりだけど「次元が違うんだ」ってなっちゃうんだ


ハンターハンター(またですか)のノヴの気持ちがわかるんだよ
これ以上すすめない、どうして強敵とわかっていて立ち向かえるんですかって



負けて負けて負けてぼろぼろになってるわたしに
「キミは、いたほうがいいよ」って自分がゆってくれない
「マスターランクに行かなくてもいいよ」って許してくれない
「こんなことでつまづいてるようなクソが」ってずっと罵ってくる、ずっとずっと



『生き残った6人によると』のリリちゃんもゆってるんだよなー(ここで指しているのは結婚/不倫の話だけれども)
わたしはわたしのことを信用していないから、毎月の約束が果たせなかったとき いよいよ吹き飛んでしまう
「やっぱりお前は」って自分に責め続けられる

"交わしたはずのない約束に縛られ 破り棄てようとすればうしろめたくなるのはなぜた"のそのとおりでしかないのに

さっさと降りちゃえばいいのにね


全っっ然自分が許してくれないのよね


ある意味では「だってあなたは、なんだかんだゆってちゃんとマスター上がるじゃん」って十分信用している(or ただの煽り)部分もあるのだと思うけれど
過信で終わらせてやろうかな…

.



相手とこっち、先に動いたほうがこの勝負 勝ち!みたいな対面のときに「どうせ無理です」ってゆっちゃうんだ、
「お前ならできる!」「大丈夫!たとえ後攻でも受けられる!」とか言えたらよかったのに

こんなトレーナーの元にきたポケモンたちがかわいそう
自分を信じれないのはわたしを信じて戦ってくれてるポケモンたちにも失礼でしょ…ってすごい思うのに


これたちすべて、
すみずみに至るぜーんぶ、
「たかがゲームじゃないか」
の、たった一言で終わらせられる、

上位に行ったって、毎月マスター行ったって「それが何になるの?」とわかってる、

ポケモン知らない人からしたら、もはやランクマやってようがやってまいが一緒にしか見えないのに

本編クリアしてその後さっさと二次創作でもしてる人のほうが現実に還元しててかしこいんだろうな
この、「ゲームというただの消費・無意味」に意味を持たせるには、結局「世界大会に出る」とか「上位100位圏内に入る」とか目に見える成果を残さないと、過程なんて意味ないじゃん、
たとえそれがどんなに楽しんでいようが 苦しもうが


構築とかブログの記事書くような人は、順位1桁2桁とかの人ばっかりでしょ
4桁5桁の生の声なんてそうそう聞けないでしょ、これがそうだよ


💗オープンシートだと100%負けてたんだけど、これって情報にばかり頼って目の前の画面から読める「相手の思考」をおろそかにしてたせいだと思う

💗女性プレイヤーがマスターランクにどれほどいるのかを知りたい(大会も配信も見事に男性しかいないんですが / そもそもの男女比は)

💗ハイドロポンプを「命中80の当たらない技」ではなく「威力110で倒せる技」として捉える、って上位の人がゆってたけどその考え方ができない、
世界大会でも解説で「100やらなきゃ負けるってところで70叶えても意味がない」みたいなことはゆってたのですが…
(わたしはこだわりも「1.5倍で倒せるようになる」ではなく「選択肢があったのに詰む」アイテムだと思っている)
(こんなことゆってるから下位なんですけど)

💗ゲームは最終的に運ゲーなところがあるので(急所に当たるとか技が外れるとか)真に強い・全部が自分の責任・読み合い心理戦なのはカード部門だよなあ…とおもう

💗こちら、すばやさ表のサイトとして優秀なのでメモ
バルドルのなみのり日記

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ペパ〜の話もさせてもらうと



いよいよペパーのグッズ(ぬい含む)が販売されます!と情報解禁されたとき、
知ったらわたしはもっとよろこぶと思ってた、でもどちらかというと抱いたこの感情はマイナス?だ

わたしはつくづく「グッズ」に興味がなくて(これだけポケモンポケモンゆっててもLINEスタンプのひとつも持ってない)、「ペパー」が好きなんじゃなくて、「ポケモンの世界にいるペパー」が好きなのであって、
現実でもそばにいたい、持ち歩きたい、愛でたい のひとつも持ち合わせやしなかった

自分のなかに、どこかで「作者や運営側のさじ加減ですべて決まる」だとか「突き詰めればプログラムされたデータがデザインされた皮かぶってるだけなんで」みたいに割り切っている部分がかなりあって、
だから「そのキャラの誕生日にケーキを買って祝う」とかはいくら好きでもしないなあっておもう、それはだれかが設定した数字だよとか身も蓋もないようなことをいう、

ただこれは「私はしませんね」って話で、している人に対して、くだらない とか 無駄なことを とはまったく思っていない、むしろいいなあって羨ましいほどだ(皮肉っぽく聞こえてしまうかもしれない書き方をしているな…)、
そこまで没頭したかった、そこまで助けられてみたかった

だって絶対「そのほうが人生楽しい」に決まってる

いままで2次元だったりキャラクター?というものを好きになるとことがあんまりなくて。
漫画とかも「好きな絵柄や作品」はあれど「好きなキャラ」はほとんどいないし(「その作品の世界が好き」っていうよりあくまで「この世界にあるいち作品として好き」というラインのようなものがあった)、「好きなポケモンのキャラは?」ってきかれてもまっっったくぴんときてなかった、「ジムリーダーはジムリーダーなので??それ以上でも以下でも??」みたいに思ってた、

それをペパーは軽々壊してきやがった


ペを好きになった今、少しは元の心持ちが変われたりしてるのかな?と期待したけど
あいもかわらず 心は石の手触りだったので

そうか〜 まだ「壊され」てはいないのか

.

二次創作も以前よりずっと触れてみてはいるものの、やっぱりよくわからなくて、自分の好きなように解釈するという勝手さが、なんでそんなことができるのか??と疑問におもう、
(スラムダンクでいうと、リョーちんと彩子さんですでに恋が成り立っているのに、なぜわざわざリョーちんとミッチーをくっつけるのですか…????)

「推し」というのは、何をしてても良く評価する、陶酔している、捧げる、というイメージなんだけど
わたしはすべてにおいて「推し」ではなくただの「好き」なのだよな、
今度の新作はぜんぜんよくないねとかふつうに思っちゃうし、色や数字に意味を持たせて盛り上がれない、
「心の拠り所(生きがい)を"人"にしてはいけない」という考えに賛同しているので、無意識にストップかけているところがあるのかもしれない、
我が子でも芸能人でもキャラクターでも、"人"は変わってしまうし、自分がもし拠り所にされたとしたらそれは荷が重すぎる(や、2次元の場合これは該当しないかもしれない)、
料理とか釣りとか歌とか、「自分主体で没頭できるもの」を信じていたい


だからなのかね、
わたしはバトルで強くなって、ちゃんと自分で掴み取ったそれを信じたいのかね
どうですかね…

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< 9/6追記 >



この記事アップしたあと、『オーイ!とんぼ』を読んでいたら
イガイガがまさにドンピシャなことをゆってくれてたのですが…😂😂😂

「ポケモン勝負」である以上、欲(たい)と嫌(ない)なのですか〜〜〜〜〜!


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マスクが強要されなくなった世の中になってしばらく経ちます
当初は、「口」というパーツが見られるようになったことにものすごく違和感を覚えた、
シミュラクラ現象(3つの点が集まった図形を人の顔みたいだねと捉える脳の働き)の逆のようだ

告白して、初めて顔をちゃんと見て、マスク外してもかわいいね!ってなるのがお約束のようだけど、そんな簡単なものなのかな
いままでなかったものがある、というのは

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毎日みんなえらい ほんとうにそれに尽きる

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ネイルをきれいにしたら「わ〜きれい〜♡テンションあがる〜!お仕事がんばろ〜♡」とかではなく
「こんな指先のひとがこんな顔面なわけないだろ」と思って終わりました

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本を読んでる人は文を書くのも上手くなるって思われがちだけど、では漫画を読んでて絵が上手くなったことがおありで??と問いたい(見せ方の学びにはつながっていると思うのだが)

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いま「ぬいぐるみが流行っている」というと、いまに始まったことではないとも思うのだけれど、明らかに他人に何かを強要している部分もあるよなあと思って心が5cmくらいいつもより浮く

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10年以上前に一気見した『北の国から』で今なお印象に残っているのは、第1話で純くんがこんな電気のないところで暮らせませんよー!夜になったらどうするんですかー!ってゴネたときに、五郎さんが「夜になったら寝るんです」って淡々と返していたところ、
生き方の本質な気がしている

夜になったら、寝るんです

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今日はえらくトンボが飛んでいるのでその理由をググろうとするもその場所は圏外なので、わたしはきっと向こう5年はその答えを知らないでいるのだろう

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スーパーマリオRPGのwikiにあった、
「マリオシリーズ本来の明るく健全な作風を保っている」という一文が好きすぎる、
どうしよう、これ以上に的確な表現がない

୨୧‥∵‥‥∵‥‥∵‥୨୧



💭

・正鵠を射る(せいこくをいる) - 物事の要点を正しくおさえる。物事の急所を正確につく。

・ゴア表現 - 主に「血しぶきが飛び散る様な残虐なシーン」のこと。

・グロ表現 - 「残虐なシーン」の他に、「生理的に嫌悪感のあるシーン」のこと。血しぶきがなくても、ドロドロとしていたりゾンビなどの気持ち悪いものの表現に対して使われる。
「グロテスク」の元々の意味は「異様な形の曲線模様」という美術用語 → そこから「異様なもの・不気味なもの」→「気持ちの悪いもの」に転じる。

・おさんどん - めしたき女。台所などで働く下女または台所仕事。

・人粒万倍日(いちりゅうまんばんび/いちりゅうまんばいにち) - 「一粒の籾が万倍にもなって実る」といわれる開運日。
「何かを始めるのに良い日」といわれ、お財布の新調や引っ越し、開業などをする人も多い。

・天赦日(てんしゃにち/てんしゃび) - 天が万物の罪を許す日。故に、迅速に物事が進む日。年に5日から6日ほどしかない。

・イングリッシュオーク - 葉がかわいい、柏のよう

・潰瘍 - とっさにこれだけ出されたら読み迷った、「かいよう」だよ(分かれし)

・呉越同舟(ごえつどうしゅう) - 仲の悪い者同士が一所にいる、または共通の目標で協力すること。

・分水嶺(ぶんすいれい) - 分水界をなしている山のみね。「(人生の)分岐点となる状況に置かれている」という意味で用いられる。

・含蓄もない(がんちくもない) - 器にも入っていない。露骨すぎて情味も含蓄もない。身も蓋もない。

・恭しい(うやうやしい) - 相手を敬って、礼儀正しく丁寧であるさま。読み方!

・慇懃に(いんぎんに) - 心がこもっていて礼儀正しいこと。親しい交わり。よしみ。

・ヒンデンブルグ号爆発事故 - これすぐ何号だったっけって忘れちゃう。1937年

・bss - 好きな人を他の誰かに取られた状況を指し、創作のジャンルとして使われることが多い。「(B)僕が(S)先に(S)好きだったのに」の頭文字から取られている。
この状況をカテゴリとして存在させたことになんだか感動しまして!この世のすべてに名前がつくようになったようじゃないの、

୨୧‥∵‥‥∵‥‥∵‥୨୧

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『ポトスライムの船』津村 記久子

"前の席に座っている男の子が、ずっとわたしの方を見てるから、何ごとかと思ってたら、わたしの後ろの窓を見ながら髪を整えてた。電車通勤を始めたりつ子が、苦笑いしながらそんなことを言っていたのを思い出す。
ナガセは、自分もその男の子になれたら、と思う。夜の電車の暗い窓に映る自分を探すぐらいのことで過ぎていく毎日。忙しくしているのは自分自身じゃないのかという自問が首をもたげるが、忙しくしないと生きていけないのだ、とすぐに心のどこかが答える。家を改修しなければいけないし、毎日ごはんを食べなければいけない。暗い夜には電気をつけ、暑い夏には冷房を、寒い冬にはこたつや石油ストーブを動かせるだけの生活を維持するために。
維持して、それからどうなるんやろうなあ。わたしなんかが、生活を維持して。"

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"たぶん自分は先週、こみ上げるように働きたくなくなったのだろうと他人事のように思う。工場の給料日があった。弁当を食べながら、いつも通りの薄給の明細を見て、おかしくなってしまったようだ。『時間を金で売っているような気がする』というフレーズを思いついたが最後、体が動かなくなった。働く自分自身にではなく、自分を契約社員として雇っている会社にでもなく、生きていること自体に吐き気がしてくる。時間を売って得た金で、食べ物や電気やガスなどのエネルギーを細々と買い、なんとか生き長らえているという自分の生の頼りなさに。それを続けなければいけないということに。"

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"我慢できないことの方が傷付かないのだ、ということはうすうすわかる。あとは運だ。そんな不確かなものの上に、人間の結婚は成り立っているのか、と考えると寒気がする。"


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『やりたいことは二度寝だけ』津村 記久子

津村さんの小説はそこそこ読んでいるけれどエッセイは初めて☺️

"そのへんのおやつを、「スイーツ」と雑誌の見出しのように気取って呼ぶことに代表される女性の価値観を揶揄した「スイーツ(笑)」"

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"それで実は、この原稿の主旨は、「以前、『賢い動物』というキーワードで検索をかけたら、『もっとも愚かな動物=人間』という記事がたくさん出てきた。せっかく『賢い動物』の話をしようとしているのに、なんで自分の話ばっかりするんだ、歪んだ自己愛だ、そういうところが嫌いなんだ人間の」となる予定だった。が、念の為検索し直してみたところ、ほとんどそんな記事は出てこなかったのである。これは一体どういう事態か。夢でも見たのか。人間に冤罪をなすりつけてまで嫌がろうとする自らの暗部を見たような気がした。"

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"メガロなんとか杭全の一階にある元旦から営業していた喫茶店が、ショウケースのサンプルの値札が筆ペンで書いてあって、店先でロールケーキとまんじゅうを同時に売っているようないい味を出していたのでやはりまた拝みたい"


↑「いい味を出している」とはこういうことだという例文そのもの

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"祝日のバリアフリーという言葉が頭をよぎった。誰もが歯を食いしばったりせず、この日が来てよかった、と思える日が来ないだろうか。「景気」という言葉の呪縛から逃れて。お祝いの日を、消費のために消費するのではなく。"

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"帰路の新幹線の中を漂うゆるさ、これがわたしにはとても心地よい。東京の規則的な雑踏から、大阪の混沌とした人込みに戻るまでの、長くて短い猶予としての新幹線の車上。そこには、不思議なモラトリアムがあり、「東京」の余韻が幸福感に昇華され、あわく穏やかに漂っている。"

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"心身ともに、自分のことがますますわからなくなってきてもいる。最近、左手の親指の先に軽い怪我をしたのだが、昼間の会社の仕事で左手の親指の先をものすごく使っているということを、実際に作業をしてみて痛い目にあうまで気が付かなかった。仕事の一つに、紙を三つ折りにする工程があるのだが、親指で押さえていることを知らなかったのだ。何年しているんだこの仕事を、と愕然とした。"


↑これは誰しも身に覚えがあるはず

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"二十歳を過ぎても自分は大人ではなかった、とときどき思い返す。理由は明確で、その当時、わたしは冬でも喫茶店に入ると真っ先に冷たい飲み物を注文していたからである。どれだけ、寒い寒いと言いながら店に入っても、体の表面が温まる保証を得ると、すぐに冷たい飲み物を注文して、体を中から冷やしていた。ひどい時は、屋外の自動販売機で飲み物を買う場合もそうで、つまり、体の内側と、口から入るものの温度の関連性について、まるで頓着していなかったのだった。"


↑これは誰しも身に覚えがあるはず・Part2

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"行列を忌避する自分は、いわゆるノリが良くないのだ、と思う。"

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"朝は泥靴の裏のような仏頂面"


↑仏頂面の中でもなんていい表現

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(鼻毛についての話で)"周囲の空気が悪くてそれが本体に不都合となると、勝手に毛を生やすシステムなんて、開発にいくらかかるんだろうと考える。フィルターが降りる、ならなんとかなりそうだが、こちとら「毛を生やす」である。"

↑こちとら😂

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"様々な悪態はあれど、他者へのもっとも手厳しい罵倒が「友達がいなさそう」である人は多いと思う。この言葉には、「友達のできなさそうな人」と相手の人格の根本的な部分を攻撃している分、バカにもブスにもない威力がある。"

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"パイは限られている。それをどう分けるかじゃなく、どう増やすかの工夫について、もっと話し合われたら良かったのに、と思う。"


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『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』大前 粟生

映画化して気になってたものを原作から攻める

「少数派のわたしたちだけど、大多数のあなたたちより特別な感性を持っています」みたいな、なんか謎のマウント取られている感じがして萎えた、
さいきんの「繊細さん」とかもそうなんだけど、わたしたち生きづらいね!それに気づいてほしいね!!無意識の加害性!!!みたいなのってうまくいえないけど傷ついてしまう
(少し違うかもだけど)わたしはヘテロ(異性愛者)なので、かといって同性愛に偏見を持っていない(なんで同性婚って認められないんだろうねえおかしいねえとおもうし、息子や娘がもしそうでも全然かまわない)側なんですが
「ヘテロが当たり前だと思うなよ」「だれしも恋愛するわけではないです」みたいに言われるとなんか悲しくなっちゃうんだよね、それは同等の傷を与えるというかだれもしあわせにならない

と思って、ちょっと自分の性だの愛だのの対象の度合いを調べたら(そんなたいそうなものではなくて、無料でネットでてきるような簡単なやつで)
「チャンスさえあれば・グイグイアプローチされたら、同性に傾く可能性が大いにあります」みたいな結果が出て
へえ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜???????
と感心してしまった、
感心したけど、感心しただけ、今はまだ

そしてなぜに偏見を持っていないのかというと、わたしは夫のことを「男性だから好き」と見ている割合がかなり多いように感じていて、
だから同性愛(に限らないな、性の定義がそんなにない人)の「その人だから好き」で成り立っているところにものすごく羨ましさや眩しさのようなものを感じるからだ、
あなただからよいという、そんな関係を批難するなんてわたしには到底できない、むしろそこまで好いてくれてありがとうではないのか

余談がすぎた

収録2作目も、通してつまりはその訴えをしたい、という印象を受けて、目が温泉卵みたいになっていたんだけど
収録3作目が飛んでSFで、最近読んだどの作品の中でもグンを抜いてよかっっっったので、表題作よりぜひこっちを読んでください……
『バスタオルの映像』というタイトルです


"ぬいサーはぬいぐるみを捨てたことがなくて、ぼろぼろのぬいぐるみがたくさんある。ゴミ捨て場に置いてあるのを拾ってきたり、ぬいサーのことを聞いた学生かだれかがときおりBOXの前に放置していったりするのを部屋のなかに迎え入れる。でも麦戸ちゃんがいま持ってるぬいぐるみほど傷ついてるものはなかった。
かわいそう、と七森は思って、でも、かわいそうだなんて他人が勝手に思っていいことかなと思い直して、かわいい、ともう一度いう。
「名前は?」
「ないんだ。つけられないでいる。名前をつけて、あたらしい子にするのが安心になるのか呪いになるのかわかんないから。なにも考えずに適当につけてしまったらいいのかも。でも、そんなことをするにはもう時間が経ちすぎてる。」"

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"カラオケにいった、漫画の貸し借りをしあった、授業中に電子辞書のカバーに隠してポケモンの対戦をした、映画を観にいった、家にいった、泊まった、登下校も休み時間も長く長く過ごした。きのうのようには無理だけど、一か月とか二か月前のようにはヤナたちと過ごした日々を思い出せる。それでももう離れた。"


↑高校のときの友だちと卒業後に会ったときはこれにしかならないよね、それでも もう 離れた

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"なかなか落ちてこない雨のような会話をした。"

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"私の「恋愛」へのノレなさは、「恋愛」にノルのと同様に社会的なものに過ぎなくて、さびしかった。
みんな人間で、なにをいうのが、なにを聞くのが失礼になるかわからない。「恋愛」とか「男女」とか、主語が大きい話は、大きい分だけ、ひとを疎外したり、傷つけたりしかねなかった。私自身がそういった話題で傷つくというよりも、傷つくひとがいるだろう、ということが私には大事だった。私の心には私に想像することのできるものたちが私以上に幽霊みたいに住んでいて、私をかたちづくっていた。"

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"フェイクニュースを作って、それがじわじわと確実に、「男」とか「女」とか「日本人」とか「外国人」とか、ひとをなにかにあてはめるためにある言葉を強めて分断のきっかけを生んでいる"


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『星へ落ちる』金原 ひとみ

"行き交う人々を見つめながら、前に住んでいた所とは大分人の層が違う事に気づく。高級住宅地にあったマンスリーマンションと、この下町風オフィス街。どっちが良いという事もないけれど、住む場所が変わるだけで、こんなにも街並みや人々が変わるものなのだなと実感する。前の街は、道行く人々も街並みも何かの皮を被っているような感じがして、偽物的ではあったけれどその統一されて落ち着いた空気がむしろ心地良かった。この街では、人々も街並みもどこか剝き出しな感じがして、気をつけていないとすぐに生な、臭いものが目に入ってしまいそうだった。"

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"目を見開いたままキッチンに行って蓋を開けると、コンロの火を付けた。その場でしばらく待ってから、お玉でスープ皿によそる。牛肉とタマネギとにんじんとセロリ。自分がせっせと四角く刻んだ野菜をせっせとぐちゃぐちゃに咀嚼する。具を食べてしまうと、スープを飲み干した。彼と食べようと思ってずっと待っていた、今日初めての食事はこうして二分で終わる。"

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"ベッドの中での彼とのまどろみは、クロワッサンのさくさくした部分とか、耳かきを耳に差し込んでがさがさ音がした時とか、菓子折の包み紙の匂いみたいなものに似ている。しばらくだらだらと抱き合ったりじゃれ合ったりした後、その時間は彼の携帯の振動音によって終了する。"

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"コンビニのおにぎりはぼそぼそしている。お米がお米じゃないようで、お米じゃないものがお米を演じているように感じられて、あるいはお米がお米を演じているように感じられて吐き気がする。粘土なんじゃないか。猜疑心を捨てられずご飯粒を一粒、親指と人差し指で練る。べたりと潰れたそれは、気持ち悪いくらい青白い。食べかけのおにぎりをぐしゃりと潰すと、中の具だけを食べて残りをゴミ箱に放った。もう一つのおにぎりも、具だけを食べて捨てた。"


↑前半のお米への罵倒が罵倒なのに秀逸すぎて笑ってしまった

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3話目(サンドストーム)で、やっとあっこれって短編集じゃなくて一冊で続いてる話だ!と気がつく(わたしこのテの気づきいつも遅い、タイトルが独立してると話も独立していると思い込んで読み進める悪いくせがある)、
1話目で、これ職業すらうやむやな設定のまま ここまで読ませるひとつの話にするってすごーいなー!と感心していた(ちゃんと後半で明かされた)
最後の最後で読者の全てを代弁してくれるひと文が入っていたので救われる、
画像検索時に帯を見てしまい、この1冊の内容をその文ひとつにすべて要約されてしまったので、何も知らないまっさらな状態で読めてよかったなと思う


金原さんと綿矢さんが芥川賞を受賞した当時、母親はやけに綿矢さんを推してて、それは金原さんは性の描写が多くあるせいで年頃の娘にあまりすすめるものではないというゆえだと思うのだけど(『インストール』も大概な内容だが)、
大人になって、「セックス」が、あの声をひそめて色めき立つよな会話だったものが、お茶を飲むとか洗濯を干すとかと同様に、ただの日常の動作のうちのひとつでしかなく話題にあがる身としては
「単にそうである」だけな気がしている、





文学賞の審査員をする際、金原さんが一貫してこのスタンスなのが好きだ、と誰かが言っていて、それ以来すごく興味を持ったのです
他の作品も読みたいな

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『家族』村井 理子

4月に読了してて、すさまじいなーという錘をわたしの中に未だたしかに垂らしたままです、
もちろんかなり偏りのある体験と見方であるとは承知のすけだけれども

+「アラレという女」という章題のパンチが強くて たまにぼそーっと唐突に「アラレという女…」とゆってしまう(なんだそれ)

読み終わったあとに、どこかに誰かが書いていたレビューに

"「琵琶湖のそばの田舎町に私は二人の息子と夫、そして愛犬とともに暮らしている。(中略)育った家とは正反対の穏やかな空気に満ちたこの家で、常に心の片隅に両親と兄の存在を感じながら、私は暮らしている」
というエピローグに、本編ぐらいの壮絶さを体験しないと今の平穏など手に入れられないのでは"


みたいなことを書いている人がいて、それも妙に残っている
そんなことはないと信じたいし、自分にとってしんどいものから距離を置くのは当然のことであると思いたい
「愛」と「家族」は振りかざすものではない


わたしが盲腸になったときに執刀してくれた医者を、子どものお迎え時によくと言える頻度で見かける

彼女はバスで通っているらしく、バス停がそこにあること、そもそも従事している病院がそばにあることが理由でしかないけれども
わたしにとっては手術というそれなりにオオゴトなことであれど、彼女にとってはやはり日常なのか、こちらのことを少しも覚えておらず 挨拶もなにもせずただお互い通りすぎてゆくなのだけれども
「わたしの内臓を見た人がそのことを知らずに目の前にいる」という事実がなんだか可笑しいな、とおもう、

これに似たことは?と考えると、マジックミラー越しに女子高生なりがちんちん舐めてくれるやつ?(なんていうの?)かなって
街で見かけてあーあのおじさんいっつも来てくれる人だ、って気づくみたいな、なんかそういう話、なかったっけ


こうやって思考が性に辿り着きがちなのがおそろしく自分で安心する

୨୧‥∵‥‥∵‥‥∵‥୨୧

さいきんの日記✍🏻

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ずっとずっと、「絵が描けないこと」がコンプレックスとしてあって?正しくは「デッサンなどロクに学んでもいない人間が、過去に絵を展示したり対価をいただいていたこと」に?だ、

罪悪感みたいなもので押しつぶされてて何年も絵と距離をとっていたのだけど(そもそも近い距離にもいれるほど描いてもないけど)、
わたしのことを昔から知ってくれている人(ありがとうしかない)から「マヌさんの絵が好きです」「また描いてほしいです」って声をかけられることも、完全に忘れられることのない頻度であったりして

そう、それで、ポケモンをするようになってから、キャラが好き→好きだから描く、っていうのをしてみたくなって(してみたいっていうより無意識にしちゃう、ワーそれでこそ「好きなもの」だ!)。
その結果、自分がいかに描けないか、ということを再三おもいきりビンタでくらっている最中(世の中の人、キャラを自分のモノにするの上手すぎでは…)

まず「自分の画風」があるほどなんにも持っていないし、「毎日描いている人の線かどうか」は見ればわかってしまう、
面でとらえられなすぎ、視点がおかしすぎ、たたけばいくらでもホコリが状態だけれど、とにかくウジウジいっててうまくなるわけはないので、基礎となるジェスチャードローイングをちゃんと毎日数分でも続けようと決めてから約2週間🚗
どうにかおやすみの日もちゃんとやれています(いまのところはここにお世話になっています、便利な世の中 ありがとう文明)
苦手はやらなきゃ苦手のまんま


以外にもなるだけ、毎日とにかくデジタルアナログ問わず「描く」ようにはしてて、それらを見られる(サボらないようにする)ためにインスタのストーリーにあげているんですけど、ほんとに恥ずかしいし(裸体でスクランブル交差点)、朝どころか数分後に見返すだけでもは〜〜〜消したい😇獄門首、ってなっているんですけど(けどけど)、ふと「今日から毎日少しずつでも積み上げていけば、40歳になる頃には自分の絵のことを許せるのかな」と思えて、ほんとにそうなれたら人生に救いがある気がしたからです


わたしの「自分の絵を許せるようになる」のその意味は、「絵で仕事がしたい」とか「たくさんの人に見てもらいたい」とか「感動を与えたい、楽しんでもらいたい」とかそういうことじゃなくって(どんなにうまくなっても上には上がいてイヤになるとかいいますし、絵は!)、上の理由でいうなら「恥じない絵を描けるようになる」とかかもしれないけど、
ただただ突き詰めれば、「自分の頭の中で想像した画をきちんと手で表せるようになる」に尽きる気がするよ

(ただこれはアニメーターレベルのことがしたいって意味になるので、ハナで笑われちゃうなとおもう)


そんな、いろんな意欲みたいなプラス面も、日々のささくれたマイナス面の発散も、ポケモンに大きく助けられています
(なんていうと大げさ?にきこえるね、もうちょっと多分実際はまろやか)


(以下、わからない人にはちょっとナニユッテンダ( ˆ̑‵̮ˆ̑ )ってなりそうな話をごめんなさいなのですけど)

そう、そんなポケモンSVのキャラたちの二次創作を見ていると「おうおう!みんなペパくん(私の好きなキャラ)を少女漫画ギャグ女体化受け攻め好きなようにいじくりまわしよってに」とつっこみたくなるのですが(キャラクターとはそういうものです)、個人的にとにかくペパくんはアオイちゃん(主人公♀)とくっついてくれ…と切望してしまう、
カップリングさせるなら、わたしはチリちゃんはアオキさんと、グルージャくんはカエデさんと、がしっくりきちゃうんだよな
理由は、自分がどうしても異性愛者なのと、「同じ時間を多く共にする人同士が恋に発展する」と信じているからです、何度でもいいますけど…(時間が共有できていないと気持ちや感情も共有できないから!アイドルやネット配信者にガチ恋しても叶わない、気持ち悪がられるだけなのはこれが理由だとおもいませんか)
(ただオモダカさんとチリちゃんの組み合わせもすご〜〜くよくわかるし好)
(「となりのクラスの〇〇くんが好きなの」みたいのも、部活もクラスも違うのに??いつどこに好きになる理由??とおもうし、
文化祭でラブが発生しやすいのは、まさに同じ目標に向かって同じ時間を過ごすからでしょうよ…)

自分のはなしばかりで申し訳ないけれども、5ラブランゲージ(↓下記参照)の優先順位は「5がぶっちぎり90%(挿入しなくていいどころか純粋なふれあいだけの意味でも90%)、4と1もそこそこ重要60%、2はあったら嬉しい20%、3はゼロでもいいくらい」という感覚ゆえに?ペパくんとアオイちゃんは ただただ2人でサンドイッチとか作って ほほえましくなかよくしていてほしい〜 そこが裸体である必要はない〜〜というきもち(その説なら4が最重要じゃないか?笑)

でも世の中のそのほとんどがみんなすけべに持っていく〜〜なんで〜〜〜どうして〜〜〜〜〜


(このときもこのことについてちょっと触れている…)


▼The 5 Love Languages(5ラブランゲージ)

夫婦間や親子間でどのように愛情を伝えていますか?愛情の伝え方や受け取り方は人によって違うというのはご存じでしょうか?
自分は普段から愛情表現をしているつもりでも相手に伝わっていないとしたら、それはお互い違う言語(Love Language)を話しているからかもしれません。
あなたが恋愛でのコミュニケーションで、どのラブランゲージに最も重きを置いているか、つまり、どういう風にパートナーから愛を伝えられたいかや、一番愛を感じ取りやすい愛の言葉のタイプがわかるのです。
また、パートナーと一緒にテストをすることで、あなたのパートナーがあなたのどういう行動に愛を感じるのかもわかります。


1 ◆ 肯定的な言葉(Words of Affirmation)
言葉での愛情表現。
ストレートに「好き」や「愛してる」と言われること / 「いつも一緒にいることができて嬉しいよ」「今日もすごく綺麗だね」などとメールで言われたりラブレターをもらったりすること

2 ◆ 手助け・ヘルプ・サービス行為(Act of Service)
自分のために何かをしてくれるという行動を通して愛を感じる。
面倒な皿洗いを疲れている自分を気遣って変わってくれた / 昇進祝いに好物の唐揚げが食卓に並んでいたなど
サービスとは言っても、尽くしてほしいというわけではなく、日常のない気ない小さな気遣いや行動に愛を感じます。

3 ◆ 贈りもの・ギフト(Receiving Gifts)
ギフトを通して愛を感じるタイプ。
記念日や誕生日にプレゼントを受け取った / 旅行中に自分のことを思ってお土産を買ってきてくれたなど
手作りのものや、その人のためだけに特別にオーダーメイドしてくれたものなども当てはまるでしょう。

4 ◆ クオリティタイム(Quality Time)
二人で過ごす意味のある時間のこと。
二人で思い出になる旅行に行く / 大切な記念日を一緒に過ごす / 二人きりで意味のある会話をしながら時間を過ごすなど
このタイプの人は、一緒にいるときに携帯を触っていたり、TVばかり観ていたりされることをとても嫌います。

5 ◆ スキンシップ(Physical Touch)
セクシャルな触れ合いだけでなく、ハグをすることはもちろん、何気なく腕を組んだり、髪に触れたりすることなど、パートナーとの触れ合いで愛を感じるタイプ。


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絵のはなし繋がりで(そんなことないかも)、これもたいへんに興味深かったので残しておきます





pixivと同時期にTwitterも出たそうなのでその影響も大きいみたい、
俗に言う「漫画はヘンタイじゃないと描けない」を解体するとこれなのかな

"絵なんて描いてりゃ、それなりにうまくなる"にすこし救われている、
と同時に、沖田×華さんがまさにこういわれてませんでしたか、とも

୨୧‥∵‥‥∵‥‥∵‥୨୧

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短編でもすすめられない日々がつづくね( ᵒ̴̶̷᷄ ⌑ ᵒ̴̶̷᷅)気づけば訪れる返却期限
限られた「好きなことをする時間」の中でどうしてもあとに回されがちなきみたちよ、
「"本を読む行為"って元気がないとできない」ってどこかで聞いて、そのときはそうかな?なんて思っていたけれど一瞬うなづいてしまいそうだ!(やや、ただ他にやりたいことが多すぎるだけ)

「人はなぜ夜更かしをするのか?見たい番組がある?やりたいことがある?明日への不安?
それらは全て一つの原因に収束する、今日という日に満足していないから」

夜、子どもを寝かしつけたあとに起きて何かする行為は自虐行為にあたるそうなんですけど、そんなことゆったらもう生きていけない日々すぎませんか?
夜更かししてもフルにまでは満ちないことのほうが多いのに!(んん?だから素直に寝なさいってこと?😂)

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― 『田尻智 : ポケモンを創った男』宮昌太朗/田尻智

"『ポケモン』にしても、最初は「新しいゲームを作った」という思いで作ってるんだけども、それがひとつの市場のように見えるところまで育てたのは、ちょっとゲーム制作と違う仕事をしたからだと思うんだよ。その後のプレゼンテーションも含めて。大きい市場があることはわかってるし、新しいビジネスの可能性も見える。たとえば、衛星放送の専門局を作る、とかね。 ディズニーがラジオ局をやっているのと比べればわかりやすいと思うんだけど、新しいゲームをつくったというよりは、新しい世界観を作ったということだと思うんですよ。"

↑ほんとうにこれ…ポケモンは新しい別の世界…ディズニーしかり…


"プログラマーと話をしても、納得して制作に取り組めない。プログラム上のポリシーが違う。僕としては、ゲームを作るんだから、ゲームにしたい。ゲーム作りのやり方はちょっと違うから、そこを直したいって言うんだけど、「いや、これは物理法則に反している」と(笑)。たとえば、ジャンプにしても、飛ぶと地面に張りつくようなジャンプをするわけだよ。でも『スーパーマリオブラザーズ』を見てもらえばわかるけれども、ゲームの場合、穴を飛び越えたら、つま先で引っ掛かってギリギリで飛べたっていうようなジャンプが気持ちいいわけ。そこにプログラマーは気づいたから、『スーパーマリオ』はああいうジャンプになってる。そこをシビアに作ってしまうと、気持ちとしては飛んでるのにミスになってしまう。プログラムとしては正しくても、ゲームとしては納得いかない。だから、あまり物理法則に忠実に作ってもらってちゃ困る…とか、そういうことがあって。だいたい、現実的な現象をリアルに取り込むっていうと、そもそもスライム状のものが飛んで壁にピタッとくっつくみたいな話自体、成り立たないわけじゃない(笑)。でも、こっちはそういうものをやりたい。いろんなところにくっつきたいと思って、飛び上がったらくっついた、そういう現象をプログラムとして作りたいと。でも、プログラマーの考え方と違うから難しいわけだよね。"

↑これは絵や漫画がどこまでウソをつけるのか(デフォルメ)というのの線引き?な〜〜
手塚治虫が『ブラックジャック』に対して東大医学部の学生からの「嘘を描くな」という抗議に対し「東大生ともあろうものが、漫画に嘘があることすら知らないのか」と返したことを思い出す、
3Dアニメとかの、主カメラで見ているとすごくよいポーズをしてても別アングルからでは腕とかえらいことになってる、みたいなことがザラということも


"あとは、北米で発売されてうまくいったことだよね。海外では売れるかどうかについては、はっきり手応えを感じられなかったから。やっぱり僕自身は、『ドラゴンクエスト』のように騎士英雄伝を題材にしたゲームがあって、それに対して異議を申し立てた『マザー』があって―『マザー』は、現代の少年を主人公にしたロールプレイングゲームだったけど、その『マザー』 ですら、舞台はアメリカ郊外の田舎町。そこが舞台で、主人公は私自身であるということに、まだ違和感があったんだよね。それで僕が、プレイヤー自身が主入公であるゲームを作ろうと決意したときに、 『ポケモン』のポッポみたいな、ああいう普通の動物を思わせるようなキャラクターまで許容して、みんなそれぞれが個性を持っているっていう世界を考え出したわけなんだけども。

―そこのところをもう少し突っ込んでうかがいたいんですけど、『ポケモン』の風景のあり方自体、すごく日本的ですよね。

そこはかなり意識しました。つまり、僕くらいの年齢の人間にとって「自分の投影だ」と思っていたものの多くが、アメリカの文化の象徴であったり、そういうものに置き換わってる気がするんだよね。良い悪いは別にして、そういう勘違いをするようなものがあって、たとえば『マザー』がそのいい例。あれを日本人が作るということに、その辺のアイデンティティの曖昧さがあるように思うんだな。だから、糸井さんがロールプレイングゲームの狭量なテーマの持ち方に異議を唱えたのと同じように、僕は『マザー』とそれ以前のゲームに対して、異議を唱えてみようと思ったんだよね。

―それが、あの風景のあり方に通じてる。

ただそれは、あからさまな日本の伝統文化の投影のようなものではない。そこは、現代の日本人が作るものじゃなきゃいけないとも思うし。

―ついこの間、あるゲーム雑誌で"ファンタジー"の特集をやるというんで、テキストを書いたんですよ。で、そのとき痛感したのが、いかに僕らの想像力がアメリカのものに頼ってるのか。『ドラゴンクエスト』だって、アメリカ流に解釈された〝剣と魔法の世界"だし、『マザー2』だって(スティーブン・スピルバーグやティム・バートンが描いてる世界なわけで、決して僕ら自身のリアリティではない。そこには結構、ギョッとするところがあって。"


↑日本はやはりアメリカの犬…🐕(ドラクエは日本でしかヒットしていないそう)

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◆意味

・如何に(いかに) - 読み方を毎回忘れていないか

・強請る(ねだる) - これも読み方

・本懐を遂げる(ほんかいをとげる) - もともとの願いを達成させる。

・穢土(えど) - 凡夫の居るけがれの多い国土。この世。現世。 対義語は「浄土」←ナルトの穢土転生ってこれだったのね(いまさら)

・折檻(せっかん) - 過ちをきびしく指摘することのたとえ。転じて、責めさいなむことや、叱って体罰を加えることの例え。

・夭折(ようせつ) - まだ年若いうちに死去すること(明確な年齢はない)。

・度し難い(どしがたい) - 言い聞かせてわからせようがない。救いようがない。

・涅槃(ねはん) - 一切の煩悩(ぼんのう)から解脱(げだつ)した、不生不滅の高い境地。転じて、釈迦(しゃか)や聖者の死。入滅。わかる人にはわかるハイパーインフレーション

・禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし) - 災禍と幸福とは糾った(縒り合わせた)縄のように表裏一体であり、一時のそれに一喜一憂しても仕方がないということ。

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◆自分へ 読んどいて

『何もしない』ジェニー・オデル
『はい、こんにちは―Chim↑Pomエリイの生活と意見―』


この冬はギンヨウアカシアの木が3本も切られた
見かけるたびに立派だなあいいなあ素敵だなあと思っていたところ、それぞれが

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・車でも家具でもサブスクで"借りる"文化が浸透しているのは
火事でどうせなくなってしまうから と、なんでも買わずに借りていた江戸時代のようだと思う、
でもモノに限らず音楽や芸術なんかの文化までそうなっているということは ということは?


モリスの「親密さの12段階」ではキスより手を頭に触れるほうが上、とのこと


・認知症の女性が「◯◯(子供の名前)にごはんを作らないと お腹すかせて待ってるのよ」と
介護しているその子供本人相手にゆって帰宅しようとするシーンを作品上でよく見るんですけど、
「家事は女性だけのものではない」という今の時代なので 今後変わりゆくのかな


・女性風俗の男は「うちの旦那もあんなだったらいいのに〜!」「紳士!イケメン!最高!」ってもてはやされるのに
風俗の女は卑下の対象だったり「処理してくれる」道具として見られるその差について考えている

こちらをぜひみなさんに読んでいただきたい…(ちがうけど、ウシジマくんの瑞樹の話も思い出す)

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"人は「考えたことを書く」のではなく、いわば、「考えるために書く」のである。 書くということを通じてこそ、人は自分の考えを進めたり、新しい考えを出したりできる. 逆に言うと、考えがまとまらないとか、進まないというときには、書いてみるのがいちばんなのである。"

"一般に、「表現する」というのは、心の中にすでにあるものを外に表すことだととらえられているようだが、じつは、表現するという行為を通して心の中にあるものが変化していくのである。"


- 『勉強法が変わる本』市川伸一

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『孤独な夜のココア』田辺聖子

初の田辺聖子作品
えらく推されてる理由が1編で十分伝わってきた、恋のバイブルって安直だけどそのとおり
句点の打ち方が絶妙… 知ってたけど、小説って必ずしも着地しなくていいんだよ
刊行は1981年だけど40年以上経った今でも古さを感じさせない(むしろ人の気持ちの揺れみたいなものは変わってたまるか、だ)

▼作中メモ

・モチモチした声
・ひなげしの花は砂糖と煮ると咳の薬になる
・しちぶん (ケチなこと、7割)
・フランス映画『悪魔は夜来る』

"書くものによって、いちばん人間はあらわになる"

"怒りというのは、こっちの予期に反する自体、しかも悪く反した事態に発するものである。"

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"男の人の三つ揃いの服というのは、私は好きである。上衣を脱いで、チョッキに白いワイシャツ姿というのは、大倉サンの場合、何となく、なまめかしい感じがするのだった。
つやつやした糯子のチョッキの背中なんか、男のなまめかしさにあふれてる。
お昼休み、私がちょっと早めに席へもどって、あたりを片づけていたりすると、大倉サンはめざとく私をみつけて嬉しそうにそばへやって来て、椅子に馬乗りになり、小声でそんなことをしゃべるのであった。上衣をぬいだ男のなまめかしさに私が気付いたのは、そのときである。
上衣といえば、いつか、部屋の移動があって、ロッカーがみな入れかわったことがあった。 大倉サンは上衣がないないといって捜しまわっていた。私は、何となくカンが働いて、となりの課のロッカーと入れ代っているのをみつけ、大倉サンの上衣を無してきてあげたことがある。私はその上衣を、何となく、キュッと抱きしめたい匂いでもかいでおきたい気持におそわれながら、でも、そんなことしなかった、とうとう。"

↑短編集なんだけど「春と男のチョッキ」がすごく好きでした

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↑ここに至るまでのそこそこのページ数をあたたかさで満ち溢れさせておいて(ただの死亡フラグといえばそれまでなんだけど)、「あのころほど充実した深い時間はなかった。」のたった一文だけで一瞬にしてこなごな・この後の不幸を決定付けるからすごい🫢

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"本作品で女性の主人公たちに触れるにつれ、感心してしまうのは、女性の主人公が男性を囲いこむやさしさを持っているところだ。シャワーを浴びてずぶぬれになった男性の身体を、大きなバスタオルを広げて待ち構え、さっとくるんであげるような包容力を彼女たちは持っている。恋におちれば舞い上がってしまい、相手の男性の悪いところはぼやけて良いところしか見ない、または悪いところも良いところのように見解えて、どんどん自分のなかで彼を理想の人に仕立て上げてしまうところがあると思うけれど、本作品の主人公たちは恋愛フィルターで目を曇らせてしまうことがなく、わりと冷静だ。男性が疲れているか、なにを食べたいかなどを把握して、満たしてあげている。好きな相手を、一個の動物として見ているから、子どもみたいにあやし、遊ばせる。
頼れる、守ってくれる人がいい、自分よりデキる男の人がいい。そうではなく、むしろ男の人の幼い、世間の色に染まっていない、自分で自分を飼い慣らせていない部分を愛する。でも決してだめな男が好きというわけではなく、あくまで微笑ましい部分を愛している。"
"男性が思わず守りたくなってしまうカワイイ女性を目指せば、いかに相手の大きさよりはみ出さず、いかに後ろから抱きしめられやすい女性になるかが課題だけれど、田辺作品ではいつも女性の主人公ののりしろが相手の恋人の男性より少しはみ出している。"
"また、被害者意識がない、一人よがりじゃない、相手に依存していないところも本作品の主人公たちの特徴だ。 不倫の恋でも子どもができちゃっても、早く奥さんと別れてとせまることもなければ、産ませてまたはどうしてくれるのと相手を責めることもない。もしかしたら相手を困らせてしまうんじゃないかという自分の要求を相手にぶつけることはせず、自分の内で決着をつける。"

↑最後、綿矢りささんの解説にも感動する

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以降、ポケモンがわからない人にはちんぷんかんぷん…ってことも多いのですけど、絶対に今しか書けないと、あとからきっと思うので残します、(個人的に、たとえ自分はそれについて今名前を知りましたぐらいの理解度だとしてもだれかがとても好きなことや人やについて好きなだけ話しているのを見るのが好きなので同じような人がいたらいいな、なんて 都合のよいことを)




ポケモンSV(昨年11月に発売された最新作・9作目)が楽しすぎて毎晩旅に出ています、図鑑も完成させたよ
シナリオがよすぎるから記憶消してもう1回やりたい、、とやったひとみんなして口をそろえていう傑作
それにキャラがみんなえらく輝いていて、わたしは見事にペパーくんに恋をしています ペパペパ💓ໂ‧͡‧̫ໃ

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先日泰行さんのライブに行ったのですけど、おかげさまでてんで書き留めもしない
まさか、あの、マヌちゃんが…⁝(ᵒ̴̶̷᷄൧̑ ᵒ̴̶̷᷅ )⁝!?笑



LIVE in the DARK
2023/01/14(Sat)
@バンドー神戸青少年科学館


またプラネタリウムでだったの(前回のレポ)、同じ公演をおかわりするって人生で初めてかもしれない…

しかし!上記のとおり びっくりするほど気持ちが彼に向いていなくて、他にのめりこんでいるもの(ポケペパ)があるってすごいな〜と感心しつつ、一応座席を確認したら最前列の真ん中のいちばんいい席とゆってもよいくらいのところだったのでそこそこ持ち直しちゃうあたり、チョロいなあ ずるいなあ…

それでいざ始まったらインストアのとき並みに近くてさ、「あーわたしが今までもこれからもずっと好きなひとだ」とただただ思った、なんだか熱の種類が違った、この安心は💭

それはそうとなぜスウィートソウルをセトリから外したのですか泰行…



家族と会場にいたゆえにラメちゃんからもらった泰行さんアクスタの撮影が雑行…

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ゲーム自体をするのがとてもひさしぶりで、こんなに人に感動を与える仕事ってすごいなあ、と尊敬と夢をみてしまった、

さいきんのポケモンは無機質っぽい、生き物めいてないとよくささやかれるし私もそう思っているけれど
ポケモンやトレーナーキャラデザインの製作者名の中に、漫画家の市川春子さん(『25時のバカンス』、さきちやんに借りたなあ)がいてものすごく納得したの💡

あとは、島崎麻里さんも存じなかったのだけど なるほどゲームキャラをたくさんデザインしてきた方で、ポケモンの世界に合わせるんじゃなくって島崎さんのらしい絵柄をキャラにした、という印象を受けた…

そりゃあ餅は餅屋ですよね、求めるべき仕事のできる人のところに仕事はくるものだ!とわかってたけど、わかってたけど!少ぅ〜〜しだけさみしくなった
(もちろん仕事としての最低限の守るべきものはあれど)外に歩み寄るよりも内の好きを形にしていれば、向こうからやってくるものなんだ
(そこはもちろん?わたしよりぜんぜん年下の新進気鋭な方々もいらっしゃっるので、ベテランでも新人でもチャンスは誰にでもちゃんとある)

どの分野でも、憧れだなあ、そんなことができたら死んでもいいよ、と思う境地をただの日常として暮らしている人がいるのが世界だ
(しかし そこにはまた別の苦労がきちんと存在することも知っています)

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わたしは自身は「ポケモン?好きだよ〜*:・*(•︠⌔︡•)*:・* 」くらいの温度だと思ってたんですけど、
今作で「ものすごいオタクといえるレベルだったのか…ᐠ( ᐝ̱ )ᐟ」とようやく気づいています…
(いろんな人に「マヌちゃんがオタクじゃなければだれがオタク…」といわれた / オタクっていうよりガチ勢??)

だって別にHPみがわり計算とかしませんもん、
フリーバトルだけでランクバトルはしません(でした)もん、
XY(6作目)以降はちゃんと自粛してましたもん、
リメイク版や派生ソフトはひとつもやったことないですもん、
っていうのが言い訳(?)だったんだけど

いよいよランクバトルもチャレンジしちゃったし、それもちゃんとマスターボール級(オンラインバトルで勝利を重ねて辿りつける最上級のクラス)まで行ったし、色違いをパーティ全員のボールをかぶらないように揃えたり、個体値や性格厳選したり、色違いや証付きの子を探したり、
そしてそれをほぼ毎日インスタのストーリーにアップしているのを、人は「オタク」と呼ぶのではないのでしょうか…わからないけれど…
(自分でも、よく今までガマンできてたねえ!っておもえるくらい日々がポケモン一色でびっくりしている、あと負けず嫌いさにも💪)

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マスターボール級まで行った人の総数はだいたい〜18万人くらいぽいので(明確な順位が出る)、そんな!?勝ち抜いてきた猛者が!?18万人もいるのに!?なぜ日常的に、バトルはおろかポケモンやってます🤗っていう人にすら出会わないのかな!?!?
っていうの、とてもふしぎ
(って!打ってて気づいたけど国内じゃなくて世界での統計だからかな、そっか…納得…)

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ポケモンのいいところは勝つことが頂点じゃないところ、楽しみ方に正解がないところだけど
やるからには上にいきたい、と思うのはまちがってないよね?

(ヤビちゃんは「最高になつかせるのが至福…」とゆってたし、わたしは「この子が好き!では活躍させるにはどんなパーティーを組もうかな」「こんなパーティーあったらおもしろそうだな」が軸で、「じゃあせっかくなら色違い狙ってみようか」「このボールに入ってたらさらにかわいいんじゃないかな」が次にくるので
どれかというとバトル勢なのだとおもう…ネモちゃん…)

それも、テンプレな この子たちを使っていればだいたい勝てる、で積み上げていくんじゃなくて(もちろん努力値振りなどたいへん参考にしているけれど(考えてさらに掲載してくださる方ありがとうございます))ちゃんと自分の好きな子たちで、と願うのは欲張りだろうか…ヨクバリス…🐿(ペパ)

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ポケモン、完全に見た目だけならこの子↓たちに目がハート💕😍モチモチ・ニュッと出てるのが好きなのかも…



見た目はもちろんとして特性やバトルで活躍するところを含めると、この子↓たちがとても好き



今回推しのモスノウしかり、ミロカロスもクレセリアもグライオンも害悪の一歩手前、
エルフーンほどいかないかんじの子たちにものすごく惹かれるっぽい(技構成にもよるけど)、
変化技でネチネチからめとるというよりは、防御ステータスが単純に高めで火力もそんなに悪くない的な…

そしてこの嗜好は、小学6年生の金銀(2作目)全盛期に、片想い中だった男の子のフリーザー相手に
ツボツボのかげぶんしん+まきつくで勝利を納めたことがだいぶ要因なんじゃないの、と思ってる
(好きな人相手にやる行動じゃない😂)



当時、この攻略本一家に一冊・見ない日はないレベルであったとおもう
うちにはなかったけど(矛盾)

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今作は、男女でも髪型や顔パーツの選択に区別がないと知り(最初のキャラメイクでも性別を選ぶのではなく「あなたのイメージは?」って8枚の画像から選ぶ)
いつも(上)とおんなじメイクのまつげなしバージョン・髪を短くして色も暗め・まゆげいじり、で男装させたりしても楽しんでいます🎩



プレイしてても、男女どっちかわかんない…っていう見た目の主人公メイキングをしている人が多いなあと感じてて(↑この場合、左2人は女の子、右2人は男の子)。
女子でもおめめうるきゅるの人よりも、ツリ目のイツそうな人が圧倒的で(そもそもの選べるパーツがかわいい/かっこいいに振ってない)。

私は女の子を選んで、何気なく「おっぱいちっちゃいな〜」と思ってたんだけど、その何気なさがきっとゲームというものの上でのものすごい革命的なことなのではと…
今作はジェンダー系?の配慮がすごくて、体育の先生が女性・家庭科の先生が男性とか、学生といえど祖父母ぐらいの年齢の人も当たり前にいるとか。

私は古い人間なので、「男は/女はこうあるべき」の考え方を見事に植え付けられて育っていると自覚しているので、男装するにあたり、髪が長めのとか「かわいらしい男子」も試してみたけどけっきょく黒髪短髪の「らしい」のにしっくりきちゃったんだよね、いつもの女の子バージョンのまつげばっちり感からもわかるよに…
一目でわかる、性別に白黒つけようとしてしまうところがある

それが苦しい人もいるので「なんでそんな中性的なの?」ではなく「そっか〜!あなたはそれがいいんだ〜!わたしはこう〜!」というスタンスでいることを忘れない
そうよ、だからこちらの「性別がハッキリしてしまう」のもどうか責めないでほしい
お互い押し付けず理解していきたい

((話は戻るけれど)だからさっきの、「おっぱいちっちゃい」と思ったのも「(2次元の)女の子は大きくあるべきだ、それがよい」という考えに毒されてきたからなんだよね、すごいよね こわいねえ)


少しずつ変わってるよ、世界

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わたし今まで、2次元はどうがんばっても運営の掌の上じゃん、恋するだけ無駄…とあきらめに似たところがあったんですけど(多分、長年のブログ読者はひしひしと感じていたところではあるでしょう)
たくさんの人に好かれて、それぞれでまた芽を出して作られていって、みんなの中で「生きる」ものなのだなとやっとわかりました ペパーくんのおかげ…



あくまでゲームとしてのポケモンが好きなので、アニメや映画やカードやグッズやはまったく…なんだけどペパくんのなにかには手を出しちゃいそうだ🤤しゅき


"「キャラデザインってのは他人が描いた時に魅力が倍増するのが最高のデザインだと思うんだよなぁ。自分が描いた時点でピークを迎えちゃうのは普通に個人のキャラ絵でしかないじゃん。」みたいな事言われたの凄く印象に残ってる。"


それで、その好きを掘り下げていくと2次創作に触れる機会がどんどんふえるわけで



これに すごく 膝を打ったわけです…🤯


同時に別の方の「"いつも朝の電車がおんなじ"みたいな理由で好きになって、募らせてこっちの気持ちが昂ったときにする一方的な告白ほど最悪なものはない」みたいなのも見たんだけど
前に話した永六輔さんのこれ(ぜひ読んで)と同じで、「同じ時間と感情を共有する」ことが重要だと思うのね、

だから今作のポケモンで、あれだけ壮大な旅をして!世界も救って!みたいなホームウェイ組の4人だけど
セックスひとつでそれをやすやすと越えられるのか…って思うと、まさにセックスすごいなーって気持ちと なんだよもうそういう仲だと勝てないじゃんの気持ちが入り混じる、ぽかすかケンカしてる

「その人にしか見せない知らない表情ある」「感情の共有」という手段としてセックスはこの上ないけどさ(これも川上未映子さんのとつながるな…)
今の世の中(に限らないけれど)、性やら結婚やらの形が「関係の最上級」ではないことも十分存在しているはず

『推しの子』の101話でゆってた「セックスは相手を知る手段のうちのひとつでしかしかない」という言葉も置いておきます


あと単純に、性をなしにして人を引きつけようとすると、膨大な時間と人の力とドラマが必要になるわけで(毎週1時間放送を半年間とか、連載何年/単行本も2桁とか、届ける時間以上に作る時間も)、それを二次創作でするには無理というか、ー次の基本がそこ(性愛以外の感情)なので、二次でそれを表現する必要性がないのかもしれないね

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小1の息子もポケモンプラチナ(4作目/ニンテンドーDS)をプレイしはじめ(ゲーム自体がはじめてで3Dスティック操作がむずかしそうだったので、十字キーから慣れさせようとおもって)
毎日、おうちに帰ってきてからごはんできるまでのその時間がものすごく楽しそうです· ゚ ༘✰

わかるゆえに、ついつい「なんでそこでほのおタイプを出す…」みたいな、せっかくの楽しみを折るようなことをいいそうになってだめなんだけど😇



わたしがはじめてポケモンさわったのはブルー(1作目)でたしか小学2年生のころだ、
お兄ちゃんのゲームボーイ借りて、庭先に座って、ニビシティのポケモンセンターにいるプリンに話しかけると歌ってくるくる回るのがかわいくて電池切れるまでずうっと話しかけていた、
当時のゲームボーイは充電式じゃなくて単三電池4本で動くから、それを親に新しいのを買ってくださいとお願いしなくてはならず、いい顔をされないからやだなーとわかってても、それでもプリンに話しかけてた

(トレーナーのミニスカートが「友達がかわいいポケモンばっかりもっててくやしいわ!」と絡まれ
バトル後に「ピッピってかわいいよね〜、ねえちょうだい」って(あくまで物語の演出で)言うんだけど、
それに律儀にピッピ捕まえたあと話しかけた人は友達です。なんだもう、当時から十分オタクじゃん( ˙σ-˙ )ホジホジ)

それに比べて、ちゃんとバッジを集めてる息子はとてもすごいーな👏
ポケモン捕まえるのとかジムリーダーを倒すとか、ちっちゃな成功体験が積み重なって教育的にもよいなとおもう(ゲームって総じてそういうものだけど)

安心して たくさん冒険してください🗻


ちなみに娘も、わたしのをよく奪って
学校最強大会かフィールドをうろちょろしています、「またミモザせんせいだ〜」とかゆってます😂
まだひらがなも読めないけれど、技などはマークでなんとなくどんなのが出るかわかるみたい
彼女はトリトドンが大好き…🌊🐌

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「我が子とポケモンを一緒にやる」だったり(通信交換とかの一緒にやる醍醐味に全然到達してないけど)「ともだちと電話実況しながらバトルしたり図鑑埋めたりする」だったりの、長年なんとなく「叶ったら楽しいよね〜」と思っていたことが、きちんとほんわりと形になっていってて、
そうだった、夢って叶ったから何かが劇的に変わるわけじゃないんだけど、やわらかくて地上からちょっと浮いてるから心の中の満たされた液体がゆらゆらちゃぷちゃぷして日々を照らしてくれるのだった、人はそういうのを充実や幸福と呼ぶんだった、思い出した


自分は誰にとってもいてもいなくても良い存在、に押しつぶされないようにするのにいっぱいいっぱい
それがどれだけ特別なことだったか、
社交辞令だったのに 自分だけに向けられたものと勝手にかんちがいしたのはこちらだというのに

身のほどを知れ!って言い聞かせていかないとすぐに調子にのってしまうから
自分じゃないだれかの功績を纏うな

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前回のブログのはなしのつづきで、
映画を観るなら「吹き替え」じゃなくて必ず「字幕」を選ぶ、というのも「活字が好き」っていうのと関係あるのかも、と思いつきました
わたしはどうしてもアニメとか映画とかの、製作者がいっぱい演じ手もいっぱい、っていうのが負担なのだよな
「演じる」という点で作者の手から伝えたい意図が離れている気がするんだよ??、?よくわかんないけど
本が好きなのは、演じている主人公を見ているんじゃなくて主人公そのものになれるからなのかもしれない(すいません今思っただけの適当なことをいっています)

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ヲタクの人たちに、「好き」な何かをたずねると、その多くに「あんスタ」と返ってくるので
そんなに誰しにも魅力的に思える誰かがいるってことですか!ではわたしも!と身勝手に期待して見るんですけど、
一人称が「俺様」とかの人がいる時点で無理!ヒェイとりはだ!ってなってしまう、
雑誌の半分よりうしろによく組まれている、ジャニーズだか韓国めいたグループの売り出し記事を見ても
ふ〜んこれが世にいうかっこいいなんですか〜( ˙σ-˙ )という心の凪、たとえそれがかけだしでも有名だとしても

じゃあどんなひとが、といわれると ほわほわしているひと がいいなあ(なんだろうね、でも見られることを前提としている自覚しているふわふわは違うんだよな)
なんでこういう人は恋愛ゲームの相手として用意されないんだろう
まずそんなひとはアイドルにはならないのか…

理想的なキャラクターを挙げて、と問われたらわたしは『ひらやすみ』のヒロトくんをあげます
だからなのかな 2次元にハマらないのは 説得力として申し分ないのかな

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Jerry Paperさんを、高樹さんが「ヘンなおじさん」と称してて ですよねーと納得するなど
わたし、「曲と内容どちらもよくておすすめしたいPVを挙げてください」と言われたら
ここ数年は彼の"Cholla"なんだけど(ぜひみてみてほしい🏜)
紹介されてた新しめの"Just Say Play"もだいぶイカれてた、ヤッベーなという気持ち🚗

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今日からポケモン新作発売ですね、お買い求めのかたぜひフレンドになりましょう(XY以来プレイしていないのでそういう制度があるのか知らないけれども / ないわけはないはず)
わたしは息子に御三家を選んでもらって、こっちの世界に引きずりこもうとおもっています✯⌁͛(⚫︎◕ ‧̫ ◕⚫︎)⚡︎ぴかちゅう
バトルも図鑑もガチ勢です みんなに「ぽくないね」といわれようとグライオンがすきです(そしてユキハミ おしり)

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好きとわかっている作家の読んだことのないものを選ぶのは疲れているということ

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『かけら』青山七恵

青山さんすごくよかったので他の作品も読みたくって
でも長編を読める元気がなかったから短編集の薄めのをと手に取ったもの、あいかわらずきれいに着地しなさが絶妙

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"首元まできっちりボタンをとめたポロシャツ姿の父は、そういう風景に貼り付けられた一枚の切手みたいだった。"
"押し付けがましい幸せの鐘の音を、ほとんど動きのない風景が分厚い紙ナプキンのようにゆっくり吸い込んでいく。"


↑〜みたい、〜のよう、の表現としてすばらしすぎる

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"母は「たまにはお父さんと二人もいいじゃない」と言っていたけれど、確かに父と二人で出かけたことなど、記憶にない。相当小さいころはそんなこともあったかもしれない。ただ、もともと父は子どもの扱いがうまいほうではないし、口数も少なく冗談などは口にしない人だった。年頃になったわたしが父を「お父さん」でなく「遠藤忠雄」という人間として観察してみようとしても、磁石の同極同士のように、「お父さん」以外の視点を持ったわたしから、「遠藤忠雄」は一定の間隔でふよふよと逃げてしまうようだった。"

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"ようやく窓の外に赤い実をつけたさくらんぼの木が見え始めると、喋りつかれてうとうとしていた女たちがうわあと口々に叫び、車内が急に騒がしくなり、それにうんざりしたかのようにバスが力なく停車した。"

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"二年間、それなりにいろんなことがあったはずなのに、僕が覚えている小麦との思い出は全て気恥ずかしさとしらけた気持ちをまぜこぜにしたもので表面がコーティングされていて、当時の感情はその下で冷たく固まってしまっている。だから、小麦を思い出すことはあっても、ガラスケースに展示された古文書を眺めるみたいに、そこにあったはずの意味とか、なまなましさはもう伴わない。"

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"僕は、身の回りに起こるあらゆる事象を、自分が大人になったと感じられるかどうかで価値を測るようなところがある。朝、結婚を約束した人と会社へ続く地下道を歩く、というのも、僕の中ではかなり「大人」の部類に入る。"

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"この人の黒目の中には、帰ってくる自分のために一日中空けられている場所がある、と秋人は思う。"


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『私に付け足されるもの』長嶋有

長嶋さんよ、な〜んであなたはこんなにも、とりたてて事件というほどでもないけど変わらない日常の中の感情の気付きがあったことを、物語として成立させるのが上手なのか〜?
私は本人を知ってから作品に触れた人だけど、長嶋さんのこと女性だとおもっていた、という人がいるのもわかるんだよな なんだか

すっごく楽しんで読み進められる短編集、「白竜」と「桃子のワープ」が好き…(特に白竜の表紙のくだり うわあほんとだアッハッハー!ってなる)
長嶋さんて なによそれ、と思って思わずググっちゃうようなもの(固有名詞)がいい塩梅で散りばめれているから好き、フィクションだけど限りなくこの同じ世界で暮らしている人たち
意味やどんな作品か知らない言葉でも周りが笑ってるから楽しくて それってなんだろうと後から調べて自分に肉付けされていくのは、生きていることのおもしろさのひとつだと思う

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"たとえばある恋人が去っていったのは、必ずしもその恋人のせいではない、私と恋人と両方のせいだ。猫には「せい」がない。猫は誰のせいでもなく、なんだかずっと居る、なんと不思議でものすごいことか。居「てくれる」のではない、でも居る。居ることに嘘がない。自分のことを大好きかどうか分からないが、仕方なく嫌々居るようにもみえない。"

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"傷つくという言葉は大げさだけども、なにか知っている人は、知らない相手に教える際、必ず「ものすごく知らない」と見積もって会話をする傾向があって、私はそれが苦手だ。「それは」分かってるんだから正確に間違いだけを正してくれ、といいたいがいえない。教わる側は常に弱いのだ。"

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"あらかじめ分かる正しさが、これが私をぜんぜん救わないんだな。"

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"「今日もタワマン (が現場)ですか」
「タワーじゃないけど家賃高いマン」 親方は楽しげだ。
「実際、今はタワーマンションって、新築はないよ。修繕ばっかり」
「そうですよね」賛同しつつ、親方の口ぶりに感じ入る。大きな震災があって以後、高級マンションは低層がウリになったことを桃子はなにかで知っていた。桃子の相槌は「知識」だが、親方のはこの仕事が長いゆえ、現場で得た「実感」だ。"

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"コンビニの店内は景色を少しも保存しない。"

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"子供は、大人が尊敬しないタイプの大人 ―昼間からブラブラしているような― により畏怖を抱くものだ。"

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"さっき「思い出すというのは、事実だけではなく実感も思い出す」と感じたが、それと逆に、実感が抜け落ちて事実しか思い出せないこともある。反対のホームに立っていたときの苦しさが、今はまるで心に生じない。ひどい二日酔いが治って、また飲もうという気持ちになっているときの、その平気な体でかつての苦しい自分を思い出せないのに近い。"

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"生きていくというのは、高度をあげていく感じが ―最近つくづく― ある。自分は電話が苦手だったんだというような後からの「気付き」で、三咲はそう思う。
二つ前の職場でいわれたあの言葉は「ハラスメント」といってよかったんだとか、あの節約のやり方は我が家だけですることだったんだとか、高度が変わったからみえてくるようなことがたくさんあるのだ。
自分は、とりあえず人間は上昇ではなく「前進」している気がしていたのだが。人生はしばしば道にたとえられるものだし。 高く上昇するイメージが薄かったのは、それが「成功」していくことの比喩のようでもあるからか。 三咲の上昇は成功している感じとほど遠い。
過去の自分の気持ちを俯瞰することができるというと全能感のある言い方だが、そんなよいものでもない。むしろ不自由に、俯瞰させられてしまう。しかも繰り返しだ。ブラック企業とかストーカーとか、折々に外部から新たな言葉を与えられたとき。 メールが広まったり、テレビが不意に薄くなったり、小さな書店がどんどんつぶれていくといった世間の変化を実感するとき。そういった変化の際にも、過去の気持ちのあれこれに気付く。"


↑さいきんの「推し活」という言葉もそうよな…ただ好きなだけなのに外部から新たな(勝手な)言葉を与えられる…(と私は若干悪い意味で捉えている 内部じゃなくて外部が決めるからかな)
昔は「毒親」という言葉もなくて「アダルトチルドレン」とかが近かった、というのと、他国語では存在する表現(単語)が日本語にはないということがたたある、ということも同時に思い出す

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"それはとても幸福なことで、笑っていなくても本当は笑い出しそうで、車窓から外をみあげれば常にそこに月光。"

↑っていう一文でしめくくられるなんてなんてすてき。(ムーンライト)

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ひ〜さしぶりに映画を観る
以来、『ドライブマイカー』のこのメインテーマをよく口ずさんでしまう(インストだけれども)
「たしかに明るくないんだけど、確実に夜ではない時間の曲」だなっておもう

いやなんだろうな、「身近な人が亡くなって残されなお生きる人の曲」かな、でもこれだと映画の内容そのまますぎる
エハラメイさんの『群れになって』とおんなじにおいがする

片想いの『踊る理由』という曲がわけもなく泣ける歌だ、ととあるラジオでゆってたけど
あれは三途の川で誰かが渡るのを見ているときにかかっている曲だなあと思った、他人の大団円を横で眺めている…
死んでいるような感覚をあたたかく含む歌がこの世にはたくさんある、ということ
ぼーくのー 泣いてる理由なんてー わからないだろー

それにしてもまーくん(岡田将生くん)はなんでこういう役ばっかりなんだろ
洒落た部屋としてみせるなら、ねじりのそこそこ大きめの観葉植物が置いてある、プラ鉢じゃなく、っていうの 世の中の理だよね
さっそくねちっこいセックス始まって、あーそうだった 原作:村上春樹 っていう文字が冒頭で流れたんだった 彼の作品ってそうだった、と思い出す
犯罪者だからすべてが悪というわけではなくて、今日言ってた意見も明日には変わってもよくてみたいな、「いろんな感情が同居してても間違ってない、その人はその人」ということを、最近はなんでも諭す気がするよ

村上春樹作品みたいな男女いるんかいな、というのの名前部分を差し替えても同等の意味になるのが(私の中では)江國香織さんだなあと思ってて、
なんかこう、一種のネタwwwみたいになってるところはあると思うんだけど
図書館で夏に特集組まれてた『ひんやりと、甘味』といういろんな作家の数ページの寄稿の寄せ集め本を読んだときに
江國さんの文体の、他とは圧倒的に違う「格」みたいなのに吹き飛ばされちゃったんだよなあ、
おんなじ日本語なのに、50音なのに、こうもか!?みたいなさあ、
(笑う人はたくさんいたとしてもその実力はたしかだ、わかってるか?と殴られたかのような)

『ひんやりと〜』に参加している別の作家が「カキ氷はエアコンの効いていないあっつい中食べないと意味がない」的なことを書いていて、わたしはそういう 名前を覚えてもいないだれかのなにかを 自分にも大事にとっといたりするんだよな
まるで自分が定めた「よいルール」みたいに
ただの枷なのに

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『ウンチク/うんこが地球を救う』

突然夫が「みんなでこれを観に行くぞー」と言い出して家族でわいわい初日に足を運んだもの
子供たちははじめての劇場だし私もいつぶりか思い出せないくらい ドキュメンタリー映画です
案の定、終わり30分は子どもたちが飽きちゃって退場したけどね、、
以来うんちするたび一礼して下水の人に感謝しています、全人類がもうちょっと知っておくべき環境問題だとは思う

星新一の、ある日底のない穴ができたのでなんでも捨ててたらあるときそのすべてが空から降ってきた、の話を思い出したりした
スカトロのいうジャンルのかなりの危うさ?あれって成り立ってるのかなと心配になったりとか…(なんて、ひどい感想だ)



これは劇場にあって鼻がフンスッってなったパキラです(よすぎて)

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◆意味

・換骨奪胎(かんこつだったい) - 他人の詩文の語句や構想をうまく利用し、その着想・形式をまねながら、自分の作としても(独自の)価値があるものに作ること。

・うらぶれる - しょんぼりと力なく、心のしおれるような状態をいう。うれいしおれる。悄然(しょうぜん)とする。

・おためごかし - 人のためにするように見せて実は自分の利益を図ること。これよく出てくるのにすぐ忘れる。

・よもつへぐい - 黄泉(よみ)の国のかまどで煮炊きしたものを食うこと。 黄泉の国の者となることを意味し、現世にはもどれなくなると信じられていた。黄金竈食と書く。千と千尋のここのものを食べないと消えてしまう〜のくだりはこれ?

・ブルーカラー - 賃金労働者のうち、広くは技能系や作業系の職種一般に従事する労働者で、肉体労働を特徴とする。対義語はホワイトカラー。

・ニッカポッカ - 鳶の人たちが履いてるズボンのことだけど、Knicker Bockers(あるVintageぬいぐるみの老舗ブランド)と一緒じゃんと思ってテンション上がった。

・斥候(せっこう) - 敵軍の動静・地形などをひそかに探り監視するために、部隊から差し向ける(少数の)兵。

・襞 - 読み方は"ひだ"

・上番報告 - 警備業界では当たり前のように使用されている、一般企業でいう出社・出勤のこと。もとは軍隊用語。上番(じょうばん)が出社、下番(かばん)が退勤。

・チョークウェア - 石膏でできた人型や動物型の置物のこと。ミッドセンチュリー期のアメリカでは東洋系アジア系の踊り子の男女ペアなど"アメリカから見た異国"の人物をモチーフにしたチョークウェアが多く作られた。よく裏面に針金で壁掛け金具になってて落ちると割れるじゃーんのアイテムの正体はこれ。

・チョンガー(総角) - 成人後も独身である男を指す朝鮮語(からかう呼称)。ラーメンズの"カマンチョメンガー"じゃん、と記憶を絡めたら元の"チョンガー"を思い出せなくなった。

・シュレーディンガーの猫 - 実際に見てみるまで二つの可能性が同時に存在すること。見た瞬間にその状態が決定するので食玩など開封していないうちは何番のオマケでもありえる 決まらず中でずっとルーレットみたいに回ってる、というのはこれという認識で合ってる?

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◆植物

コシアブラ - 5つの葉で1つと数える、若芽は食べられる。
沖縄の月桃の切り枝をたくさんいただいたので飾りつつ取れた種は植えた



黄色い実がかわい〜なと思って摘んだツルウメモドキ、
2日後くらいにぱちんとはじけてぷっくりと赤い実になっているんだもの、びっくりした とてもきれい
ドウダンツツジも見頃をむかえてて、お庭のツバキが咲き始めて、でもヘチマとカボチャがなおも実を膨らませようとしています

ついつい幹が太いもの、木化したり根が見えていてもへっちゃらなものに惹かれやすいんだけど
花を楽しむより木そのものが好きってことなのかもと気づく
煌びやかだったり艶やかだったりよりも朴訥な太いやつ、って性や恋愛の好みと共通したりするのかな(ちんちん)
だれか検証してほしい 香りを重要視したりとかさ!

あと、植物は「その子しかいない」という点がVintageととてもよく似ている、
転職するなら観葉植物屋さんになりたい

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◆自分へ 読んどいて

『本を愛しなさい』長田弘
『パパとわたし』マリア=ウェレニケ
『薬屋のタバサ』東直子
『大きな鳥にさわられないよう』川上弘美
『人生は美しいことだけ憶えていればいい』佐藤愛子
『石垣りん詩集』
『泣きかたをわすれていた』落合恵子
『日毎の美女』『孤独な夜のココア』田辺聖子(は恋愛のバイブルなの(のりこ三部作)?)(〜ココアは装丁もかわいい)
『それからはスープのことばかり考えて暮らした』吉田篤弘
『かがみの孤城』辻村深月


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・サワガニに、
脱ステロイドでたんぱく質を摂取するためによく作っている 蒸し鶏のくず部分をあげると、
普段あげている金魚のエサよりもものすごい勢いで食いついてくる
取れてなくなったハサミのほうでも確保しようとするそぶりをみせるので
腕がないのに感覚があるやつ(幻肢)みたいだな、と思う


・梅雨前のブルーベリーの苗は、オトシブミにとっての産科婦人科みたいになっていた🌱
(あの、葉っぱをクルクルに巻いてゆりかごにする虫ね)
絵本や教科書などでなじみのある虫のわりに見かけない(見つけられない)ので
姿はなくともそのたしかな存在に嬉しくなる、
葉っぱをダメにしちゃってるのはコラーなんだけど

そんなブルーベリーの葉は、雨のたびに水をぷるぷるの球体に仕立て弾くのでうっとりする、
剪定した枝を水に浸けたら茎まで全部空気の膜を纏ったので感動した
植物は、こういう本にもインターネットにも載っていない、育てた人だけがわかる
「どうでもいいこと(でもちゃんと理由があってそうなっていること)」が多くて好きだ

鉢植え、地植えももちろん好きだけど最近は切り枝が好きで
花壇を多年草で楽しむより季節ごとの花を植えたいくらいには飽き性なので、
そのサイクルにも切り枝がちょうどよい(そろそろ変えようかなというタイミングで枯れてくる)、
花よりもずっと管理がラクで楽しい、
何より単純に、リビングの日当たりがあまりよくないので鉢植えを置くのに向いていない、
かといってフェイクグリーンではやはり限界がある、本物の緑が少しでも室内にあるとそれだけで救われる何かがある

庭山に生えているテキトーな木を見繕ってくる時間も好きだ、その木の正式名称を探す時間も。

ずっと近所の藪に1本だけ紛れてて、でも異彩を放ってるこれはなんだろう…
と思っていた木が、先日メタセコイアだとわかった
幹のかんじがスギに近くて、でも葉はマメ科みたいで、
それらを頼りに調べても全然わからなかったのに
旅行雑誌に掲載されていた「通年見頃!メタセコイアの並木」と掲載されていた写真でハッとなった🌲
先月、別の場所でも同じ木を見つけてここにもある…と心のマップに印をつけておいて、
そこを次に通った時に運よく植木屋さんが剪定されていたのに、
それはなんの木ですか?と尋ねなかったことを一生後悔するんだろうなあ〜と思っていたれけど、
今回の答え合わせもまあ悪くはない気がした

七夕の、笹はすぐ枯れちゃう(葉が丸まる) 南天はえらく長持ちしている(現在進行形)
ツバキの葉はラミネートしたみたいにツヤツヤ
サルスベリが咲き始めて、私の中の「梅雨だよ」の札がひっくり返されて「夏が来たよ」で掛け直される

自分の国の歴代の首相も言えないなんて恥、と
ホームステイ先のおばあさまに咎められたという話はどこでだれに聞いたんだっけ、
それなら私は日々暮らしていて目にする草花の名前くらいは答えられるようになりたい


・リビングの間取り上、どう使っていいかよくわからない空間に、
1ヶ月かけてコツコツと棚をDIYしたのだけど、肝心の乗せるものがなかった٩( ᐛ )و
遊びに来た人が「モノが少ないね」というくらいにはスッキリした部屋だけど、
「あったら便利はなくてもいい」というけれど、
必要最低限しか存在しない空間はやはり乏しくなる、
かといって、オブジェやアートフレームやの類がアレコレあるのも苦手で難しい…
ごちゃついたようにしか置けないセンスのなさが問題かもしれない、

オイルステインを初めて使ってみたけどおもしろかった、
修理とかをする家具屋さんで働くのも素敵!などと夢を見てしまう、転職先の候補が増えていく


・愛しのリータちゃま🍪( @pipopa___ririri )が遊びに来てくれたときのスナップ





ランチした「Gion duck noodle」は、澤部さん(スカート)が行ってて
ずっと気になってたの🦆(わたし、こういうのばっか)
料理・店内・接客などすべてにおいて、いい大人がお付き合いする前のデートとしてセレクトしたら
間違いなく株が上がるご飯屋さんやんけ…というかんじでした😂

「ぎおん 石」の人の少なさや「フランソア」の女心掴んでくるかんじも堪能したよ
京都に住んでるのにそのよさをちっとも駆使できていないので
もうちょっとこういう、名店名所巡りをしたい☕️

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小説は当てずっぽうで選んだわりにアタリが多かった(装丁で選ぶと女性作家ばかり)、
最近の子(というくくりはかなり雑ですが)は
「ギターソロを飛ばす」「アルバム全体を通しではなく聴きたい曲だけ聴く」
という話をききますけど、本もわりにそうだよな、と思うなど(私は律儀に順番通りに最初から最後まで読みますが…)

"かつて自分にとっても周りの人間にとっても世界のすべてだった「本」は、実際の世界に出てみると数ある趣味の一つでしかなく、しかもだいぶマイナーな趣味なのだった"

﹏﹏﹏



『情報を正しく選択するための認知バイアス事典』高橋昌一郎

話題にあがったので読んでみたけれど、名のとおり「事典」で
「ふーんこういうことにも現象として正式名称がついているのか〜」ぐらいで、
発見はあっても即実践できるみたいなのは少ない気がした
(身につける活用できるのは意識しないとむずかしい/なんでもそんなものか)
「フォルス・メモリ」は、ゴールデンカムイで尾形がアシリパさんにあんこう鍋のくだり話すやつみたいじゃんよ…!

確かに覚えているはずなのに、とっさにその単語が出てこないことを
「舌先現象」というそうなんだけど(アレだよ!アレ!)、日本語では「喉まで出かかっている」なのに、
他国では「舌の先に乗っている」「舌の頭にある」「舌でそれを失った」「舌の先で輝く」なんていうらしくて
日本だけが「喉」…!こういうの最高…!ってなった😂

﹏﹏﹏



『サキの忘れ物』津村記久子

短編集なので気負いせずに読める
形式も主人公もさまざまで飽きさせない、ストレスのない文体

「王国」のデリラ、小さい頃私も見えててよく遊んでいた(メモ)
「真夜中をさまようゲームブック」がにゃんたんみたいでテンションあがった、辿り着くはバッドエンドだったけれども
「隣のビル」が好きで、日常のちょっとした答え合わせは必要だと思った、
だから私も植物の名前をいちいち調べたりするんだろうか

喫茶店のくだりで、この店では
"パソコンでだらとだらと仕事をしている姿を誰かに見せるためだとか、読書をしているという雰囲気に浸りたいだけだとか、どこかのもぐりに見える英会話教室の外国人と生徒が、授業をするためにだとかで客が訪れているのは見たことがない。"
って遠回しにスタバのことをディスっているようで笑った

"だいたいの物事は、最後だからといって格好がつくわけではないだろう、これもそうだ"

﹏﹏﹏



『踊る星座』青山七恵

こちらも短編集(のような構成、正しくは)

1話目の「ちゃぼ」からして、夜中に読むの間違ってたかな…と後悔したくらいぞわぞわがすごかったのに
全体を通してずっとその空気を保っているなんて!下手なホラー映画よりずっと不可解でよい、
5あたりからようやく、あっこれ短編じゃなくて同じ主人公でちゃんと続いている話だ、と気づいた、
それぐらい前半は突拍子がない(後半はさすがに情報が増えるので)
各話の扉絵の星座が意味しているものが読み終わるとわかるので楽しい

いやーもう最高だったのに、ネットでは「意味がわからない」だの
「序盤で読むのをやめた」だの評価の低さにびっくりよ、
デイヴィット・リンチ作品が好きな人は多分受け入れられる、大歓迎レベルで!

「奥さんの漂流時代」が、『サキの忘れ物』でいう「ペチュニアフォールを知る二十の名所」に似ていた、
こういうちょっとした、わかりやすくおもしろい箸休めが短編集には必ずある、視点が本人じゃなくなるからかもしれない


"その本を書いたのはわたしなんですよ - まあ、わたしの書いたことはそのまま信じてしまうのに、目のまえにいるわたしの言ったことは信じられないというわけですか。活字の力は偉大です"

"ジャケットを脱ぎ、片足だけあぐらを組むようにサテンのスツールに座り直した探偵は、最初の印象よりも十歳は年老いて見えた。角度のせいなのか急に額に横皺が増え、カウンターで対面していたときには見えなかった白髪まで生えてきたようだ。 部長の言いかたを借りるなら、美だけではなく老いもまた、はっきり目に見えるものらしかった。"

"ああおばあさんだと思った。 あたし、と言ったからではない、それがおばあさんの声だったからだ。おばあさんの声というのは確かにある。長い年月のあいだに幾度もの転調を経て辿り着いた特別な調のなかで、濁っていたりかすれていたりふるえていたりする声。叩きつくした鍵盤の余韻だけで鳴っているような声。わたしはどんなひとごみのなかにあっても、そこにいるおばあさんがなにか一言でも呟けばただちにそれと聞き分けられる。"

"わたしは「北風と太陽」の寓話を想った。岩のような頑迷さは力によって打ち砕かれるのではなく、ただ穏やかな温情によって溶かされる……とはいえその穏やかさの裡にもある種の頑迷さが含まれなければ温情の成分は正しく機能しない。結局はどんな対立も辛抱と辛抱の闘いなのだ。勝者も敗者も遠く離れてみれば誰にも見分けがつかず、わたしもこのおばあさんも遠目に見れば似たような存在なのだ。それなのになぜ、わたしは一生変わらずわたしのままで生きていかねばならないのか。"

"共用のロビーにはセブンティーンアイスの巨大な自動販売機がいくつも設置してあり、本体をかじりつくしてもなお白いプラスチックの棒をえんえんとしゃぶりつづける子どもたちがあちこちにたむろしていた。"
↑これ、コーンが増えちゃった今ではあんまり見られない光景だけど、小さい頃よくやっていた行為なのでおなじように見ている人が他にもいたのかと感動した、

﹏﹏﹏



『ムーンライト・イン』中島京子

前半の不穏感、中間の解凍具合、残り1/3の壮絶さ、そうくるかー感と納得
「小説だからこそね〜」な流れを主体としつつ、たまの「現実ってそんなものだよな」の混ざり具合が心地いい、
わたしは虹サンの、酔いしれて語る側に立ちたい気持ちがわかるので
「それはアウトなのか…( ᵒ̴̶̷᷄ ⌑ ᵒ̴̶̷᷅)」と一緒に戒められた気持ち(シュン)

映画化がなりうる物語🎬(=良作映画一本見終えたあとの清涼感)
違うんだけど、マリー・ジョイは長谷川潤さんのイメージで読み進めていた

﹏﹏﹏



『母親になって後悔してる』オルナ・ドーナト/鹿田昌美

前回ちょっと紹介したけれどその時はプロローグまでだったので
訳がちょっと読みづらい(特有のまどろっこしい日本語が多い)のと
わりとどの章でも似た結論が多いので全部読む必要はないかもしれない、


"研究者たちは、セックスに応じることはセックスを望むことと同義ではないため、望ましい性行為および/または性的関係を説明するための「同意」という表現を使うと、女性がセックスを拒否するよりも同意することで危険を回避するさまざまな状況を無視してしまいがちである、と論じている。"

"これらの説明は、「自然の摂理」と認識されているのは必ずしも母になることではなく、むしろ人生の軌道に沿って前進することであることを示している。
女性にとっての「自然な」「普通の」人生の軌跡が存在するという概念が、母になるのが自然な道だという遺伝子決定論の文化的概念に力を与えている。しかしこれは、異性愛規範の文化的論理に大きく依存している。つまり、基本的に一連の進歩的な段階の積み重ねであり、すべての人が従わなければならないロードマップに学校、仕事、交際、結婚、親になるという節目が入っているという考え方が、男女の両方に教え込まれているのである。この「自然」で「普通」の道についての規範的な物語が、具体的に語っているのは、「正しい」ライフコースとは何か、「正しい」時期に、「正しい」ペースで「正しい」軌道をとるために必要な行動は何かについてである。"

↑子を生んで得られるメリットは「結婚はまだ?」「子供はまだ?」みたいな年齢相応の典型攻撃がなくなるだけ、というところと繋がる

"母を主体として認めることは、母を役割として規定している社会では当たり前ではない。役割としての母とは、子ども劇の中で演じられるような母だ。この社会的台本によれば、母は主体(スクリプト)ではなく客体(サブジェクト)であり、他者の生活に奉仕するために存在する独立変数なのだ。
(略)タッカーによれば、母性を役割や義務や職業ではなく、「関係」として捉え、話すことで、さまざまな母のシナリオが作成でき、筋書きのなかにもっと複雑で多様な女性の人生を織り込むことができるのだ。母であることが「役割」と認識されている限り、利用できる唯一のシナリオは「完璧な母」であり、そこを目指すしかないそれは実際には「理想的な従業員」と言える。なぜなら、役割は成果主義の仕事を中心に考えられており、成長した子どもが「製品」であるからだ。"


"ティルザ、スカイ、ナオミは、「お芝居」「ショー」「フリ」「らしい」などの言葉を使っている。良き母と認識されるために、「母に求められる感情とそれに応じた行動」を実行してみせる必要があるということだ。"

"子どものために自分の人生をあきらめました。そしてふり返って――いいえ、今〔だけ〕ではなく、当時から思うのは、母になることで奪われたものは取り戻せないということです。子どもと過ごす時間は楽しいですが、一緒にいる時が最高に幸せだというのは、嘘と欺瞞です。嘘と欺瞞。"


フタを開けてみれば『母という役割にうんざりしている』が正しい題名だと思う
作中で「母であることを消したいという願いは、愛する子どもを消したいと願うのと一緒ではない」とか、
「子はほんとうに素晴らしいけど、ただ母でいたくないというだけ」など、
繰り返し子の存在は肯定していたので、この題名ゆえに物議を醸しているんじゃないの、と思ったりした
結局これも見出しで衝撃を与えて中身は違うじゃないのっていうヤフーニュースみたいな戦法かよ、と思ってちょっと萎えるなどした

そしてそれならば、母になったことも、子どものことも後悔している人、にとっての救いはどこなのか
「母になったことを後悔しているといいづらい社会構成の問題」が重きだとは思うのだけれど、
「社会は理想の母親像を求めているけれど、母になったことがしんどいと言ってもいい!でも子自身は素晴らしい!」ということは
「母になったことがしんどい!子どももいらない!」という人にとっての暴力、
結局「それは思ってても言うんじゃないぞ」という同等の威圧をかけているのではないのでしょうか〜〜?

(勘違いされる方もいらっしゃるかもなので補足すると、私がそうだということではないです、
そういう気持ちで助けを求めるように本を手に取った人は、人格を疑われる否定されたことになるねっていう話。
そしてそれは「その母親がおかしい、狂気」なわけじゃなくて
「そういった母親が相談できる機関や助けてくれる制度がない、全ての責任が母に向いている社会の問題」
ということを忘れないでほしい)

「生まないという選択肢を取ると、じゃあキャリアをがんばるんだね!と勝手に出世街道をひかれる」
というのも興味深かった、
私も、趣味にしろ仕事にしろ、生まない理由を勝手に結びつけていることがあるかもしれない 注意しなくては


私は、LINEのアイコンやスマホの待受やに我が子の写真を起用することはなくて、
そうしている人は、子への愛しさゆえの行動(常に触るものだから愛するものにして当然)だとはわかるし、
そういうのをしない自分は子への愛がそんなにないのか…とも思ったけれど、
子は親の所有物ではない
自分がもし他の人のアイコンされたら私は「いやだ」と思う
と考えているからというだけの話だ、そこで愛だ何だは測れない

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◆草花の名前

・トベラ - モッコクに似ている木。トベラの方が小さい(庭木や生垣に使われる)
・シルバープリペット - 高樹さんちの庭で巨大化している木。
・ヒシの実 - 天然のまきびし。琵琶湖によく流れ落ちているやつの正体。
・アカメガシワ - 日々、通学路を狭くしている大きな葉、新芽は赤い。
・コノテガシワ - トゲトゲの実がつく木。『魔法陣グルグル』のマタデーに似ている(もっと似ているのは「フォックスフェイス」という木)

・ハクウンボクとハクモクレンは違います、後者の葉っぱは先っちょがクリ頭

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◆比喩で使われる(元ネタがわかってないと伝わらない語)

・ロトの剣 - ドラクエから。その人にしか使いこなせないの意味で
・インパール - 史上最悪の作戦の意味で
・ファラリスの雌牛 - 拷問の一種。死ぬかと思うほどの熱に
・ユダヤ教のラビ - 指導者のこと。ここでは黒シルクハットに黒ヒゲ丸メガネの風貌のことを指す

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◆意味

・けんもほろろ - 人の頼み事や相談事などを無愛想に拒絶するさま。取りつくしまもないさま。
・諦念(ていねん) - 1)道理をさとる心。真理を諦観する心。2)あきらめの気持ち。
・剣呑(けんのん) - 危険を察知すること。不安を覚えるさま。
・耽溺(たんでき) - (よくない事に)夢中になって、それ以外の事を顧みないこと。
・卓抜(たくばつ) - 他のものよりもはるかにすぐれること。卓絶。
・内省(ないせい) - 自分の心と向き合い、自分の考えや言動について省みることです。
・慟哭(どうこく) - 悲しみに耐えきれず声を上げて泣くこと。
・幣帛(へいはく) - 神前の供物。特に、御幣(ごへい)。
・夜伽(よとぎ) - 夜、物語などをして相手になること。寝所で、女が男の相手をすること。
・反故(ほご)にする - 約束などがなかったことになる。物事を無駄にしたりする。
・エポック - (新しい時代を作る)画期的な・注目すべき・記念すべき出来事。

オー・ヘンリー - 短編作家 自分へ:読んでください

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(こういう日記的出来事を時系列にしか書けないクソ)

「KIRINJI 弾き語り ~ひとりで伺います」
7月8日(金) @京都・京都文化博物館 別館ホール


KIRINJIのライブに行ってきました🎼
(2013年までは"キリンジ"で、兄・高樹さんと弟・泰行さんの兄弟ユニットでした、
そして結果、私は泰行さんになびいたのはみなさまご存知のとおり)



とはいえ、新譜はちゃんとチェックするし
今までもアルバムごとのツアーライブはちょこちょこ観に行っていたので
コトリさんがいたときも、いなくなったあとも知ってる、
とくればひとりになった今も行くでしょう?
ただ普段の情報収集とかは、泰行さんほどの熱は帯びていなくて。
とかいいつつ購入先着順で入場できるチケットの、整理番号1を獲得してて笑いました 必死か?


平日夜の開催だから無理だよなあ、と思ってあきらめていたのだけど(万年ワンオペ)
事前のインスタライブでやられたんである、やっぱり無理!ってなる、心奪われる

一縷の望み…⁝(ᵒ̴̶̷᷄൧̑ ᵒ̴̶̷᷅ )⁝と仲のよいママ友にお願いしたら、ふたつ返事で
「わあ〜いいね〜!いってきなよ₍₍ ( ๑॔˃̶◡ ˂̶๑॓)◞子たちはうちで見ておくから💕」
となるんだもの、神様はここにいたんですよ

(夫には、頼んだところで仕事だからとつっぱねられるだけだし、預けることになったことも
他人に迷惑かけてまで行きたいことなの?などと言うに決まっているので
いまだに彼はこのことを知らない、なんてこの関係終わっててせつない、
これも「母とは自分の好きを押さえても子の面倒を見るもの」という概念ゆえになのか…)

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ライブにひとりで行くの、単純に
「子たちがいるからすぐ帰らないといけないし、ぼっち(キリンジ好きが周りにいないし、
他のファンの方ともほとんど繋がっていない)だから」とこれまでは思ってたけど、
「ひとりじゃないと100%集中できないから自分で好んでそう選んでいる」のかもしれない、

誰かと行くとなると「何時にどこどこ集合ね」とか終演後はどうするとか、
もしいい席が1人分ぽっかり空いてても見送らなくちゃいけないとかがあるもの

ということに、そのママ友と話しているとき「ガチだねえ〜ww」と笑われたことにより気づく、
そうか、これは、私は、ガチなのか…?(自覚なし!笑)


高樹さんだし、と思って完全に気を緩めていたけれど(失礼な)
それはいくらなんでも、と思いなおし 前日に急いで4ヶ月分の黒髪を染めに行く、
いざ会場ではプリンがザラにいる(ライブはあくまで音楽を楽しむものだ)ということなんて、
今までの経験上知っているけれど
私の中で「ライブのときは身なりを整える」のは礼儀みたいなもので、
ライブというよりデートに近いんだなあとおもう 演者と私のデート
普段塗らないマニキュアだとか服のシワだとか会場への道すじだとか、そういうのを気にしている、

ああだからこそひとりがいいのか ガチじゃん

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「ライブ会場まで自転車で行ける」なんて感覚もう忘れちゃってた、いつも天気はわりに私の肩を持ってくれる
会場はやっぱりポスターとか全然なくって(泰行さんのときもそうだった)、
本当にここか!?って疑いたくなる外観(もう最近はフライヤーを刷らないの?)🏫
明日から始まるゴールデンカムイ展しか貼ってないし その量の多さにウケけました、わかるけど!

整理番号1をムダにしないために急いだ結果、開場時間ぴったりに到着できたけれど
まずはファンクラブの方から呼ばれていてそりゃあそうだよな、なんて目が覚める(一般)
あいかわらずの年齢層の高さに少し疑問を覚えた、
最近のKIRINJIたるや20代あたりのハートをわしづかみ中でしょうが!(マヌ調べ)
(けど、終わった後に後ろの列を見渡したらきちんと(?)若者ばっかりだった、
「古参のガチ勢」と「最近のファン」が目に見えて表れるわけですか…)
そうだそうだ そうだった、プリンうんぬんより「そもそも髪を染めていない人」が多いのだった


はじまるまでの間は本を開く、こういった喧騒の中で取る最善の選択だと思う
タイトルに引かれて買った短編小説だったけれど、どのお話も着地が美談だらけでひどくかゆくなった、
短編たるもの深いところまでいけないから誰のことでも撫で回して終わりにするのか、
帯に、読者ランキング1位!だの何万部突破!だの書いてあるものったらやはり信用でーきーなーいー!

などと思ってるうちにあたりが暗くなった


(公式さんからいただきました)

・純粋に楽しみに来ている(何を演られてもあの曲ねってわかるくらいにはファンしている)ので、
あれやってほしー これ弾いてくれたらいいのに!は特になかったけど
強いてあげるなら「もしもの時は」「「あの娘は誰?」とか言わせたい」かなあと、
「ロープウェイから今日は」とかもやったら盛り上がりそうなんだけど!
(どれもやりませんでした😂)


・エレキに持ち替えてすぐやってくれた「ONNA DARAKE!」の、
ブツブツ切れるように慣らしていた音が春雨を包丁で切っている音だなと思った(?)
あああれはアコギみたいなナリなのにエレキなのか…「Drifter」のPVで弾いてたやつじゃありませんこと?
(と思って確認したら泰行さんが弾いてたやつじゃん…高樹さんのを貸してたってこと?)

(即レスさん画像お借りしました🙏ありがとうございます)

・口を結んで下を向いているときの鼻から下が泰行さんソックリすぎて、
元カレがチラつくのってこういう気分なのかなと

わかってるんだよ、兄弟がどうとかそういう目で見ずに堀込高樹という個人として楽しむべきことなど 失礼なことなど
でも私の入り口は堀込兄弟でのキリンジだったから
この2人に同時に救われてきすぎたのでどうしても切り離して考えることができない、
きっかけを思い出として蔵まいすぎて、枷に変わっていることに気づいているくせに
だから(?)せめてそれぞれの好きさを愛で、比べてどうってことはしてはいけない


・泰行さんが「最近母親に似てきた」と言ってたので
つまり高樹さんは父親に似ているのではとおじさんとおじいちゃんの間な姿を見て思う、


・「再会」を聴きながら、私はいま死んでもよいなと強く思った
ああこの人は 私のこれまでの人生でいちばん耳に流したメロディを作った人だ、
死にゆくときにかけてほしい曲(耳をうずめて)を作った人だった、と知らしめられた

私はさ、泰行さんに会えるとこれからも生きようって温かく引きしまるような気持ちになるんだけど
高樹さんだと死んでもいいになってしまう、温かさは同じでもその熱でほろほろに崩されてしまう
なぜそうなのか、は今はうまく言語化できないけれど ただただおもしろいねって


・保育園に、漢字こそ違うけれど「たかき」という名の50すぎのお父さんがいるので、
「高樹さんも、保育園で送迎とかしてる父親のひとり、ということがありうるんだよな…
(現にお子様もいるので)そういう時代があったんだよな…」と思ってしまう、
二次創作の妄想のよう


・(これはライブとは関係ないメモですが)高樹さんのラジオを聴いていると、
いわゆるラジオ職人みたいな?ネタや距離の近いリスナーが多い印象で笑わせてくれる、
泰行さんのラジオのリスナーは、ないと処されるのか?と思えるほど
みなさん冒頭に「泰行さん、スタッフのみなさんこんにちは」とつけていて
そのくせ流れる空気は地域の公民館での週1の茶飲み友達同士みたい🍵

高樹さんが気を衒うことなく言葉で遊んでなんでも歌にして笑わせてくれるおじさまなら、
泰行さんは柔らかい少年の面を被った、ゆえにたまに男気見せてくる癒しかわいらしいネコ…



心配していた時間よりずっとずっと早くに終わってさみしさと安堵のどちらも流れ込む、
ほんの何分か前は、前を向いたその場所に必ず高樹さんが立っていたのに今は影も形もないなんて

雲と空の白と黒とがまだ逆転しない空を左手に見ながら北上してゆく、
昼間はクローズしていて営業しているのかすらわからないお店も
あたたかな電飾でその輪郭が浮かびあがりその奥が意外と広いことまでも教えてくれる
20:00前の、今日に幕をしめる前に一息ついている雰囲気を、
ひとつひとつ箱を覗いていくように流していくのは悪くないなとおもう
「あたりが暗い時間にひとりで外にいる」ことにいちいち罪悪感を持たないようにしたい、


「リフレッシュ」というのは子育てにおいてあまり意味をなさなくて、
よく、ママひとりの時間(お買い物とか 友達とお茶するとか 今回みたいなライブとか)を何時間かもらって
「リフレッシュできた?」なんて聞かれるけど、
そ う い う こ と じ ゃ な い 〜 〜 と思う、
「有休取って休んでも、結局いない間大丈夫かなとか仕事のことばかり考えてしまう、逃れられない」というのと似ている

息抜きをしたところで変わらず日々は続くのだ
根本から大きく変わらないと繰り返してしまうだけなのだ
『母親になって後悔している』は、つまりこういう地続きの、たとえ物理的に離れたとて
100%自分のものにならない時間が嫌だ、ということだ

(これはもしも、子が亡くなっても「いたことを思い出す時間」「母であった事実は変わらない」ので、
「生んで一緒にいない」のと「そもそも生まない」のは違うという話だと)


余韻に浸る間もなく自転車をこいでいく
そうだねえ、私もただ、「母という役割にうんざりしている」だけ🚲


去年、キンギョソウを植えていたところから今年はヒメキンギョソウが生えてきて
メンズLサイズでクロゼットにしまってたTシャツ、衣替えで出したらキッズサイズになってたみたいな
🌷 そんなことってあるんだねえ 🌷

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ジャンプを毎週(夫が)買っているのに3年くらい停めていた『呪術廻戦』、
ようや〜く最新話まで追いついた!
わたしは真人みたいなのに正しく嫌悪するし、東堂みたいなのに結局惚れるよな…
みんな大好き狗巻さん五条さんナナミンはみんな大好きよな〜としか思わない、
ということがよくわかった

続いて追いつこうとしている『ゴールデンカムイ』なら白石が好きで
東堂も白石もいわゆるギャグ位置というか、どうがんばってもカッコイイキャラではないんだけど
(余談だけど、金カムは男の読み物だなあ…と思う、スターウォーズの映画を見てるときと同じ気持ちになる)

(好きになったからにはこっちのことも好きになってほしいー!でなければ好きになる意味ー!
みたいなことが前提の視点?になりますが(2次元なのに))

王道に人気のあるキャラクターの持つ「優しさ」や「ひたむきさ」みたいなものは覆ることがある?
対象が「愛する"相手"」ではなくて「愛する人そのもの」を指すから

時が経つと人の考え方や気持ちはどうしても変わるものでしょう、
その時に、そういう優しさを与えてもらえる矛先が
自分ではなくなっている可能性があるんじゃないかなと思う、
あらゆる人々に甘く通ずる魅力というものはとても危うくて揺らぎやすい

それに比べてユーモアは、相手が誰であろうと
「ユーモアを放つ本人に付随するもの」?だからいいなあと
(いや、わかんない、好きでもない相手を笑わせたいとは思わないのかもしれない)


"結婚相手は経済力より安心感より、ユーモアを持った人がいいです、何よりも"

.

私には

"結婚するときは自動車の運転が穏やかな人(ゴールド免許)がいいです、
誰もいない高速で120kmくらい出したり割り込みされたら舌打ちするような人は論外"

という持論がある、

「コンビニ店員への態度が、相手と縁が切れそうなときにこちらに取る態度」

だとはよく言うけれどそれとおんなじ、
愛する人に優しくしてくれるのは当たり前だからね
愛していない、好きとか嫌いとかの対象にならないほど親しくない人にどれだけ振りまけるか、ですよ!


まあ夫は全然、黄色信号でも止まらず進んで行くんですけど

﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏



先日お話しした骨折ですが、おかげさまでほとんど治りました!🦴 ♡* ੈ✩‧₊˚
正座、走る、階段をかろやかに昇降、はまだむずかしいですが
自転車も乗れるようになりましたし、ギプスも外れています(*ฅ́˘ฅ̀*)♡

たくさんの方が、大丈夫ですか?経過はいかがですか?と
心配してくださり…本当にありがとうございました…(ọ̶̶̷̥᷅ωọ̶̶̷̥᷅)੭ु⁾⁾
B.A.B.Yのお客様は、みなさんとても優しくていつも支えられています*

.

そして、身体の不調の話?が続くようですが
「脱ステロイド」をはじめました(:ᘌꇤ )


高校生のときに、日焼け止めを塗らず部活に参加してしまい
顔が赤くただれたようになったのが始まりで、
それ以降ずっと、皮膚科に行っても
ちょっと診てステロイド出されて終わり♪
というよくあるやりとりを繰り返していて、
塗っては落ち着き、やめてはぶり返し…を15年ちかく続けていて。
(かなりの乾燥肌/家族にアトピー持ちがいます)

お化粧も、23ぐらいからずっと
何か特別なイベント時以外はすることをしなくなり💄(肌が悪化するので)
メイクやコスメの楽しみや、エステの類の美!自分自身に投資!
みたいなところは、いまでも切り離された夢の世界です、
「マイナスをゼロにもっていくことにいっぱいいっぱい」だから
「ゼロにプラスして楽しい」の状態まで到底辿り着けなくて。

この3年ほどは、皮膚科にも通わず
ひどいときに何日かステロイド塗って〜をただただ繰り返し…🌀

きっかけが日光だったのもあり、日焼け止めは絶対にかかさない…としていたものの
それも最近では、赤ちゃん用や敏感肌用でも沁みて痛くて、
どうしよう( ͒  ́ඉ .̫ ඉ ̀  ͒)といった状態になっていて…!


そんな中、Instagramにてフォローしている方が
少し前(2月頃)からアトピーの脱ステを始めて、
ストーリーに毎日のように経過をアップしていて🤳
少しずつ・でも確実に回復に向かっているのと、
おんなじようにつらい思いをしている人がいるんだ(⸝⸝⸝ᵒ̴̶̷̥́ o ᵒ̴̶̷̣̥̀⸝⸝⸝)と勝手に勇気をもらって…!

そして背中を押すように?
お出かけ先のトイレの大きなミラーに、窓から自然光が入ってきていたんだけど
ちょうどライティングの角度が絶妙だったのか、
影の落ち方がもう…皮膚のボコボコ全部が浮き上がってそれはそれはひどかったの!!
スーパーマリオカートのチョコレーとうのコースじゃん!みたいな🏎(˙◁˙)笑
もうずっとこんなだからあんまり鏡を見ることがなかったんだけど、
改めて見たら妖怪もびっくりクマも逃げ出すの状態だった、自分でもぎょっとしたもん、
「ぎょっ」ていう擬音がたしかに頭の上あたりに飛んだぐらい笑

「うん、ちょっとこのままではやばい…」と考え直したのがはじめた動機です(長い)

.

とりあえず、これまで試してないことをしないと効果がないと思ったので

・漢方を服薬(粉末ではなく処方してもらったガチの、魔女みたいなやつ)
・小麦、大豆製品、できればお米も控える
・同様に、お菓子、揚げ物、コーヒーなども
・油はバターとココナッツオイルのみ可
・脱保湿/お風呂もできれば控える

をメインに動いています、主にとにかく食べ物だねえ🍴

グルテンフリーの何がいいのかをようやくちゃんと勉強しました(おそい)
これはたしかに効果があった!!痒みがぐんと減ったように感じています、

リーキーガットが起きている、ということは腸内菌をよくしないとなのかなと思い
ヤクルトY1000も少しの期間試したけど(少しだけだからかもしれないけど)、
特に便は安定しなかった
(まあそこは効能に謳われていないしね/寝つきはよくなった)

お菓子が大好きなのでどーーうしてもあきらめきれないけれど…🍪🍦🍿
小麦は取れないから、クッキーやケーキなど「いわゆるお菓子」なものはまず排除されるでしょう、
一般的な油もよくないから、野菜チップスみたいなのもよさそうにみえてダメでしょう、
となるとおせんべいやあんこなどの和菓子になるけど、大豆やお米をばりばり使ってるでしょう、
どうがんばっても活路は見いだせないじゃなーいのー!!っていう_(:D」∠)_

いまのところは、バナナとチーズでなんとかやりすごしています…🍌🧀
(たまに負けちゃうけどね、HAHAHA)


4月中旬から始めて、リバウンドの炎症が多く出ている時に
子どもたちの、年度はじめらしい懇談会や面談などのイベントが多くて
精神的にまいりました🛌🌀
でも、これを気にして欠席するということは
「自分はこういう顔の人を軽蔑している」ということと繋がるので
どんな顔でも堂々としていればいいよ!
他人は人の顔なんてそうそう見ていないよ!
と思ってきちんと参加したけれど( -᷄‧̫̮-᷅ )
(そこまで吹っ切れられるほどまだ受け入れきれてはないけれど)

私はあくまで顔面だけなので(リバウンドしてからは首周りもですが)、
全身に出ている!という方に比べたらかわいらしいものかもしれないです、
開始当初は片足にギプスはめて顔面はひどいことになってて、
どれだけズタボロの人なの!と客観視したときおもしろかったです🤕😂


闘病ブログでもつけようかなと思ったけど、文章量を考えないタチなのと
写真で具体的な経過を載せないと意味がない(そのつもりはない)ので
とりあえずTwitterにてちまちまメモしています、

あと、ネットは本当にいろんな意見や人がいるゆえに
(保湿ひとつでも、してはだめ!したほうがいい!という両極端が全然いたりする)
振り回されたり比べたりして疲弊してしまうので、
参考にする指針をひとつに決めて(できれば信頼できる医師の方)、
他の外の意見は見ないほうがよいように思います、
(私に言われなくてもってかんじですよね😂すみません)

細胞や好みや生活環境がそれぞれ異なるから、
どんな人でも絶対痩せるダイエット法やどんな赤ちゃんでも絶対に泣き止む方法が存在しないように、
自分に合うやり方は、自分の体でトライ&エラーして見極めてゆくしかないんだよね…💭


次回POP UPを開催するときまでにどれぐらい良くなっているのかわからないけれど
おなじように悩んでいるアトピー・乾燥肌さんがいたら、
一緒に悩みを共有したり、何か力になれることがあるといいな˚*♡๑॔⁌̴̶̷ ॣ·̮ ॣ⁌̴̶̷)·˚*

﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏



おやくそくの、読んだ本のビボ〜ロク

SNSをスクロールしていると勝手に流れてくる求人の広告で
「文章を読むことが好きな方」との条件があったけれど
この程度では難しいんだろうなあ、などと転職する気もないのに無駄に苦笑いした

.

− 『春のこわいもの』川上未映子

"知らないってのは損なことなんだな。ちゃんとした情報にありつけないっていうのは。負けつづけるっていうかさあ。
狭い世界で取り残されていくっていうか。べつに感染症のことだけじゃなくて、生きていればなんでも。"


"両目とも、二重切開にブラス目頭プラス涙袋形成、鼻はプロテーゼと小鼻縮小、鼻先をクリップでつままれたようになっており、額はヒアルロン酸か脂肪注入でこんもりと盛りあがり、これが噂のコブダイか……とトヨは内心でどきどきした。フィラーの入れすぎで上下ともはちきれんばかりに膨らんだ唇は、まるで小人の尻のようだった。
じろじろ見ては失礼だとわかっていても、それぞれのパーツと、それが合わさったときに奏でるインパクトがすごすぎた。目も鼻も唇もすべてが飛びだす絵本の部品のようで、どこにピントを合わせていいのかわからないというか、逆に全部にピントが合っていてどこを見ていいのか、わからないというか。"



震災の時は音楽家が、感染症には小説家が立ち上がっている気がするよ
小説は、物語は、必ずしもきちんと着地しなければならないものではないということを知った
内容を「不穏」のひとことで片付けられがちだけど、
コロナ後のどこか煮え切らなさみたいのを鮮明に捉えている…気がする

収録作では「ブルー・インク」や「娘について」を好きと挙げる人が多い印象を受けたけれど
わかりやすく見せ場のようなものがあるからかなあ、個人的に「あなたの鼻がもう少し高ければ」が好き
川上未映子さんらしい、文体の刃物っぽさ

.
− 『ミルクとコロナ』山崎ナオコーラ / 白岩玄

"しかも、私の場合は、体調や他の家族のおかげで、育児が楽しい。以前、「育児が楽しいと書かれると困る」と言われたことがある。「女性は男性と違って大変なんだ」という文章を待っている人がいる。
それでも、私は自分が思っていることを書くしかない。作家の仕事は、社会の分析よりも、個人の心を正直に書くことの方に重きがあると私は考える。読者には、「こういう人もいるんだな」というところを面白がってもらうしかない。また、私は自分の考えで社会を染めたくない。エッセイは、読み物として楽しんでもらいたいと思って書いている。そして、私はいわゆる「女性間題」で苦しんでいる方を軽視していない。女性の貧困、女性への暴力、女性の社会進出については、私ではない人がきちんと仕事をしてくれている。だから私は書いていないだけだ。また、誤解しないで欲しいのだが、「私は、苦しんでいない」と私は書いているだけで、「女性は、苦しんでいない」とは書いていない。それから、女性らしい生き方をしている人を否定することは絶対にしていない。女性らしい仕事をしている友人もいる。私にはできないというだけだ。「多様な人がいるね」というだけのことだ。"


"私には、たとえ育児エッセイでも、子どもではなく考え方で仕事をしている自負がある。
以前、「自分の子どもの「障害」について書くようになったら文学者として終わりだ」といったお考えの作家の話を聞いたことがあるのだが、私の場合は、それを書くべきだと考えている。むしろ、それが文学ではないのか。それが仕事なのではないか。
個人の出来事を、社会の出来事だと捉え直すことが、仕事だ。私は、自分の日記を公にしていない。そのままの個人の文章は、仕事にならない。育児エッセイとして発表するのは、個人の出来事を綴っていても、社会に関する文章になったときだ。
それが私なりの家族と仕事の間の感覚ということなのかもしれない。個人の出来事が持つ社会性を信じるのだ。"


"愛とはなんだろう? と考える。
その存在が、他の存在よりも抜きんでて素晴らしくなるのを望むことだろうか?
いや、そんなことはないだろう。他の存在に関係なく、その存在を愛おしむことではないだろうか。順位や席の良さや当落で愛が揺らぐことはない。
今の日本社会には、自分自身のために他の存在を押しのけたり、無理やりにでも自分が前に出ようとしたりするのははしたないことだとされているのに、愛する存在のためにそれをするのはむしろかっこいいことだとする視線がある気がする。"



白岩さんの回で、

「我が子(まだしゃべりがつたない乳幼児)が癇癪を起こしたときに
何を嫌に感じていたのかを初めから順を追ってひとつずつ挙げていくと
言葉にならない感情が少しずつ外に吐き出されて段々気持ちが落ち着いてくる、
どれだけパパママ嫌い!とわめかれても「パパは○のことが好きだよ」と繰り返し伝える、
自分がもし同じような状態になったときに、どんな言葉をかけられるのが嬉しいか?を考えた結果
抑制がきかなくなっている自分を、それでも好きだと言ってもらえたらちょっと安心するのでは」

ということを言っていて
ああ…これはものすごくきっと「正解」なんだけど、多分、参考にしてただ実施してもダメなやつ…
白岩さん自身が経験して向き合って何度もいろいろ試して考えた上で出した答えだから有効なやつ…
と思いました、

やっぱり人間関係に近道なんてないよ

.

− 『たてがみを捨てたライオンたち』白岩玄

『ミルクと〜』を読んでから、ちゃんと白岩さんの著書を読みたいなと思い本文でも挙げられていたものを。
それはもう、A型が服を着て歩いているみたいな文章だなと!
クセがない、優等生、学級委員長、でも決して声を大にする生徒会長ではない…(とても褒めています)
"家そのものや家具は新しくなくても、あるものをうまく使って気持ちのいい空間を作ろうとしている姿勢が見受けられる。"
という一文がそれらをよく表しているなと感じた(そこ?笑)、

とにかく今作品しかり、夫婦というものは
「自分の考えは間違ってるかもしれないっていう疑いを持てるかどうか」
「ふたりできちんと考えて話し合って出した答えならば、それが一般的には外れた答えだとしてもたしかなしあわせとなる」
ということなんだよなあと思い知らされる、さっきの我が子に対する対応もそうか

そして「異性の体を抱くことでしか回復しない心の疲弊」はたしかにある

.

− 『スイッチ 悪意の実験』塩谷験

普段読まないようなジャンルと知らない人の作品が読みたくて、古本屋にて適当に惹かれて選んだ
ミステリーったらどうあがいても犯人を当てられない、
宗教は人を滅ぼしますっていうことはみんなわかってるはずなのになくなることなどない、

読書は、ドライブに連れていってもらう気分と似ているなと思った、
かかる音楽や行き先や時間帯も著者それぞれ、文体は車そのものに近い。
本作はタクシーみたいなよそよそしさと匂いを感じた(私の場合は)、白岩さんは、電気自動車。
私はラシーンやカングーみたいな、乗り心地はよくないけれどそれにしかない魅力がある車体(文体)がラブいのか…

.

− 『下ネタの品格』文藝春秋 編

"田丸 - イタリア男性にとっての驚愕と恐怖の違いは何か、ご存じですか?驚愕は、直後の二回戦ができなくなったとき、恐怖は、一回戦ですら思うようにならないときの気持ちなんです。"


"小池 - たくましい質感はいいんだけど「マッチョ」はだめ。観念的に男性性を出そうとするのが見えちゃって、それがわかると、本当につまらない。"


"鹿島 - 人間を駆り立てる原理は三つしかないと考えているんです。一つはめんどくさいことを嫌う。もう一つはやりたいことをやる。第三の原理は、人から褒められたい。この、という承認願望があるから、相手からちやほやされないと不安になったり、焦ったり、要するに脅迫概念にとらわれるわけですね。
西木 - その三つの原理って、ほとんど人間の生存本能に近いからね。
田丸 - ですから、この老人セックスとかも、自分を認めてほしいという気持ちの表れなんですよね。
西木 - だとすれば、六十代のセックスといっても、必ずしも性欲とは直接結びつかない可能性もありますよね。それだけ制圧を感じ、不安を抱えている人が多いということであって、より社会的な意味合いがありそうだ。
鹿島 - 物書きっていうのは、もともとそこから出発してますよね。"


"勝目 - 情報を与えられたら物語は作れるかもしれないけど、原則としてそれでは小説にはならない。事象的なことだけではなく、書き手の身体性みたいなもの、もっと内発的なもので小説は成り立つべきだと僕は思う。"


"村山 - 誤解を気にしはじめると際限がないので、もう書いたものはすべて虚構なんだ、と思うようにしたんです。私が選んで書いた言葉自体、幾つもある言葉の中から選ばれて出てきたもので、意図的に書いたことはもちろん、意図的に書かなかったことがある時点で、それは既に現実と乖離しているわけですよね。それを読む人はさらに自分の経験で翻訳して読んでいくわけだから、また乖離が進むわけでしょう。そう考えると、現実はどうあれ一度書かれた時点ですべて虚構なのだから、つまらないことを考えるのはやめたんです。"
(出産・育児・性別などいろいろデリケートな話なのでどうか読み飛ばしてください、
自分はいまこういう考えを持っている、こういったことを思ったという日記やメモとしての役割が強いです
不快に思われる方もいらっしゃるかと思いますごめんなさい、明日には考えが変わっているかもしれない消すかもしれない)



5月も半ばを過ぎたけれど
新1年生の息子の、

「がっこういかないからね( ー̀□ー́ )」
「おうちにかえる!˚‧º·(˚ ˃̣̣̥᷄⌓˂̣̣̥᷅ )‧º·˚ 」
「おかあさんがいっしょじゃないとやだ!(⌯ ˘̀^˘́ ̜⌯) ︠³ ︠³」

に、ほとほと頭を悩ませる朝

これにどう返せばいいのか、わからない
否定することなく気持ちに共感する(そっか〜行きたくないんだね)、
今できていることを褒める(門まで一緒に来れたじゃん!すごいね!)
などが有効なのはわかってはいるけれど、
いざ実施しても、泣きながら上のせりふを変わらず連呼されてしまうと、
やっぱり間違いなのかなあ…有でも効でもないな、どう対応するのが正しいのか?
「じゃあ今日は学校休んでいいよ?」は寄り添いと見せかけた放棄でしょう、

いざ帰ってくると、
「授業でこんなことしたのー!」とか
「今日は◯◯くん(人の名前を覚えるのは感心するほど得意)とツツジの蜜吸って遊んだー!」
といった具合のことをたくさん具体的にお話ししてくれて
朝のあれはまぼろしかな?というくらい楽しそうだし、
明日の用意も宿題もそれなりに進んで行うので
他のママ友がよく挙げる
「学校で何をしてるのか訊いても話してくれないから全然わからない…」
といった悩みとは無縁なのはありがたいのかもしない、


私の両親は
「わたしたちの敷いたレールを走らなければ許さん、それはお前がしあわせになるための愛なんだから」
という考えの人たちだから(いわゆる毒親とはちょっと違う気はしますが?)、
中学高校はもちろん、小学生低学年のときですら
「学校にずっといたい」「家に帰りたくない」と思ってたので
息子の「学校に行きたくない」という感覚がどうしても今までの自分のままでは解決できない
(そもそも、想像力を働かせて相手側に回る努力をしなければダメなんだけど)
(私と子どもは他人なので、たとえ同じように楽しく通っていても心の中は別でしょうけど)、


秋ぐらいには慣れてくるよ、というありきたりな言葉を頼りなく励みにしているけれど
やっぱり日にち薬しかないのかな

不登校・引きこもりにはこちらがあれこれ動いたり介入する必要はなく
ただ安心して帰ってこれる温かい場所を提供しなさい、とはいいますが…

.



どこからかぼんやりと流れてきただけなので詳しくはわかっていないけれど、
これが炎上?したのかなあ、
ただ少なくとも私には、ああこれは本当にそのとおりだ、私のことだ、って衝撃を受けたんだ


私には子どもが2人いるけれど、これはただ

「卒業したら就職して、27くらいまでには結婚して寿退社して、そのうち子どもができて…兄弟も…」

みたいな、一昔前のモデルロールになんの疑いも持たずに、のうのうと生きてきたからだ
欲しいと思って授かったわけじゃなくって、好きで結ばれた男女2人が暮らしていたら
気づいたらこうなっていた、流されただけの結果なんだ

だから今、「自分より脆弱なうえに感情的で制御できない存在の世話をする」ことに疲弊しているのだ
これは結果がどうなるにせよ、自分(たち)できちんと向かいあって答えを出さなかった「罰」のようなものだと思う


"すぐ不機嫌になる人は基本甘ったれてるっていうのはすごいわかる。穏和な人って結局大人なんだなーと思う。自分の機嫌を自分でコントロールできること、不機嫌で他人をコントロールしようとしないこと。年齢関係なくそれが大人ってことなんだろう。"

"子供とは何か、という質問に答えたある人の「人を傷つけたことに気付かず、人に許されていることに気付かない段階」という答えほど完璧なものはありませんでした"


私は自分自身のことが本当に好きではなくて、
その理由の元凶は
「好きなものや趣味や夢を、ことごとく親に否定され潰されてきたので自分の選択したものには価値がないと植え付けられてきた」
からなのでは、と思うので(さっきからまあこうやってなんでも親のせいにしていればラクだよねずるいねえ)、
そんな私が子どもを持つ、ということは
「自分みたいなこどもを増やすのではないか」
「親みたいな親になってしまうのではないか」
ということと結びつくのでまあまあ悩んだ(ゆえに結婚から出産の間がそこそこひらいている)、

でも結局のこれじゃないか!


子どもができなくても、夫婦ふたりでずっと暮らしていく生き方もとても素敵だ!と心から思う、
(それに対し「子どもがいないなんて老後どうするの?」みたいなこと言う人、介護させる気満々でちょっと疑う)

なかなか授かれない…という身で、長い時間と高いお金をかけて不妊治療して
それでもダメでどんどん崩壊していく夫婦のどろどろとした漫画とか消費されているけれど、
それって本当に子どもを持ったらしあわせになれるんだっけ、既に夫婦そのものが離れているのに?
何のために子どもが欲しいんだろう、何の「ために」って利益損得?義務になっている時点でダメなような、

いや、なんだろうな、違うなあ、子供をもつことも、夫婦で生きることも、
ふたりできちんと考えて話し合って出した答えならば、
それが一般的には外れた答えだとしてもたしかなんだよ、
さっきの『たてがみを捨てたライオンたち』じゃないけどさあ、
相手は「いま」どういう考えなのかを、ちゃんと話して共有することを習慣づけること

ただこれらは?私が自然に苦労することなく子どもを授かった身、
漠然とだけれど思い描いていた通りに進んだから言えることでしかなくて
(だからほんっとうにきれいごとを言ってくれてるな!と思われてると思う、ごめんなさい)、
もしもまだ私自身、夫婦ふたりの生活だったら
同年代の友達のインスタや年賀状を見てその度に疲弊しているんだとおもう、
結局叶わなかった道を羨むしかできないのか

『この世界の片隅に』で周作さんが

「過ぎたこと、選ばんかった道、みな覚めて終わった夢と変わりゃせんな。すずさん。あんたを選んだんは、たぶんわしにとって最良の選択じゃ」

と言うシーンがあるけれど、私はここで到底敵わなくなる
私は、私の選んだことが最良の選択だなんて迷いなく言える日はきっとこない

いつかの男性は「生まれ変わっても今の妻と結婚したいけれど、生まれ変わったら結婚はしない」と言っていた、
また別の女性は「産んで後悔するより、産まないで後悔するほうが自分だけの責任で済むから」といった意味のことも


うーんとえーと、いろいろぐだぐだ話しているけれど(論点がもう…)
子どもがいる人もいない人も欲しい人もいらない人も、
決めたことならそれを尊重したいし応援します、ってことは伝えておきたい、
そして決めなかった私 選ばなかった報い



そんなまあ、さまざま思うことがあって
タイトルが刺さってしまうわけです(まだちょっと冒頭しか読めていないんですけど)、

常にこう思っているという極端な話じゃなくて
(このところ、どっちの意見も持っていていい、
それが日によって変わってもいいっていう考え方が浸透しているように思う)
子どもを持って本当によかったと思うことももちろんたくさんある、これは誓える、嘘ではない、けれど
「子どもを愛している。それでも、母ではない人生を想う。」なんだよ、なんだよなあ。



.

私は子どもより自分の気持ちを優先してしまうクソみたいな親なんだ

1日中絵を描いていたいとか、読みたい本だって積読されるばかり
友だちと海外旅行に行ったり、夫と映画にも観に行きたいポップコーンを食べながら
気になってたお店にふらっと立ち寄りたい、自分の食べたいものを注文したい
配信だってリアルタイムで追いたい、仕事だってもっとやれることがある
東京に暮らし続けた生活もあったかもしれない

好きな時に好きなことをしたいという、自分を満たす欲望にまみれてばっかりだよ


ただこれは、

「お年寄りの方が来たら席を譲ろう」と思っている人と、
「は〜〜誰でもいいから殺したい〜」と思っている人、
悪なのはどちらでしょう、
答えはどちらも「思っている」だけで
実際に何か行動にうつしたわけではないので
善も悪もないです、おんなじです

といったような文章を前に読んだんだよ(ソース探したんだけどどこだっけなあ絶対Tumblrなんだけど)、
それでいうとまだ救いがある(のかな)


子が体調を崩したら仕事を休んで病院に連れて行くし、
お休みの日は公園に出かけては砂にまみれるし、
好物を作るよ、好物ならあげるよ、サンタさんにもなるよ
ほんとうに実行していることはこっちだから大丈夫だよ

でもこんなの、当たり前なんだよ
当たり前の顔してなきゃあ


(うーんきっとあれだな、進んでしていたり楽しんでいるんじゃなくって「してあげてる感」が強いからよくないのよ、
親子は上下じゃなくって、子もひとりの人間(他人)として同様にリスペクトしなければならないというのに!
「相手を楽しませたい」ことが「世話をすること」よりもどれだけ重い意味を持つか!
やはり私は親のような親にしかなれないのか もういろいろ遅いのか)

.

ちょっと別の話で、
「生まれてきてくれてありがとう」という言葉にずっと違和感を覚えていたんだけど
これってオカルト的な?「子は親を選んで生まれてきたんだよ♪」みたいなのが意味として含まれるからだけではなくて、
(胎内記憶を否定はしないしそういうのも全然、自分には縁がないだけでちゃんと存在するとはわかっているんだけど)

"国は何とか少子化を食い止めようと、出産や子育てがいかに素晴らしいか、美化することに躍起になっている。子供を産めない(産まない)人たちは、「生産性がない」と切り捨てられもする。だが俺はハッキリ言う。子供を持つということは、究極の「勝手」だ。なにしろ親の一存で、一つの「命」を創り出すのだ。その親が勝手に創り出した命だからこそ、親の思う通りにはまったくならない。子育ては美化されるようあものではなく、泥臭くて生々しくて、融通の効かないことだ。「死」がコントロールできないように、「命」を作り出した結果もまた、どこに行きつくかわからない。"

『子供を殺してくださいという親たち』という漫画内の、
問題のある子どもは親の責任であるというのが本筋のコラムですが
これの指すように、親の「勝手」でしかないんだよなあと思う、
そもそもの生むのも生まないのも、何人家族にしようかーなんかも不妊治療も
結局、親側がコントロールしているところがあるじゃないですか

単純に「〜してくれて」っていう言い回しに過剰に反応しているだけかもしれない
とにかく、よく使われるしいわんとすることはわかるけど自分は使いませんね、っていう話


いつぶりだろう、4月1日がまたきちんと意味を持つようになる
「春はもう君のものです」といういつかの漫画で読んだフレーズを今日1日ずっと口の中で転がしている

.

骨折したおかげで徒歩生活に戻った
道路に書かれただれかのチョークでの落書きもパン屋さんのにおいも
いつのまにか咲き誇るさくら、みりみり音のしそうなチューリップのつぼみ、
コンクリートを突き破るつくしの群れ、ナズナもたわわ
自転車に慣れ切って通りすぎてしまういろいろ

いつもより早めに起きた朝からずっと、緊張するなあとへにょへにょ顔だった息子は
新しい環境に着けば、きちんとお名前を言いひらがなの自分の名前も読みするすると飛び立ってしまった

ちいさいのとおおきいの、3人で通った道もこれからは娘との2人で歩くのか…
彼女の、逆に背負われているような大きなリュックもあっというまに愛おしくなるのでしょう


骨折の経緯、(Instagramのストーリーでは話したのだけれど)
自転車で転倒してしまって(前後にこども+電動=大型二輪並み)
左膝を思い切り打ちまして、まあ打撲だろうな〜と思っていたのですが
(お恥ずかしいことに転倒するのが今季だけで3回目…/子は無事です)
これまでに比べて、時間が経つにつれ痛みが増していく&動かせる範囲がどんどん狭まる&ブクブクに腫れてきて
これはちょっと異様かも…と思い、翌日に病院に行ったら膝蓋骨(しつがいこつ)骨折ですと🦴

わたし、陣痛のときもまあ違うだろうな〜行ったところで帰されるんだろうな〜と軽い気持ちで病院に向かったら
子宮口8cm開いてたりだったので、痛みの耐性がたいぶ高いらしいと今回で確信した🤔
(というより、自分でどうにかできる間は他人に頼るな、的な教育を受けてきたのでそれが根源な気がする)

ちなみに骨折の痛みのピークは陣痛と同等かそれ以上では!と思ったよ、
(陣痛は長くてもどことなく終わりが見えているからね…)
「骨折り損」って言葉があるけど、「余分に部数刷ったけどおじゃんになったわ〜」くらいの
安易な意味には使えないなと思った(例えが下手)

ちなみのちなみに(過去にも書いた覚えがあるんだけど)、
出産を終えたときの感想は「石抱きのほうが絶対痛い」です😂


ないと数歩も歩けなかったほどの松葉杖は早くもなくなり、ギプスのみになりましたが
完治するのは5月のおわりまでかかりそうです🌿
少し動かせるようになったので調子にのってたら、
おとといちょっとまたやらかしてニョーってなっているところ(典型的ダメなひと)
しばらくの間、発送等でご迷惑をおかけいたします…_(:D」∠)_


そして、ネットでもリアルでも
骨折したことあるよ!靭帯切ったよ!系の怪我をしたことのある人の多さにびっくりしました、
みんな人知れず同志( ˆ̑‵̮ˆ̑ )!喜んじゃいけないけどちょっとうれしいな(わかるかな)、



これはそれぞれ、娘が描いたわたし・息子が描いたわたしなんだけど
しっかり骨折していて笑いました(息子のは松葉杖😂)
「こどもは"いま"を生きている」というけど本当にそう!
「普段のあなた」じゃなくって「いまのあなた」を思い切り反映している…


そしてね、昨日ね、

🐻「雨降ってるねー」
👧🏻「そーお?よくわかんないよう!」
🧒🏻「こさじなんじゃない?」

ってゆったのが、ンフフまだまだおチビだのう…
と思えてかわいかったです ₍ᐢɞ̴̶̷ ·̫ ɞ̴̶̷ᐢ₎♡̷̷̷(こさめ!😂)

﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏

✍🏻

.

冷静に考えてみると、
「年少・年中・年長」という呼び方っておもしろくないですか、

いちばん小さいのが「少」なら「大」か「多」なのでは、
少佐よりえらいのは中佐で大佐だしなあ…
長の反対なら短になるはずだ、
いちばん上は長男長女というけれどそれなら中は次になり末っ子と続くのか、
小学校・中学校・高校なのだから年高もありえるのかもしれない

など、こういう言葉の揚げ足を取るようなことばかり考えていていやだ

.

おなじような話(?でもないんだけど)で、
同性婚を認めるなら近親婚も認めなければそれなりにおかしいのではないでしょうか、

もちろんそこは同性婚と違って
「子供を授かった場合に障害を持って生まれる率が高い」
という明確な違いがあるけれども、
障害を持って生まれてきても育てる覚悟があるならば許されるのかしら?
結局「周りの偏見により苦労するからやめておけ」というところが
どちらにおいても似たような反対の模範解答なわけでしょう、

「この世で自分のことを心から愛してくれる(愛する)人がいるならば
性別や間柄は関係なくて、その"人"個人を認めるべき」
というのが同性婚を認める意見なのあれば
愛の対象が、兄弟姉妹でも従だろうとも同じように素晴らしいといえることなのでしょうかねえ、と

私は、同性婚はいいんじゃないの派なのだけど近親まで伸びるとまだ考える時間をくださいとおもう、
ずるいかなあ、とりあえずのメモ
(年の差婚 < 同性婚 < 近親婚?)(この辺勉強不足なのでトンデモなことを言っているかも)

﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏

卒園アルバムをとりまとめているので
親御さんのマスクなしの顔写真をいただくなどしたとき
みんな印象がぐーーっと変わる、男性でも女性でもその大体が色っぽいなあと思う、
パンツで隠されている部分のように、マスクで隠される唇にもエロさが足されてゆくのかしら
(いやもともと唇はエロいんだけど…)

エッセイ漫画等の「マスクは割愛しています」の注意書きがいかにも日本でげんなりする
すり減らない練習をしている



3月は全然本を読めなかったから自分ひとりの薄っぺらさがすごい、
けど瞬発力を、今しか書けない気持ちみたいな方を取るべきだと思ったの
ひっくるめて愛せるようになれたらいいね


駒沢から東名に乗る、なんて
なんてことないことを夢に足してもいいじゃないですか
過去にとうに叶えているというのに

愛しさはやがて切なくな〜る〜のだという

﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏

年明けからずっとフタをされていた言葉たちが
今日まで煮込まれ続けているのはいつものこと
(なんか、去年もおんなじようなことになってなかったっけ)

✍🏻

◆1月

.

年明け1冊目は実家にあった『海と毒薬』にしました、帰省時に新幹線車内のあの細い電子バーに遠藤周作の文字を見たから

.

年明け1曲目(口ずさんでしまった)はNeil Sedakaの『Bad Blood』になりました、なぜ

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「涼しい(冷たい・寒い)」のより「暖かい(温い・暑い)」ほうがしあわせなんじゃないの、
とずいぶんと信じていたのですけど
人に冷たくされて傷つくのは自分が強くなればよい(自分の力)、ということで改善しうるけど
粘着質で暑苦しい間違った愛、みたいなのはどうがんばっても逃げられない(他人の力)ので
実のところ逆なのかなー、と思うなど

.

好きな人って自分にとって気持ちの良い人ってことでしょう、
挨拶が素敵だなとか顔がかっこいいなとか全部全部
だから恋は自分を満たすものだと
年下の、自分だけが気持ちよくなるセックスと
玄人の相手をイかせることに悦びを~みたいなのの違いかな(? 違うとおもう)

それが純粋に相手のためを想うにならないと愛ではないのか
だとしたらわたしは夫のことは好きだがもうそこへの愛はなくなって子供に移行しているなと思うなど

.

「否定されなくなった」だけでは居心地はよくならない、なぜならそれは当たり前のことなので
「わざわざ肯定される(褒められる)、応援される」ということが大事なんだよ

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◆2月

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自分の中の統計、その道の第一線で活躍しているような人は
どんなひどい映画も必ず褒めるんだ…

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下位互換から抜け出せない

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ValentineのPOP UP、
「マヌさんに会えると思ってたのに残念です」といった類の言葉をぱらぱらいただいたのですが、
お買い物してくださったあるお客様に
「今回、いちばん店頭を見たかったのはマヌさんだろうなあ~、と思いながら帰ってました」
といわれて、その瞬間にものすごく救われた、
そうか、そうだよ、
わたしがいちばん行きたかったんだよ

と同時に、『水曜どうでしょう』の最終回のち大泉洋さんの書いた日記を思い出していた
なんでかはなんとなくわかるでしょう、わかるかなあ




.

◆3月

.

誰かの人生に1度でも自分を選んでもらった瞬間があるなんてすごすぎる
そして大体、それに見合う自分じゃなくてごめんねとこちらから逃げ出す

.

歪むと曲がるは似てるようで違う
温かさを売りにせず当たり前として掲げずに

.

誰しも、なんのために仕事をしているか、という問いに
自分が生きてきた証を世に残したい、みたいなのは大いにあるとおもうんですけど
(自分の企画した特集の雑誌が出るとか、自分の組んだ建物が立つとか)
わたしは自分自身は認識?反映されなくていいといいますか
30年40年前のぬいぐるみがいまB.A.B.Yで綺麗に復活し
また次の30年40年が続いていけばいいな、
元の持ち主を離れても次の誰かにまた景色を見せられるのならそこに私がいなくても全然よい(むしろノイズかもしれない)
ただ続いていくことが静かにでも確かに必要とされているという誇りへと繋がる

気がする

﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏

📚

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賞なども受賞されてるずっと気になっていた女性作家さんの最新作を読んだら
主人公の、自分のよいものは他人にもよいと信じてやまなさ、おこがましさみたいなものが鼻につきすぎてイライラ発狂しそう!となって
(別の女性作家さんの作品でもそうだった、女性視点から書く男性と男子のあいだの特有のにおい、みたいなのがあるのかな)
それを拒む相手の理由が複雑に絡み合ってるのかと思ったら本当に純粋に興味がないんだとわかってからは楽しめた、
けど最後が最初とまったくおんなじ文でしめくくられたことで再度白けてしまった、
ここまできたならもう完膚なきまでにフィクションの美談な結末でもよかったのでは

この、なんでもない話なのに読ませてしまう、イライラするなら読まなきゃいいねなのに睡眠時間と引き換えてまでそうするのは
本は必ず終わりがある、見えているから
いま開いてる箇所から閉じるまでの3センチの厚みでどういう展開をしていくんだろうというのを見届けたい、答え合わせをしたい気持ちが憤りに勝つのだ

同作家さんの、本命で気になってた作品も借りたけど
こちらは漫画化されたものをある程度読んでいたので1ページ目からうん、もういいかもと閉じてしまった

わたし、好きな小説家は?と聞かれたら
「朝井リョウ、川上未映子、よしもとばなな」と答えるんだけど
なぜなのかを掘り下げたら
「言葉でしか伝わらない表現ばかりでおもしろいから」なのかもと

文字でなければ意味がない描写が多いからだ、
映画化されようが漫画化されようが本でなければならないような



夫が、本屋さんに行ってくる といった帰りに買ってきてくれて
それだけでずいぶん取り戻しちゃう自分
だれだっけ、数年前に、流行りの人が
「同居している恋人が、自分の日用品を「なくなりそうだったから」と買ってきてくれたときに結婚しようとおもった」
とゆっていたことがずっと印象に残っていて、
それとは違うんだけどさ、どちらかというと日常じゃないんだけどさ、
ただうれしかった

.

図書館に蛍の光が流れている時間にかけこんだのでとにかく目についたもの!と勢いで借りた2冊、
有名漫画家さんのエッセイは完全に
「自分の身の上をそれなりにわかっている人じゃないと楽しめない話」が多くてちょっとすり減った、
村上春樹さんの『村上さんのところ』はいわゆる"ハルキスト"が多すぎて最初は
うう これも閉鎖的な空間なのか…としりごみしたけどそこはさすが小説家だった、最後は夢中



ビジネス書ってなんであんなに読みにくいんだろとつね思ってたらフイに答えをいただいた、ははあ

.

わたしは文字はすきだけど好きじゃなくて
日記も、つけないと気持ち悪いとまではならないけど
定期的に、起こったことだけではなくそれによって沸いた気持ちをまとめて
可視化しないと息苦しいなとは感じる、ガス抜きという表現がしっくりきている
歳の30か40を超えると文字にしなかった感情はなかったことになるらしい、

書くとぜんぶわかる、とても恐ろしい行為だ、とここ最近はかなり思っていて
書くことによって書かなかったことが浮き彫りになる、と先日書いたクリーニング記事で確信した、
「書くということは、書かなかった行為や気持ちを認める行為」だと

例えば、自分がハンドメイド作家だとして
まったくはじめましての方から何かイベント出店のお誘いメールをいただいたとき、
冒頭が「お世話になっております」なら「この人は社交辞令を言うのだな」と思うだろうし
(わざわざ思わなくても、あまり意識はほぐれないのではないでしょうか)
「ぜひ参加していただきたいです!」というだけの、
こちらの名前や具体的に出してもらいたいアイテムなどもないだけの誘いでは
みんなにおんなじ文面送ってるんだろうなー、似たような雰囲気なら別に誰でもいいんだなー、
とかわかっちゃうじゃないですか、

ここ最近出てきた「本当はマウントを取っている台詞」とかも典型的な「書くことでわかる」だとおもう、
どの言葉でどの視点から切り取るか、によって
その人が本当は何を思っているのか、はずいぶん見える


このあたり、ソース元は『ちいさい言語学者の冒険』という本だったかなと思ったら違った…
(話は変わるけど、英語学習は音を拍で把握する(&アクセントを正しく知る)のがいちばん効果的といったことは
これと前にも別の本でゆってたなあ、受験生の方とかぜひ試してほしい…理解が深まるとおもう)

.

好きな絵を描く人が薦めていらした
『「色のふしぎ」と不思議な社会 - 2020年代の「色覚」言論』という本が
単純な色にまつわるお話あれこれかと思いきや、主に色盲についてのお話で
とても知識の海が広がるかんじがあったのでみなさんもぜひ…という気持ちです…2章がだいぶ重いんですけど(ꙭ̱৭)

論文っぽいのは同じ意見をどの章でも繰り返し言いがちでその点はつい身震いするのですけど、
とにかく「エビデンス(科学的・客観的な証拠)に基づく」ことがいかに重要かがよくわかりました

"まずは、色というものの性質を知り、「正常」だろうが「異常」だろうが、たがいに常に間違いあっていることや、そもそも、誰が正しく、誰が正しくない、というものではないことは、基本中の基本だろう。これを知るだけでも、「色間違い」という言葉自体が、概念としておかしいものだと気づく。「健全な錯視」である色覚には、コンセンサスはあっても、「間違い」はない。だからそれは「間違い」ではなく、「少数派」であるだけだ。
そして、そのような多様な色覚が現在のような形で存在するのは、進化の中で培われてきたものであること。普通の検査では分からないが、「ドンピシャの正常」(と想定されるもの)からずれている人はとても多いこと。そのように様々な見え方がする人たちがいること自体、ヒトが持つ力強さの一部なのだということ。そんなふうに理解の枠組みを組み替える必要がある。"


.



そして、本筋じゃないところでゆってたこれがそれすぎてびっくりしました



私の絵、あからさまに彩度が落ちたなーって思ってたんですけど、
この2枚(上は2014-2015年、下は2021-2022年)を比較しても一目瞭然なんだけど、
「彩度が高すぎて目が痛い、いやだ、自分の思っている希望の色が全然作れない」と思って当時絵をやめたところもあって
今はそれなりに許せる?好ましい色になってきたかも、と思っていたらもっと意識していない部分でも理由があったのかと
「おばあちゃんはなぜみんなあずき色のカーディガンを着ているのか」の答えもこれなのではないのかと


iPad購入してから月1くらいでだけど絵を再開しています、
もっと描きたいけど、いまのところ自由時間の選択は仕事か本を読みたいに潰されがち、優先順位さみしい

「無責任な言葉だけれども、マヌさん自身が苦しくなければ、これからもいろんなものが見たいなあと思います。」
の言葉を胸にしばらく進む
進んでゆくんだよーさっちゃん、
ありがとう

﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏

🔍

iPhoneを新しくしました
7から13miniになったのですけどおよそ2倍もジャンプしたのすごい、マリオのキノコ

データの移行の際、こまこま整頓していたのですけど
私はsafariのタブを閉じないクセがあって
ラジオや本でちょこっと出てきて・調べて・そのまんまのものが108個もあってびっくりしました、
それらを消化しておこうとおもう
やっぱり「書かなかったことはなかったことになる」わけですよ!

さらにこれもつまり、書くことによって
「それを知らなかった」、つまりは「自分は馬鹿です」ということを開示するわけなんだけどさ
「書くとぜんぶわかる」でしょう、ほんとにね…

﹏﹏﹏

◆作品

・ラヴィ・ド・ボエーム(映画)1992年 ドラマロマンス
・アフガンハウンドの眼差し(小説)1988年 勝目梓
・スプートニクの恋人(小説)1999年 村上春樹
・三十の反撃(本)2021年 ソンウォンピョン
・愛という名の支配(本) 田嶋陽子
・誰もいない海(歌) トワ・エ・モア
・お盆の弟(映画)2015年 ドラマ
・君の瞳はダイヤモンド(歌)松田聖子
・運動靴と赤い金魚(映画)1997年 子供向けドラマ
・マイ・ネーム・イズ・ジョー(映画)1998年
・アムス→シベリア(映画)1988年
・ドラドラ子猫とチャカチャカ娘(アニメ)1970年
・ブルックリン横丁(映画)1945年 エリア・カザン
・こころの処方箋(本)河合隼雄

﹏﹏﹏

◆人

・藤谷治(小説家)
・西加奈子(小説家)
・磯田光一(文芸評論家)
・山内マリコ(小説家)
・小左誠一郎(アーティスト)ZINEがすてき

﹏﹏﹏

◆草花の名前

・フィカス スウィートハート
・ピレア カディエレイ
・シンフォリカルポス
・サンシュユ("ゆ"で終わる言葉)

﹏﹏﹏

◆かわいいおいしい

・種嘉商店の種実もなか
・マルミツウェブストアは陶器がかわいい(https://www.marumitsu.jp/webstore/
・音楽も聴けるレコードのお皿かわいい(https://peopleap2.tokyo
・Lund Londonの水筒かわいい

﹏﹏﹏

◆意味

・マントラ(मन्त्र Mantra) - サンスクリットで、本来的には「文字」「言葉」を意味する。
・回り持ち - めぐりめぐって自分のものになる。
・刀子匠(タオツチャン) - ちんちん切る人
・いわでものこと - 言わなくてよいこと、むしろ言わない方がよいこと、余計な一言、を意味する表現。
・腐す(くさす) - 悪意を持って悪く表する
・ルサンチマン - 恨み。弱者が強者に対して憤り、怨恨、憎悪、非難の感情を持つこと。何回きいても覚えられない
・蹂躙(じゅうりん) - ふみにじること。暴力的に侵すこと。
・くんずほぐれつ - 取っ組みあったり離れたりして激しく争うさま。
・左前になる - 経済状態が悪くなる、落ち目になる、物事が順調にいかなくなる
・鷹揚(おうよう)な - 何事も恐れずに悠然としていること。心に余裕があり、小さなことにこだわらないこと。
・手前勝手 = 自分勝手
・ナラティブ - 「物語」「話術」「語り」といった意味を持つ言葉で、臨床心理や医療、教育やビジネスなど幅広い分野で使用されています。
・ミカサスカサ - スペイン語でMI CASA SU CASA と書きます。 MI=私 CASA=家 SU=あなた、「あなたのお家のようにお過ごしください」と言う意味。
・レキシントン・コンコードの戦い - 1775年アメリカ独立戦争の開始点となった戦闘。
・手管(てくだ) - 人を騙す手段、特に遊女などが客をたらしこむ手際。
・モルック - フィンランドの投擲(とうてき)競技
・化城宝処の譬え(けじょうほうしょのたとえ) - 何度読んでもしっくりこない
・ブータンの国王の名前 - Jigme khesar namgyel wangchuck ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク
・他者からの期待を受けることで学習や作業などの成果を出すことができる効果のこと - ピグマリオン効果
・僥倖(ぎょうこう) - 偶然に得るしあわせ。カイジによく出てくる
・想像するだに = 想像することさえ
・傅かれる(かしずかれる) - 部下などが自分のために一生懸命働いてくれること。
・「むすっ」の語源 - ?
・殊勝(しゅしょう) - ひじょうに立派なこと。 格別。 景色などがすばらしいこと。 また、そのさま。
・膠(にべ)もない - そっけない、愛想がない。この場合の「膠」は、ニベ科の魚の鰾(うきぶくろ)を原料にして作られた膠(にかわ)のことで、粘り気の比喩。
・暗澹(あんたん) - 見通しが立たず、希望が持てないさま。
・サリーとアン課題 - 誤信念、他者理解の心理検査
・ライマンの法則 - 「すでに濁音を含む語では連濁が起こらない」という一般化

「のべつ幕なし」と「十把一絡げ」と「物見遊山」は出過ぎた

﹏﹏﹏

◆場所

・きっづ光科学館ふぉとん(奈良県)
・宿泊型児童館 星の子館(兵庫・姫路)
・ホテル夜間飛行(廃墟)
・シャルルペローの白いチャペル(大阪・茨木)
今年の手帳が見開いて机に置いてある状態で読むなといわれても

♡゜・。。・゜☆゜・。。・゜♡

💭日々のメモ

・歯医者さん、周りの話と自分の記憶の限りだけど
女の子は断然平気で男の子は怖がる傾向にあるの、
フェラするのと関係あるのかな
(口の中に異物を入れられることに違和感があるかないか)


・「こどもらしいひらがなの書き方」っていうのは
左手で書くとか一部を反転させてみるとかそういうことじゃなくて、
とにかく書き順をめちゃくちゃにすることがキモなのだなと


・ひらがなつながりの話
私は小さい頃「え」というひらがなに最後まで苦手意識があって、
どのへんが?というと、左下の突き当たりで
一度通った線をもう一度なぞって戻らなければならないのが
なんで!?意味がわからない!と若干怒りを覚えていたからです


16Personalities 診断、「主人公(ENFJ)」でした
100人に2人のレアなんだって、向いてる職業が全然ちがう!
(B.A.B.Yスタッフ・サラちゃんは、はあ〜!?あなたが人を導くのに長けていると!?とおもうとおもう😂)



この図だけでいくと「擁護者(ISFJ)」になるんだけどなー、
自分が思っている自己分析と、自分が思うことを選択した結果の分析では
後者のほうが正しい判断そうですけど

♡゜・。。・゜☆゜・。。・゜♡

✍🏻下書きアーカイブ

まとめてみたら、なにゆえ下書きなのかよくわかりました
まとめるに足らない 口にしなければ「呪文」にはならない
(消えちゃった絵の迷いのBlogの断片が残ってたのは吉なのか)







♡゜・。。・゜☆゜・。。・゜♡

🐋今年もかわいいたんぶらコーナー

若くないので同じ話を何度でもしますが
Tumblrは「引き算」の練習にうってつけです
みんなでもうちょっと盛り上がりませんか














♡゜・。。・゜☆゜・。。・゜♡

🌿アボガド日記

を、書きたかったんだけどものすごく長くなりそうなので
(2019に種から芽吹いて、剪定と〜植え替えと〜みたいなレポート)
次の機会を待つとして

アイビーをちょっと切って水挿ししておくと
12月でも、3週間ほどでこれぐらい根が成長することに感動したんです、



それを土に植えて、また伸びてきているのを切って挿す、がいま3サイクル目です、
『ベルリンうわの空』だっけ、
にんじんの切れ端を水につけて葉が育つのを楽しむような人に、
といったようなキャッチコピーがついていたのは…
それを思い出す



.



引っ越してきたての時、
ドクダミ(ちょう厄介、根絶できないよね!わかるひといますか🌱)と
中途半端な玉石だらけだった野良の玄関を、とりあえず上写真の状態にして
いまはアイビーの一択に減らし(下写真)、
ブロック壁部分をぜんぶ這わせてグリーンフェンスに!というのを夢見て成長管理中です🌿

壁に付くアイビーの根の、ぶちぶちととっかかりを剥いでいく感覚は虫の足に似ているなと思う、
あの家の外壁のカメムシ、園の天井のオニヤンマ
それぞれもう死骸となって1年以上そこから動かないけれど
彼らは知らずのうち根を這っていたりするのだろうか?

.

暖かくなったら、野良で見つけた
タチバナモドキ・ギンモクセイ・ノブドウを挿し技しよう(自分用のメモ)
夏にアジサイの挿し技も2つほど成功してるんだけど無事冬越しできるかなあ!

植物はトライアンドエラーが比較的容易なことと、
その手軽さにも関わらず「他者とは思い通りにはいかない」という
当たり前の重さを学べるのですばらしいとおもう、
あとは待つこととか見極めの感覚が育つ気がします


いまの職に就いてなかったら修復師いいなー、なんていつかゆってたけど
模写もロクにできない人間に務まることじゃないなと思うので
さいきんはお花屋さんいいなって目移りしています、
ポタジェみたいなところに1日いれるならそれだけで時が経つのを忘れられる、

ただ圧倒的に分母が多くて(おしゃれ植物と暮らしてますみたいなインスタグラマーの多さ)、
その中で突出したり何か他とは違う、ってするのはむずかしいね
ただ愛を持って育てればいいだけの気もしますけど
(たやすいはずだ、愛すればいい、みたいね 関白宣言)


子育てとか結婚とか日記とかの、何がよいとかおもしろいとかいうのは
今まで見ていた世界がまったく違う視点から見えるようになる、
広がる、という点に尽きると思うんだけど
近年植物に興味を持ちだした私はえらく大変なことになっている、

あっちの山を見ても生えてて こっちの街を見ても生えてて
いろんなお家の、何をどれくらいの量育てているか、
手入れの頻度は、鉢の種類はプラか陶器か、
とか見ているだけでもほんとうに尽きない、

野や山に生えてる植物と 流通している植物はどう違うのか
(そのへんに生えている草でも鉢に入れたららしくなるのではないのか)、
落葉するものと常緑樹の違いは、寒さや暑さに強い植物の理由は、
シンボルツリーとして選ばれる木は何故シンボルツリーたるものなのか、
とかとか、そういうちょっとした「なぜ」を知りたい、

♡゜・。。・゜☆゜・。。・゜♡

📚本の近況



-『高校生と考える日本の論点 2020-2030』新時代の文学と人間 / 藤谷治

私はいかんせん読むという行為とは、みたいなところを気にしがち


今年一おもしろかった本は『高校生と考える21世紀の論点』です、
直近だから印象に残ってるだけかもしれないけど、ほうぼうのプロの話をわかりやすく得られる

それでわかったことは、こういった「大衆の前で何かを導ける人」は
自分のしてきたことやそれにより得た経験談だけではそれっぽくなるもののいささかだめで、
ちゃんと「時代背景」をわかっていないとだめなのだということ、
つまりわたしもちゃんと勉強しますと思った、ぬいぐるみの起源とかね


この『高校生と考える〜』シリーズ、毎年出ているんだけど
私が読んだのは上2作の直近2年のもの、
それ以前も興味深いゲストが多いけれど
本(情報)はナマモノなので
3年前ともなるともうとうに鮮度を失っているのでこれ以上追っても無駄かもなあと、
(こういった類の本に限ってはね)



ぴったりの時期に、と思ってあっためてた『冬の本』
わかりますかね 堀込の 高樹の文字
これに寄稿している中でこの人の興味あるなという人、だれでもふたりはいるとおもう


わたしすごい本読んでるふうに見えるんですけどふうなだけで
図書館の期限の2週間に1-3冊のペースで月に多くても4冊くらいなので安心してください(誰が?笑)、
SNSの向こう側なんてそんなものですよ

♡゜・。。・゜☆゜・。。・゜♡

🎀子のはなし

娘が、袖がひっくり返って中に入っちゃっててなくなったパジャマを
「オオカミさんに食べられちゃってるぅ(´・.・`。)」と表現したことを
かわいいな〜と素直に思うと同時に
なぜ童話などの悪役はオオカミと相場が決まっているのか?というのが素朴な疑問

クマの方が、いまもなおそばにいる圧倒的脅威じゃないか?と思うんですけど
なぜ彼は愛されるフォルムを獲得したのかを知りたい(ほらだから、テディベアの発祥を)



オオカミつながりで、asahiさんのこちらとてもすきだったのでみてみてください

そんな娘ちゃんも、気づけば3才になりました🎉
息子もまもなく6才です、来春から小学校だよ


2022も あいもかわらずこのようなとりとめのなさを引き続いていくと思います、
よろしくお願いします


✍🏻前回の終わりの別例
I will meet you in the middle on this unique and beautiful price. We just love it. You will too.
この1ヶ月とちょっとの 〜曜日



月曜日

.

わたしはある作家さんの、
作り続けるということがどれほどの意味を持つのか、という点においてとても救われたから
誰か(自分)が発信、作品を制作することで救われる誰かがいるのだと思う(思いたい)、

ただ、それは
作っていることがきちんと仕事として成り立っているからこそ通じる限定的なものなんだろうか、
つまり、プロである以上自信を持っていいというか そもそも迷う対象じゃないからだろうか、
だとしたら、仕事としていることはみんなちゃんと自分は大丈夫だと信じて続けているというのか

あの子は言葉を、あの子は絵を、それで生きていける武器に変えた
でも私はいまだにVintageのことで悩んだり迷ってばかりいるんだよ、
どういうことなんだよ

.

私の人生においては、声の高く柔らかい人は総じて毒と棘のもった言葉を使う

.

例えば、
なんの変哲もない白い石のようなもの、が、話を聞くことで
何百年も前に絶滅した種の骨のカケラだ、とかだったら価値があがります、
それとは逆に、今回の絵は自分ではとてもよく描けたなあと思っていても
いざ合評でボロクソに言われて一変とんでもなくゴミみたいに見えたりもします、

意味なんてなくても見たその瞬間に嬉しく楽しくなるものと
よくわかんなくて意味を知ってからようやく深みが増すもの、
どちらのほうが価値があるといえるのか

୨୧‥∵‥‥∵‥‥∵‥୨୧

火曜日

.

啓発本をひさしぶりに読んだらとてもしんどく感じて
何がって、要点をきちんとまとめて何度も出してくるところとかで
ぼんやりと、石田衣良さんが
「啓発本」が出てきたのってつい最近なんだよねー
と言っていたのを思い出した、
普段から本を読む習慣がある人間は自身でちゃんと拾うことができるから

「〜しない3つの方法」とか「絶対に〜な3選」とかって
とにかく手に取ってもらう・クリックさせるためのものという認識だったんだけど
ほんとうにそういう抽出をしないとわかってもらえない、が正しいのかもしれない

つまりわたしのこのブログも、読みづらさ満載なんだろうな

.

おっちょこちょい、すっからかん、ちんぷんかんぷん

〜のなになにの部分をちょっとふざけた音で記す人ってよい
(ほにゃらら なんちゃら)

.

図書館って、借りたタイトルリストを
レシートみたいなので渡されるでしょう(少なくとも京都市の図書館は)、
これって現代版「耳をすませば」だよね

たまに前の人のが隙間に挟まっていることがあって
それをどんな本かなって調べてみたりするんです(こうゆうことする人きもちわるいいなーと思いながら)、
そうすると、ちょうまじめないわゆる名作文学みたいなものと一緒に
転生ものライトノベルが出てきたりしてびっくりするんだけど
そういうものだ人っていうのは、

というのを、前回のグラデーションのくだりと似た話のひとつとして

.

自分の機嫌は自分で取れる、そうやってバランスよくしてきた、
よりどころを作るしかなかった、泣いたら大丈夫、大丈夫だから、
そっとしないでくれ、
どうか触れてくれ

.

あの夜に戻りたいなと想える過去があるんだろう、
そこにいつも君はいない、
もちろんこれから先もずっといない

.

好きな苗字
橘もしくは立花、椎名、桐のつく桐山桐谷桐島片桐

୨୧‥∵‥‥∵‥‥∵‥୨୧

水曜日

.

ワクチンの副反応がひどく、39.0の体温の中ふらふらでお迎えに向かう

無理してもできることなんだったら「自分」でやることこそ美徳、とされてきた環境で育ったので
つい今でも、車出してほしいな の一言で解決することを、
自転車で1時間かかるようなところまで雨の中大荷物で行こうとしちゃったりするんだけど

やっぱりこれは間違っていると思う、
しんどいときに助けを求めないほうがかっこいいだなんて

滲む涙を風にのせて振り払う

.

意識が朦朧としているなかせめて
寝ているだけの1日にしたくない、そうだ映画を観よう、
と選んだのが『ブルース・ブラザーズ』なの、
我ながらまるでセンスがないと思った(案の定30分経ったところでダウンした)

.

みんななんでそんなに祝日をありがたがるんだろう、仕事したすぎる
4日行って3日休むとか、真ん中の水曜で一旦休むみたいのサイコー!とききますけど
それでは集中力発揮できなくて大したもの作れないんじゃないかなと思う

1ヶ月を、20走って10休む、これでも5走って2休むと合計数は大体一緒、
ってラーメンズ小林さん(また小林さんかいな)がいってたよな、
くらいがいいな

好きだけじゃやっていけないよ、じゃなくて
好きじゃなければやっていけない、でありますように

.

トラウマってあるでしょう、
でもそれって大概が突発的な出来事?
映画のワンシーンだったり事故的に見てしまった画像だったりするでしょう、
(いやでも精神的にくる長期戦なものは当てはまらないか/ここでは経験によるものは置いといて)
トラウマの本(文章のみの)ってあんまりないなー、と思って。
文字というものはやっぱり自分から取りに行かないと絶対に進まないから
そういうのが自動的に、本能的に?避けられるんでしょうか

わかんない、ないのはわたしだけかもしれない 適当なことを言った

୨୧‥∵‥‥∵‥‥∵‥୨୧

木曜日

.

フレグランスの瓶 茶色 なぜ

.

好きな人に対しては少しの無理をしてでも合わせるものだから、
つまり好きな人ではないと言われているわけだった
.


やっぱり「コンセプト」は本当に心の底からそう思っていますという気持ちなんてウソだと信じてしまう

.

スカート澤部さんの結婚が素敵だしお腹が空いたけど何も食べたくないしもっと本を読む時間が欲しいし早く夜が明けたならあのお花屋さんに行きたいし買い付けはいつだって心理戦、

情緒がブンブン

.

いまサワガニを4匹飼っているんですけど、
捕まえたときから片目がない子のウンチの量が他のだれよりも毎日すごくて、
ハサミが片方ない子もいるんだけど、その子はいたって普通なので、なんだろう、
「視覚が足りないというのは他よりもよっぽどエネルギーを使うこと」なのか そうでないのか どうなのか?
というのをぐるぐる考えている
答えはカニにならないかぎり出ませんが

୨୧‥∵‥‥∵‥‥∵‥୨୧

金曜日

.

写真を撮る人が本を出している(文章がうまい)パターンが多いのなんだろう、
自身と向かい合っているから?対話を止めないからかな、
これは絵を描く人は文字も素敵、という一見近しいパターンよりも多いような気がするよ

私のブログはTumblrのガチ勢ほど小説家のようになれず
noteほど流行りやバズりを気にせず
まちがいなく自分の城だけど人に見られている前提で書いているふしがあってよくわからなくなる、

そしてひとつ、比べて気付いたことは
私はずいぶんと誰かや何かを好きだったり恋をしている感情によって文を書いている(書きたくなる)のだな、ということ

.

文字が誤解を生みやすいのは自分の解釈が混じる(通している)からだろうなあと
人が絵本の読み聞かせで私と全然違う抑揚で話していたりするのを見ていて思う
メールだと怒ってるみたいにも捉えられるから電話がいいってそういうことじゃないの、

.

ヤフオクにそれはそれは立派なおしゃれ植物の数々がまとめて1円で出ていて
「勝手に庭から引っこ抜いてください」と書いてあったのよかったな

୨୧‥∵‥‥∵‥‥∵‥୨୧



-『高校生と考える21世紀の論点』科学とはなにか?/ 仲野徹

୨୧‥∵‥‥∵‥‥∵‥୨୧



unpisさんの展示、柊有花さんの展示
ちょっと前の自分だったら見過ごしていたこと

とりあえず、普段やらないことにトライしたり(結果できなくてもそういう姿勢をもったり)
ずっと気になってたお店の扉を開けてみたり
人から聞いたオススメをすぐその日に試したり
ひたすらインプットするのがしっくりきている、

そのうち絵を再開したくなる時期がくるだろうと見計らっている
生に触れられるうちに触れる
2021/10/8
間違えて別の文を上書き保存してしまって元の日記は消えちゃったよ、そんなこともあるよ(タイトルだけはそのままだよ)
描くことを悩んでいたわたし、さようなら


今きちんと、この人がたしかに、死んでいます、という瞬間に立ち会ってしまった、
私たちはあまりにもフィクションで人が死にすぎた

これがふとしたとき、特に気持ちがゆるんだときに
頭の中に、スキマを埋めるかのように流れてくるのだった
日に日にその回数や時間は減っているけれどゼロにはならなくて
あーこれは何年経っても何十年たっても居座ってるやつだ、と今から覚悟している

似たような引き出しを他にもいくつか持っているので
完全に消せないことはわかっている、
(100が0になったようにみせかけることができるだけで まず100を50に減らすことはできない)
なのでうまい付き合い方を考えることが最善手

私は絶対鑑識で吐いちゃうモブ

.

ハッシュ関数(最近知った言葉)

.

「親」ってなんですか、「子」ってなんですかと
意味の説明を求められた場合、あなたは何と答えますか

私は、親は〜〜…子を導くもの手本となるもの、
いやいや、子を守るもの?
みたいな意味かと思ってたんですけど、辞書曰く

親:子を生んだ人。
子:親から生まれたもの。

ですって、
自分のバイアスのかかり方が恥ずかしくなるほどのシンプルさ 実に単純
でもほんと、親の役割なんてこれだけでいいのかもしれない


子だけ「人」じゃなくて「もの」なところが気になるところですけど

.

セックスレスを題材とした漫画が増えているものの
(私が見つけた限りでは)すべて女性目線からしか描かれてないのは、
女性が、挿れられる側じゃなくて挿れる側の身体の構造だったら
性犯罪の数とかもまた全然違った、
この世はだいたい男女の比率は半々で、
一般的に男性の方が、力が強いのと挿れるものがついているので、
人類の半分は本気出せば犯せるってことなんですよね、
ということがつまりの真髄なのかなーと思うなど

.

毎年、季節の花をだいたい2-3種類育ててみて
(この夏はハツユキソウとキンギョソウとアジサイがメインです)
屋内向きだけど屋外でもイケるとか、枯れてもわりとすぐ復活するとか、特徴を肌で感じて覚えていけば
10年後には100種類ちかい花を細かく把握できているってことなのかなと思うと楽しみなんだ、
毎日筋トレするとか毎月1つは作品を作るとかよりも今の私にとってしっくりくる長い投資

.

オリジナルグッズ、
メッセージカードにもなりうる付箋みたいなのと、栞が欲しい
あとタトゥーシールもおねがい

୨୧‥∵‥‥∵‥‥∵‥୨୧

寝かしつけのあと、
仕事からヘトヘトご帰宅でようやくの自由時間を謳歌する夫がちっともかまってくれないので、
好物のカヌレを片手に カブトムシの足が虫かごを擦る音をききながら
ソファで本を読みふけるのが基本的な夜の過ごし方になりつつあります、
えーんばーか 夫のばーか

さいきんとにかく隙あらば本に手を伸ばしてる、
このブログもその備忘録的なのになってきています(前からそうだけど)
私は顔立ちはおろか基本の皮膚の状態すら人並み以下だし
これといった特技もなく自己肯定力の低さだけがとりえなので
せめてどうにかなりそうな、知識くらいは詰め込んでおきたいのだ、

なんていうのは嘘です、
単純に本っておもしろ~いって気持ちなだけ

.

"恋愛の初めの頃は、いつも全部がきらきらしていて楽しい。それが長続きしないことは、もうよく知っていた。高校生の時に初めての彼氏ができて、朝起きて歯を磨いている時も数学の授業を受けている時も、部活の後でTシャツを脱ぎ捨ててエイト·フォーを体にふりかけている時も、カエルの鳴き声がうるさい田んぼ道を自転車で走っている時も、頭の中は全部その人のことだった。テストの時に早く解けて時間が余ったら、問題用紙の余白にその人の好きなところを簡条書きにして書いてしまうほどだった。

大学受験を機にとっくに別れていたその人のことは、年々美しい思い出になっていった。最初の数年は「もし今再会したら」という妄想付きの思い出し方だったけど、次第にどこかで生きて元気で幸せでいてくれたらいいな、という達観した親愛になり、それものちの数年間で綺麗さっぱり消え去っていった。今では顔も声もはっきりと思い出せない。実家に残っているプリクラに写った顔は思い出せるけど、彼がわたしと二人きりの時にどんな表情をしていたか、どんな声で、わたしたちだけの特別な言語で話をしていたか、それを思い出すととはできない。今もまあ元気だといいなと思うけど、幸せでいてほしいなんて思えるほどの気持ちの強さはもうない。なんていうか、遠すぎて、どうでもいい。大学生の時に付き合った人も社会人になってから付き合った人も、別れた後は、みんながみんなそうなった。

それは本当の恋じゃないからだよ、と恋愛真っ最中で頭がおかしくなっている友だちに言われたことがある。いつか消えてなくなってしまう気持ちは、本当の恋じゃないからだよって。

それじゃああの、言葉どおり命を削るような感情は。
頭の中から四六時中どうしたって消えなくて支配されてるみたいな、でもそれが痺れるくらい気持ちいい、あの熱情は。"


- 高瀬隼子『犬のかたちをしているもの』

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山崎ナオコーラさんの『肉体のジェンダーを笑うな』を読んでわかったのは、
自分はSFならそれなりに振り切っているものがすきで、
現実と同じ設定の日常に当たり前のような顔してちょこちょこ流れ込んでくるのは苦手だということ
(たぶん、柔軟性がないのでストレスになる)

さっちゃん(@nekogkaburii)の股が光るやつはすきだったんだけどな、と思い出したけど
あらためて読み返したらこれはハナからSFか〜

(それにしても「股が光るやつ」っていう認識の仕方の雑さに我ながらあきれた、さっちゃんごめんなさい)

.

先程の『肉体の〜』含め、朝井リョウさんの『スター』もなんだけど
いまこの、2021年以内に読んでおかないと意味をなさなくなる本だなーとおもいました、
(だって今『インストール』とか読んでも絶対そんなにピンとこないでしょ)
あらすじを言うと、
「新人の登竜門となる映画祭でグランプリを受賞した尚吾と紘。ふたりは大学卒業後、名監督への弟子入りとYouTubeでの発信という真逆の道を選ぶ。受賞歴、再生回数、完成度、利益、受け手の反応──プロとアマチュアの境界線なき今、作品の質や価値は、何をもって測られるのか。新時代のスターは誰だ。」

もうこれ本気で全日本人に読んでほしいー!
今の時代に作品を作るという上での、この考え方や意見を共有していきたいー!


と、丸投げるしかできず
自分の言葉で説明しなおせない(しなおさないんじゃなくて)あたりがよくない、とても

(ちょっと違うかもだけど、)
私は起こったことでも自分の気持ちでも好きな作品などでも
相手にわかるように物事を「話して」伝えることがてんでダメで、
文字にすると、自分でもああこう思っていたのか!とか
ようやく自分の考えとしてモノにできた!っていうところがあって、
これは長年ブログを書いてきたゆえについたダメな癖なのかもなあと

(あれ、この話ならちゃんとここでは伝えられてないとおかしいんですけど!ちょっとどころか全然違う!笑)



.



前の日記でも話してたように、
そこそこの仕上がりのものを世に放つことにずっと違和感を感じてたんだけど綺麗な答えをいただきました、
"すぐに忘れられてしまうとしても、せめて、そのときの自分にとっての100点のものを世に出そう"
って考えで間違いはないんだな、


『重版出来!』でも似たこと説いてたの思い出した…

"そもそも、一作で多様性描こうとしてる人多すぎじゃない?多様性って一人でやるもんでも一作でやるもんでもなくてさ、同時代に色んな人がいて色んな作品があること、じゃん。色んな極端が同時にあるっていう状態が"多様性"なわけで、私たちは一つの極端でしかないわけじゃん。そんなの当たり前だったはずなのに、そこがごちゃ混ぜになってる感じない?今って。(中略)
壁ドンばっかりだからってクオリティが低いわけじゃないし、アイドルだからって演技がひどいわけでもないじゃん。(中略)バーンって突き進んでみれば意外とそれでいいかもしれないのに、全方向に対して"大丈夫ですよ〜あなたの生きづらさもナデナデしてあげますよ〜社会がよい方向に変わる答えが描かれてますからね〜"みたいな空気のものばっかりだよね、特にあんたたちの世代が創るものって。"


これもなんて的を射ているのか
小説家っていろんな意見を登場人物に託せて
その中に自分の本音も混ぜられるんだろうからおもしろそうだな

.

引き続き、ナオコーラさんの
『ブスの自信の持ち方』も読んだんですけど
これもみなさんぜひ読んでください…笑
特に『第五回 恋愛』の項目で、
モテるとか人に好かれるとかの全ての真理をものにしているので…



そしてこの作品も(も?)先程のとおりの
"みんなナデナデ感"すごかったんだよな、
ちょっとしたことで炎上する悲しい世の中だ

習って私も、自分のことはどうあれ
好きな人には好きと本人に直接伝えていこうと思うよ、
それがリプライなりDMなりで簡単にできる素敵な世の中だ

東京でのPOP UP SHOPの日にちですが、
6/5(Sat)で決定です!

うれしい原宿〜渋谷界隈です🏙
時間はまだ決めかねているのですが、
午前中に搬入&その日の夜20:00までに完全搬出なので
そんなに長くないと思います🙇‍♂️ごめんなさい

日曜も開催したかったのだけどね、
子どもたちがいるのでどうしても日のうちには帰らないと
月に夫は仕事なのにどうするんだー!になるのです…(ọ̶̶̷̥᷅ωọ̶̶̷̥᷅)੭ु⁾⁾
一緒に東京連れてくことも考えたのですけど、
やっぱりまだまだ怖いんだもの😷

またまとまり次第、じゅんぐりに発表していきますね。
あと、来週にまた新商品入荷する予定です🍼💓

୨୧‥∵‥‥∵‥‥∵‥୨୧‥∵‥‥∵‥‥∵‥୨୧

いつまでもおぼつかない日記✍🏻

⭐️

睦月

.

過去のブログ(主に2012-2015)、
どうにかしようと思って掘り起こしてみたら
当時のわたしもジャガイモを茹でるのがとても下手でわらいました
少し読むだけで、やたら絵に対してコンプレックス持っていることが鼻についた
日記というのは、必ず恥ずかしくなるものだから
いまこのこれだって数年後に見たらギャーってなってるんでしょ、

.

令和のデジタルあふれる時代に
マウスで作画してるのってどうなの、
20年ちかく前とやってるツールが変わらないとは

ペンタブが壊れてる、ずっと
液タブにかけられるほどのお金も情熱もなくて
一体なにがしたいんだろうなー、とおもう

.


3枚で褒める花占い、いぬさんにやってもらったの

"「チューブローズ」「リンゴの花」が外に見せている姿。
好奇心を持って知性の冒険をし、対象に光を当てる人です。
けっこう際どいことを言っても不思議な清潔感があって、人からはリスペクトされやすいようです。
中性的な魅力もあります。

芯になっているのは「ハルシャギク」。
楽しみを見出す才能です。
どんな環境においても心を色褪せさせることなく、面白いことを見つける眼差しを持っています。 "


.

息子が5歳になりました、おめでとうおめでとう
4歳を超えると子育てがグンとラクになるとよくいいますが
あれは多分、ひとりの人間としている感が増して楽しいからかなとおもう
車に乗っても童謡をかける必要がなくなるというんですか、
「付き合ってあげる」ものが減っていくからでしょうか

さいきんの彼は、
リュックにすみっこぐらしのキーホルダーをぶらさげて
すみっこぐらしのマフラーを巻いてお出かけして
夜は、すみっこぐらしのパジャマを着てすみっこぐらしの枕を敷き
お誕生日プレゼントに選んだすみっこぐらしのぬいぐるみを抱いて眠ります🌜(とかげちゃん)

あいかわらず乗り物も大好きなので
お絵かき上でよくコラボしてるけれど


(HINOのトラックのHマーク わかるかなあ🚛)
すみっこたち、たまらなくないですか
わたしはきみの描く絵がほんとうにすきだ


そして、わたしが仕入れる洋楽に律儀にハマってくれます、単純にうれしいな
(そいえば2歳前にも、Jersey Boysのサントラかけてたら
後日いきなり歌い出したりしてそのまま長いことハマって踊ってたな…
って当時のBlogに書いてたな…総じて英語がすきなのかな)


あんまり好きすぎてついに日本語ふりがなもつけたのは
Unknown Mortal OrchestraのHonnyBee🐝

(とはいえ、まだひらがなをスラスラ読めるわけじゃないから
ほとんど意味をなしてなくて、どちらかというとわたし用)

⭐️

如月

.

好きな芸能人のとある写真と同じ構図同じ服で写真を撮るとか
都内に住むとか、
やってみたらどうってことないこと、面倒な作業のようなもの?
当たり前になる可能性を秘めているものこそ
「憧れ」というものの本質なのかなー、などと
今年からやってきた石油ストーブにシュポシュポ給油しながら思う、
この景色も冬の風物詩として甲斐甲斐しく映るのかもしれないが
やってる本人とやってるいまはそう思えないように

.

澤部さんの日記を見つけて
前々から知っていたこの人の魅力をもう少し正しく知ったかんじがした(これくらいの更新頻度、望ましい)
言葉の連なりはただそれだけれどほんとうに人を表すので
もうすこし身につけていきたいんだけどなあ
話すよりも書くが好きだけれど好きなだけでわりと読むしか向いてないわたし、
同じ「言葉」なのに、自分のものとして扱うのってなんてむずかしんだろ

⭐️

弥生

・このところの音楽の好き
Joan Mayer、Bluno Major、Sun Rai、Hall & Oates、HONNE、Dent May
…やっぱり全部男性なんですが

・マインドフルネスが少しずつうまくなった
(「僕が僕であるためのパラダイムシフト」の影響で/アンガーマネジメントも本格的にしたい)

・2週間に1冊本を読む
(図書館という他者の返してね圧力があるから積読にならずよい)

・5年ぶりぐらいに(ハイライトでだけど)ブリーチ&ピンクヘアに
(やっぱり毎日のテンションが全然ちがう!)

・いよいよ肩が壊れてしまって人生初の整骨院&日々ストレッチ
(お客様が教えてくださったMarina Takewakiさんのストレッチ動画、とにかく種類が多くて
じっくりやりたいときもパパっとしたいときにも向いててすばらしい…こどもたちと毎晩やってます(* ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾)

・好きなラジオ番組がこの春で2つも終了しちゃうので死んでいる
(しかも1つは泰行さん。えー!泰行さんだよ!泰行さん!むり、)

・ついに電動自転車を買いました、すべてにおいてもはや中古車じゃーんっていう!
わかってたけど、わかってたんだけど、生活レベルの底上げをすると元に戻れないね…
(YOUTUBEプレミアムもRadikoプレミアムも、ものすごくそれ)

これまた息子が 昨日描いてきた、
娘、わたし、息子でさあ保育園に出発だ〜!の絵🚲

きゃわゆっ

少し先に行っててもいいけどある程度のところで待っていてね必ず

どこでもかしこでも
今年1年はあっという間でしたねえもう12月なの12月も終わるねえ早いねえ
っていうつまらないやりとりをお約束のように


今年はどんな年だったろうかな、
振り返れば(といっても大人なので直近3ケ月くらいが「今年」として凝縮されてしまう気がするね)
とりあえず通して厄年らしさがあったけれど
スローペースながら基盤を崩さず、逆を言えば派手なことはせず
あとは泰行さんだなーって、これは万年か

.

B.A.B.Yも3年目になりました、そうかあ…
(一応お誕生日は初めてのPOP UP初日の2018/8/1ということにしています)
来年はそういうときのノベルティを忘れないとか、
細やかな気遣いに もうちょっとがんばりましょう の判子押す

.

ここに書いたことはだいたい叶えている気がする、
(”人に見てもらう”っていうのは目標を達成する上で重要な役割ということなの?)

さいきんまた「マヌさんの文章がすきです💕」って言ってもらえることが多くてうれしい、
ブログは出来事や事実の記録ではなく思考の備忘録というか
このときこんなことを思った、のメモがほとんどを占めるけれど
(これこそがネットとかTwitterの個人における正しい使い方のよに思ってるんだけど)

なんでも、反応がもらえると次もやろうって思えるのが人間なので
すきとか楽しいはぜひ伝えてください、ぜひぜひ

.

歳の取り方をブログの更新頻度ではかる女です
中学高校のときは毎日、大学社会人で月2-3、いまは月1だもんねえ…
それにしても過去のブログ(はなしてもみたの)をどうしようか~って
ずっと宙ぶらりんのまま、今後も引き続きの課題

.

何度だっていうけれどTumblr復活したのがひそかに癒し(でもずっとアイコンが変えられないのは何故)
あそこは全てを肯定する海
Tumblrやってるひとみんながみんな、自分のTumblrが
どこの誰のよりも最高って思ってるのがいい、ってゆうけどほんとうにそう
オンナノコシリーズ終わったらイラストTumblrの方もあげてないの含めまとめときたいーな(メモ)
あとはなにを血迷ったのかLINEスタンプのいまさら第2段、案だけ出してる

.

ラジオ歴15年くらいになるけれど(うちにはテレビがありません)
はじめてお便りが採用されました、ありがとうnever young beach🏝

それで知ったのは、歓喜と動揺によりその日1日なんにも手につかなくなるということ

.

あとねー岡田斗司夫さんの配信がおもしろい、本当におもしろい…時間が許すなら永遠に見ていたい
コレクターからセレクターになる(メモ)

.

年納めなのでTwitterの下書きでも成仏させておこうよね✍🏻
(ブログすきなひとぜひこっちのマヌもよろしくね)




୨୧‥∵‥‥∵‥‥∵‥୨୧

とりあえずこのお正月はおもちを食べたいです、って12月はじめからずっと思っている
きなこのてんさい糖のやつ
舌をざらざらさせて猫ごっこ


2021✍🏻
・もう少し本を読む(自分の思考感情の言語化の手がかり、手助けのため)
・東京いく(POP UPできるかなあジャンクショーの危うさよ)
・コンポスト作る(早ければ早いほどよいはず)

あとは恋とかしたいよね、恋とか…(訳:泰行さんに会いたい)

仕事においてはオリジナルアイテムに力を入れたいです、宣言
出産祝いのギフトセットをね、作りたいの
¥3,000-¥5,000くらいの、
かわいーい箱に入れて素敵なリボンをかけたやつ…🎀
それとアルファベット/あいうえお表とトイトレごほうびシート…
つまりは初心にかえってこどものためにもうちょっと何か。

1月の入荷は15日あたりにできたらよいなと思っています、
もうちょっと後ろに下がる可能性もあるけれど…
(ってここでゆって伝えるべく人に伝わるのか)

新年のHAPPY BAG、楽しみにしてます!
って言葉をあちこちからいただいたけれど
クリスマス企画と月届きカレンダーにてお許し願います、
それも含めてのオリジナル〜なんだよ!
福袋って「最低でもこれは入ってます」のこれが
統一されていないといけないものだとおもうから

そして来年のクリスマスはハンドメイドのオーナメントを出そうとおもうよ🎄
ここでゆったからね、ゆったからにはね…叶えようよね

୨୧‥∵‥‥∵‥‥∵‥୨୧

人を喜ばずためにはどうしたって無駄が出てしまう、

その代表的な例の、かわいいラッピングだって
うれしい!という感情を作る任務が終われば
(言い方が悪いけれど)ゴミになってしまう、

地球に優しいギフト、にするにはどうすればいいんだろう
日本はそのへんだいぶ遅れているというけれど
それに配送中に破損する心配なくブランドイメージも壊さない梱包、って本当に難しい、、

オリジナルに力をいれたいなと思いつつここで葛藤する
新たに物を作るということは消費に呑まれるってこと?

(活躍している若い子らはよく
「消費されないようにする」って言うけれど
水曜どうでしょうでうれしーが
「新しいことをやらないから僕らは古くならない」
ってゆってたのと なんとなくだけど繋がるのね、
それでいうとVintageって多分「消費される側」に回るリスクは少ないんだろうなあ、
わたしは「消費しない側」になりたいよ
自分の言葉でいいかえれば「ヒマつぶしとして流さず自分の血肉に還元する」ってところだよ)

作りたいなーの想いを形にするために、その気持ち以外のどれだけに配慮できるか


いつかに、Vintageを販売している時点でエコだよねって声をかけてもらったけれど
ただただかわいー!と感じて自然と続けていたことで
そういう考えがストンと欠落していたもので鳩の豆鉄砲、
でもアメリカから、っていう時点で
飛行機によるフードマイレージのよな環境破壊が避けられないのよね
となると日本の骨董が最強なのか、、

多分このことはどうがんばっても解決できないから
『長く愛する』という点に重きを置いていけたらいいのでは
長く愛してもらえるように、メンテナンス(汚れを落としたり修理)したり
時代に合わせ(リペイントしてお客様の好みに合わせたり今っぽくし)たり、

とりあえず現時点では
「30年ちかく前のものを、次の30年につなげられたらよしとする」
ということでいいんじゃないかな

かといって上記のこともいつかは突破口が、と心の隅で考えておきたい
いろんなことが勉強不足でくやしい

୨୧‥∵‥‥∵‥‥∵‥୨୧

クリーニング紹介はドヤ(うちのはすごく綺麗にしてますぜ)ってアピールしたいわけじゃなくて
ただたんたんと、当たり前のことを当たり前にやっているってだけで
綺麗にしてるからえらいとかそれによる魂胆とかがあるわけじゃなくって

少なくとも、誰かに何か言われたくてやってることじゃない、
受け取った人が喜んで欲しいのもあるけど
そういう「他者を想ったとみせかけてのエゴ満たし」に似たのとも違う気がする

以下、似たような話とみせかけて全然似てない話なんですけど
こどもに、遊んだあとに片付けをするとか着替えを自分で選ぶとか、
そういった当たり前のことに
「えらいね!」「すごいね!」と声かけしていると
思春期で伸び悩むそうなので
「ありがとう」と「がんばったね」で返すように、とのこと
(こういう知識ばっかり持ち合わせているなあわたし…)

୨୧‥∵‥‥∵‥‥∵‥୨୧

タトゥーを入れたとしてそれが好きじゃなくなったらどうするのなんてゆう人いるけれど、
それでこそナマモノっぽくて最高というかそここそが真髄じゃないのですか
(加護とか誓いみたいなのはもちろんとして)、
知らない人へも日記を晒して歩いているような

ちなみにわたしは入れたいモチーフが
ツイストマシュマロもしくはリボン(bowじゃなくてribbon)、からクマへとゆるやかに移動してきている
入れたいところも腰骨からうなじか手首がいいなあなどと

୨୧‥∵‥‥∵‥‥∵‥୨୧

恋のライバルでもなんでもいいんだけど
私のほうが好きに決まっている!!とか
おんなじよなこと考えてたけど私のほうがもっといいもの作れる!!
って思ってるうちは絶対に負けてるんだよねえ
実際に手を動かしたもの勝ちというか、
そんなことゆってるんならおんなじことをしてみなさいよっておもう、
(おんなじようなことじゃなくておんなじこと)
絶対に負けるので

たいていの場合、クオリティよりもフットワークが勝つんだよ

୨୧‥∵‥‥∵‥‥∵‥୨୧


「ゆきのひ」(かこさとし作/1967年)を
こどもたちに読んでいるとき、
いまの日本の政治の中枢を担ってるのは
ここに広がる景色や時代を若く生きたひとたちということになり、
そういう人たちの思い描くよい社会、と
今の人たちが望む社会、にはズレが生じて当たり前なのではないかと
選挙権、上限が60歳くらいまでになってくれないかなあ…(なんて、炎上しそうなことを)

おんなじよに、昔の文献や名作が思い描いた未来は
だいたいが今(2020年あたり)であり、
その後はほとんど破滅しかないじゃないですか
(手塚治虫さんの火の鳥とか、ちょっとちがうけど湯浅さんのカイバとか)
地球、巡ったりするのかなあ

いま私たちが恐竜の絵本を読んでるみたいに
「そのむかし、にんげんという生き物がいました」
って読み聞かせられてる図をぼんやりと、
でもしばしば想像してしまう
どうして絶滅したの?のところになんて書かれるんだろう
そこにはどうしても”愚かな”って言葉が含まれそうなんだけど

୨୧‥∵‥‥∵‥‥∵‥୨୧

お風呂遊びの最中、息子がコップに水を含ませ
「こーひーおかいどくですよう!1円ですよう!」
「でもこっちのこーひーはねえ200万円!」という、
200万円のコーヒーなんて存在するのかな、と笑ったけれど☕️

そうなの、物の価値には限界がある
でも極限まで引き出すとするなら、
言い換えれば?「このコーヒーを200万円で販売してください」と言われたらどう手を打つか、ですが、
「嵐のメンバーがあなたのために淹れてくれる」となったら
雰囲気のある個室で恋人同士みたいに松潤が香り高きコピ・ルアクを淹れてくれたとしましたら
そこまで出す人がいなくもない(と思える)じゃないですか

結局、物そのものではなくて人が価値になる、
価値の底上げを図れるのは人の存在だけ、ということ?
今でいうインスタグラマーじゃないけれど、
誰が売ってるか、はとても重要であるということ
同じ物だとしても同じ値段だとしても、
並んで正規で買ったのか、転売ヤーから買ったのかが
ある程度モノをいうのも少し似ている…?
出会い系だって顔出ししてる人とそうでない人とでは稼ぎに差がでるじゃないですか、
「相手が見えるやりとり」の重要性…?

別に、そのために「アイコンになって動画配信で商品紹介」とかするわけじゃないけれど
B.A.B.Yももうちょっとその辺ふまえてがんばらないといけないのか〜なんて思ったりした次第

୨୧‥∵‥‥∵‥‥∵‥୨୧

(とってつけたよになってしまうけれど)
こんなわたしですが、来年もどうかよろしくお願いいたします、
ありがとうありがとう

私、ラジオに関しては"尻軽ラジオ男"(どこにでも出る)としてやらせていただいているんですけれども、
1回も行ったことないラジオ局があって。ラジオNIKKEIだけ行ったことがなかったの。
番組的にあまり出るような内容のものがないので…競馬とか、
日経新聞ということもあってお金関係…投資家の方が番組の方がやってたりとか。
だからなかなか縁がないな!って思ってたんですけど。

でもついに、先々週ラジオNIKKEIの番組に出させてもらったんです。
それは、小塚さんってゆう普段は競馬の実況をやられている方が
30分番組を持たれていて、そこのゲストの依頼が来たんですよね。
で、スケジュール組んでいるときにどうしようかな〜と思ったんですけど、
「ラジオNIKKEI」って書いてあったんで。

えっ行ったことな〜い♪
行きたーい🎶

ってことで行ってきたんですけど。笑

当日にいって、結構びっくりしたのが
新番組の初回のゲストだったの。
で、なんで!?と思って。
小塚アナって私の10歳ぐらい上で、
ハロプロオタク(共通点)の方ではあったんですけども。

蓋を開けてみると、小塚アナが、っていうよりは
ディレクターやっている女性の方が
私の本を読んでくれていてオファーをしてくれた、っていうことだったんですよ。
なんかそういうのがすごい久しぶりだったの。その〜なんて言うの、
「私を本を読んでくれていた人がそういうメディアの仕事をしててオファーをしていただく」
ということがすごい久しぶりで。

でもなんか、なんて言うのかな…
多分これからそういうこと、こういう仕組みが増えていく中で
頑張っていかないといけないんだよなー…って思ったんですけど。


ー それはどういう気持ちなの?嬉しいの?

例えばこれまでは、何か本が映像化したりとかするときって
「すごい本が売れて、ベストセラーになって、テレビ局がお金も出して、大型の作品ができる!」
みたいな感じのが結構セオリーだったのよ。
だから"本もベストセラーを生みましょう"っていうのがなんかまぁ、今も当然それはあるけど、
たくさん売れて、それによって読者がたくさんいるから、
映画にしても人がたくさん来てくれるだろうから映画にしましょう、
みたいな感じの流れのやつが多かったんだけど。
今って結構、その、別に部数関係なく「監督がすごいこの本が好き!」みたいな。
「この人の原作ものだったらこの監督だよね」みたいなのがある人もいるし。

ほんとこの5、6年でさあ…

『一人ひとりの愛♡』

みたいなのが、

すごい!!!!!
大事!!!!??

って思いません!!??


ー 振られた!😂

ラジオもさあ…ちょっと真面目な話になっっちゃってアレですけど、
私いろんなラジオ番組を聴くんですけど。
その中で今、「GERA放送局」ってゆう
アプリでやってる…ラジオ局をアプリがやってるところがあって、
で、なんかそこは、間違ってたら申し訳ないんですけど
その中で番組を持ってるパーソナリティがいるじゃないですか。
ニッポン放送とかは例えば、ニッポン放送全体に、広告を打つために
企業の人がお金を払って。まあテレビなんかもそうじゃん!
…なんだけど、そのGERA放送局ってアプリで各番組配信してて、
番組ごとにCM権みたいなのを確か売ってるのかな?web上で。
で、それを個人でも買えるし。だから支援してもらうと。直接個人で。
みたいなので番組が成り立ってたりとか。

それで前に私、
「ミュージックビデオとかも自分のチームで撮りますってバンド怖い」
って話してたじゃないですか。でもそれももうこの話でさ、
「おっきい組織がドーンと売り出すとか、お金かけてドンとやる!」
みたいなのから、本当になんかこう
「ひとりの作り手の愛」…みたいなので。

「私はこの人とやりたいんです!」
みたいなことの方が、目に入ってくるんだよなあ〜。
「小さいチーム制でもうやりたいことをやっていく」みたいな。

ー 変わっていくよね。
あとやっぱりなんだろ、私たちを知ってくださってる世代の人たちが、
どんどんこの仕事のデイレクターさん(えらいポジション)になってきてたりとか。
今まで、10代の後半とか20代のあたまぐらいのときは
自分と同世代のスタッフさん見つけるのめっちゃ難しかった!全然いないな〜って。
でも最近は自分も30ぐらいになってきたからいらっしゃってさ、
「世代でした!」「聴いてました」「一緒にお仕事したかったんです」とか言われるとさ、
ほんとうにまさに一人の愛でさ、決まることとかあるじゃん!いろいろ。


そう、だから、すごい「通知表じゃん!」と思ったの。
私は果たして、出版社に入ってくる子たち…21.2歳の子が入ってきたときに、
誰か好きな人に依頼していいよ、って言われたときに、

!?!?!?選ばれるの!?!?!?

と思って。
それをすごい思った。

本当に多分これから、
どんどんちっちゃいチーム制になってく気がするから、

誰かの〜
心に〜〜
刺さらなきゃ〜〜〜

と思ったんです〜。

今までは「小説の新人賞受賞作!」とか「直木賞」もそうだけど
大きい文脈を打ちだそうと多分出版社もしてたし、
最終的に何かそういう、大きい文脈を手に入れることができたら本も売れるかもしれないし、
とかいうことがあったけど、どんどん物差しが変わってきたなって…。

ー 個人の力がどんどん強くなってきているってことなんじゃないの?

そうそう、だから私は危篤定義の側だなって思うの、いつも淘汰される方だって思うの。
歴史ある賞の受賞者の方ですよね〜?みたいな。
その「昔からある文脈の中でこの人はどういう人なのか」みたいな打ち出され方をしてきたから、
そういうのが全然関係ない世代の子達が
自由に自分の好きな小説家を選んでいいよ、って言われたときに

え〜〜!?
いける〜〜〜!???

って思ってすごいドキドキしたっていうのがありました、、
がんばっていかないとね。

.

ー いや〜深い話になりましたね

「深い」ってすぐ使うのやめよう?

ー深いよ!

やめて!笑 あの私ほんと、いろんなラジオ聞いてて
「あ〜この話深いですね」っていうの聞いた瞬間に
「浅い!!!」って思ってる。深い禁止〜深い禁止にします!


ー 笑 じゃあ他の言い方なに〜?

「深い」を別の言葉で!自分の言葉でちゃんと言おう。
深いは不快なので…(つまんないですね…)
これはちょっと偏見かもしれないけれど、若いアイドルの方のラジオに多いので…「深い」ってすぐ言う人が!
そこを別の言葉で言ったらそれだけで「あっ!」て思いますから聴いてる人は。


でも変わってくな〜って思ったのがさ、また重い話続きますけど…
「ファッションが、ファッション業界が店舗を持たなくなっていくんじゃないか」
みたいなに言われてるじゃないですか。


ー あ〜でも今本当に増えてますよね!

だからそれってつまり言い換えると
"在庫ありきの売り方が厳しい"ってことだよね、
いろんなことが変わっていく中で…。

在庫ありきの商売ってファッションの他にもまだあって、
本もなのね。

本当に、置いてあることが大事なの、本って。
置いてあるじゃん、絶対に。書店に行ったら。
それが凄い大事だったんだけど、それが厳しくなるってなったら
「ついでに見つかる」とかがなくなってさ。
本当に私も「初めから知ってる人」にしか…。

例えば、webで直接売りますとかになったときに、
はじめから知ってる人にしか知ってもらえないし、
かといってすごいたくさん宣伝費とかを割いてもらえるわけではないから…
全部ファンクラブ化していくのは…それはそれでどうなのって思うところがあるわけですよ。
読み手(受け手)もさ、新しい出会いがなくなってくるよね、とも思うし、
あんまり強固な繋がりすぎてもちょっと怖くない?
ちょっと依存…共依存ぽくなっていくのでは?みたいな。
書き手も読み手(ファンだけ)に向けて書いちゃったりとか…。


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2020.08.23 / 高橋みなみと朝井リョウ「ヨブンのこと」抜粋

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唐突に紹介をすみませんね、ものすごく刺さったので(自分の言葉でいえてない笑)
B.A.B.Yもまさにこれなんだもん、前半も後半も

わたしは誰かにたくさんある中から選ばれることができるのか、
ついでに見つからない状態でどこまで外を意識して動いていけるのか


前に「神は分散化した」ってゆう話をしたんですけど(このとき
なーんかそれと似たような匂いがするんだ、この話は

今って誰でも何かになれる時代じゃないですか、
スナップされるためにとびきりの格好して街中をウロウロしなくても
自分で自分の見せたいように全世界に発信できるってゆう。
ゆえにそれっぽいとか、ある程度のもの、でも
認められてしまうということではあるんだけど…
(夫が「広告が挟まるのはまだ許せるんだけど、
大手会社の洗礼されたやつじゃなくて、どこぞの馬の骨が作ったような
素人丸出しの見難いのが流れてくるのがイライラの原因だよね」とゆってた)

私、ハンドメイドを一時期ストップしていたことがあるんですけど
「私が作らなくても誰かが作ってくれるから」と思ったからなんだよな、
ちょっと違うやつ、ほんのちょっとの隙間隙間にも
それぞれちゃんと担い手がいるじゃないですか、
音楽も漫画もかわいいものも、楽しいものすべてに。

ひとむかし前は「趣味はなんですか?」と尋ねれば
「音楽鑑賞」「映画鑑賞」「人間観察」がテンプレートすぎたけど、
今って「普段どんな音楽聴いてるの?」にしたって
返ってくる答えが「それ知ってる〜!」とか「私も好き!」になる確率って
馬券が当たるより低いのではないだろうか、

溢れかえってて、それぞれの好きにピンポイントで突き刺さる分
共有するという刺激?喜びみたいなところからは
かけ離れちゃったんだなあって。
人気お笑い番組の翌日は見ていないと
学校で話題に取り残される、みたいな景色が無くなったかわり…

これは悪いことであり、いいことでもある、つまり良い悪いとかではなく
2020年はそういう楽しみ方なのだよ、ってくくりでしかないんだけど


あと!「神は分散化した」話に戻ると(戻るな〜)

「鬼滅の刃」と「約束のネバーランド」と「Dr.STONE」
途中で止まっていたのを2年越しに読了したんです
(Dr.はまだ連載中だけど)📚よっ少年ジャンプ

それたちにも時代がものすごく反映されていて、
ドラゴンボールの悟空みたいな、
圧倒的超人!がアイコンとしているわけではなくて

「個々が個々の長所を磨いてゆけばよい」
「足りない部分はできる人に補ってもらえばよい」

という考え方の元で構成されているなと…💭

なんでもできるカリスマになる必要はなくて、
特化した何かひとつがあればそれが十分武器になるのよっていう。
人気作=みんながそう思っているというしるし、時代の流れ。

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おまけ


VintageのBaby Cardに書いてあったすてき文字✍🏻
『稲川淳二 字』でも検索してみてくださいときめきますので…
・染め上がってしまった愛は 色褪せてゆくだけなのか

・喜びはいつだって痛みのあとに訪れるもの

・悪いことは重なるなあ 苦しい日々は続くのだ

・空想もいつか見慣れた景色へと変わる

・ミスをしても気にすんな 後悔だけはしなさんな

・大人なんだお互いさまでいこうぜ、君のせいさ なんてほど坊やじゃないんでね
 子供だってな譲れないものは違うさ、君のせいだ なんてほど愛してたんだが



サブスクリプション(Apple Music、Spotifyなど)の何が違和感なんだろう
なんで食わず嫌いみたいになっちゃってるんだろう、と思ってたら

“皆に追いつく為だけに音楽を聞いているから最近つまんないんだなって気がついた。
楽しむというより消費している感じがすごく寂しい
/知る楽しみよりも、知らない恐怖に駆られて曲を聴いていますから”


という意見を読んでなるほどな、と思った、
家電など、最新のものを手に入れた瞬間に古くなる、
それに縛られ追われる生活になるというのはなんだったっけか、
科学や技術というのは、豊かになるというのは
結論そういうわけなのですか

あと「生活」とは「元に戻す行為」だ 、
っていうのがここ数年でずっと張り付いてて
お皿を洗うのも、掃除をするのも、保育園への送り迎えも
平たくしていけば「元に戻して」いますよね、毎日毎日

そんななか仕事だけはできるだけ戻らなければいいなとおもう、
少しずつでもよいのでよくみると進んでる、そんな風であれたら そうでなければ

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強く想っていることほどしれっと叶うから結局のところ思いの強さは関係なくて反応の瞬発力がすべて、
みたいなところがあるな

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ブログをこの、Shopに付随しているものではなくて
どこか外部リンクに過去のものも含めてまとめようかなーと思いつつずっと足踏み状態
note流行ってるけどまたこれも5年くらいですたれちゃうのかなあ、
すべてサービスの上でしか成り立てれない悲しさよ

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人は自分の生まれた年代のものを愛する傾向があるのだそうです、
わたし88年生まれなのでものすごい説得力!と信じ切っているのですが

先日の入荷の際ちょこっと書いたけれど
ゼロ年代ですら、20年前なので
Vintageの定義には当てはまるのだなあと
(と思って調べたらVintageとは製造年から30年~99年らしいけど)

マイリトルポニーのG3は現行品の感覚なんだけど…(とはいえ2003〜2009)
もうすこしアップデートしていかないと

決して「この年代のものだから好き」っていうことじゃなくって
「好きだなあと思う子がこの年代に多い」ではあるけれどね、
重要なのは情報じゃない

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4年ぶりにリブログするようになったTumblrも続いてあっというまに8ヶ月

眺めていて思うのは、
人気のあるアカウントのあらかたは"希望に向かう光"か、
"闇、故に輝く光(死を伴う光)"のどちらかに分けられるということだ

そのハイブリットであれたらな(ずるい)

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息子4歳が阪急電車を大好きでですね、
基地から車両を運び出すためのクレーンが
動いている間中鳴っている音楽(おそらく起動してますよってゆう事故防止)が
ラーメンズ(大好き)の『プーチンとマーチン』のフレーズなの、
これはロシア民謡の『カチューシャ』なのだと知る

先の瞬発力の話と似てるけど違う話の例として

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B.A.B.Yオリジナルのぬいぐるみのタグ、
ついに最初に注文していた300枚がなくなって追加の発注をした
2年のうちに多少の誤差はあれど300体をだれかの元に届けられたのね、わたし

もの(動物)の数え方は最後に残るもので決まっているんだって
牛や豚は一頭、鳥は一羽、魚は一尾…
(そして人の数え方は「一名」、人が死んだ時に残るものは「名前」だということ)

ぬいぐるみって 体 だけど
優 とかにしてはもらえないか