終わることのない雨・7月の日記たち

(5月・6月の日記たちも近日整理して公開します)

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息子の先天性の手術、
無事に終わり退院しています。
(よく尋ねられたのですが期間中
ずっと付き添い入院をしていました)
明らかに症状が改善しました、
完治まではもう1ヶ月ほどかかりますが
ゆるやかに終わりに向かって歩いていけてます

初めはただ、お休みをいただくために
長くなるので理由も述べた方がよいかな、と
思って書いたことに
いやでもなんか同情ひいてるみたい?と
自己嫌悪に陥ったりもしましたが、
みなさんとても気にかけてくださって
優しいお声かけをいただいて
その温かさに涙がいっぱい出てきたりして、
これまで、ほとんどひとりでこのことを抱えていたので
思った以上に自分のダメージが大きかったことに
やっと気がつけました、みんなのおかげで
本当にありがとうございました。

こういうことがあるたび
たくさんの柔らかな人に支えられて生きている、
ということを再確認する、
そして自分の大事な拠り所なのだということも
つらいときにはつらいって言っていいし
頼っていいんだってみんなが教えてくえた、

お客様だけどお客様じゃなくって、大事な人なんです
だから、私からもあなたに何かあったときに駆けつけれたら

♡⌒*:゚⌒*:゚⌒*:゚⌒*:゚⌒*:゚⌒*:゚♡

(入院中の日記✍🏻)


検診のときからやたらと
好きなキャラクターは何、ときかれていたのだけど
手術室の廊下から大手術室までの短い道のりに
ヘンゼルとグレーテルもびっくりの間隔で
そのキャラクターが貼られていたり、
いざ部屋に入ったときに陽気な子供向けの音楽が
大音量でかかっていたりした、

それに対して息子は、
「騒がしい、止めてほしい」と冷静に言った、
その反応はごく当たり前だ、と思う

見たことのない格好をした大人たちや器具が並ぶ中、
少しでも好きなもので安心させたい
拠り所を用意しているつもりなのだろうが、
病院側のそういった気づかいだとわかりきってはいるのだが、
わざとらしすぎて頬を引きつらせることしかないなと思った、

結局、世界を取り繕ろうことは嫌悪でしかないんだな
それは4歳の息子でも容易にわかる違和感なんだよなあと

私はいつもお子様ランチの存在の意味がよくわからない、
○ヶ月検診などで某パンの顔のヒーローの切り絵を
あちらこちらに貼ってあるのも今回の件とまさにおなじだけれど、
これたちは”コドモにはこうしておけばいい”ってゆう大人の惰性でしかないからだ、
不特定多数にはくくらざるをえないのかもしれないけれど

1歳半の娘でも、もうたいていのことは
自ら自分のことを話すことは難しくとも
こちらが話せばきちんと理解をしている
つまりはどんな小さな子でもひとりの人ですよ、ってこと

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入院用の個室に時計がないな、とつぶやいたら
何やらカキカキし始めて
ハサミ貸して!と熱心にチョキチョキ✂️
それを壁に、切るのがまだへたっぴなのでやたらとはみ出したテープでとめて
「これでおかあさん、なんじかわかるね!」とにっこり
かわいいねえありがとう



2日目の朝、わたしは簡易ベッドだったので
ちょっと疲れちゃったな、と言うと
「そういうときはぼくのベッドにきていいんだよ、となりにいれてあげる!」
と無理のひとつもしていないよという顔と口調で誘ってくれたので
結局退院のその日までずっと甘えさせていただきました

そういえば5月のおわりに
いきなり一人称がぼく、になってしまった
当日はまだ名前とぼく、が半々だったのに
翌日には8割ぼくでその翌日にはもうぼくしかいなかった、
へーこの感覚はきっと身長を追い越されたときとかに味わうやつだ、と思った

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術後に麻酔がまだ切れていない中エレベーターで見た伸びる足
ああもうこんなに大きくなったんだなー、と感じるのはいつも足

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子育てのなにが大変か?ってゆうと
始まりと終わりの時間が明確じゃない点が
大いにものをゆってるのでは、とおもいます
3:00-5:00まで泣きますねって言われたらずいぶん違うでしょうよ、
わからないことに対応していく力、
つまりは期待しない、適当に構える
これがなかなか難しいのよね

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好きな人、守りたい人が病気や手術をする際に
『代わってあげたい』という表現をよく言いますけど。
私はかつては 夢みがちなものを作っておきながら
いやに現実的な意見を言う、でおなじみだったので(ので?)
どうしてこうなった、よりも
起こったことは変えられないので次回からはこうしましょう、
はいではこれからどうしていくのが最前でしょう、
の考え方にすぐシフトチェンジできる
ゆえに繰り返すってゆうダメなオプションもついてきがちなんだけど(反省が足りない、、)

これはアメリカに買い付けに行った際に
廃車になるほどの交通事故をしたときの教訓が大きい🚗

それまでは、悲しいことがあると悲劇のヒロインになり
もうだめだって数日後もびーびーゆってるような性格だったので
部屋の隅で火の玉飛んでるみたいなのでだいぶウザかったのですが
「そうしたところで壊れた車は戻らないから
さっさと当初の予定どおり友達と遊園地にいってきなさい」と
車の貸主に言われて従ったら 本当に その通りだったのだ🎡

(事故るレベルのことをしないと学ばないのかって呆れるけど。
あとは歳とってただ合理的になってきてるだけなのかもしれない)
日本人(というくくりにしてはダメなんだけど)は
原因にこだわりすぎるなあとおもう

それに、手術中って映画ドラマみたいに
外の椅子でうつむいたりウロウロしてるのかと思ったら
戻ってくるまでに済ませておくべきこと、がたくさんすぎで
気持ちの切り替えをせざるを得なかった、ウケた

慰めも、乗り越える取っ掛かりとしていくぶん必要だけれど
本当にやるべきことは何かを知れ、というはなし

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「子供の言うことだから嘘かもしれないし」ってセリフは
大体漫画で見かけるけれどこんな悲しいことはない、
こっちがこういう姿勢でいるから
それが真実になってしまうのだ(子供に嘘をつかれるのだ)と思う、

どこの、何科の病院でも 大概の場合、
息子が「痛い」と訴えると
「痛くない痛くない」と返されるのはなに、
痛いから痛いと伝えているのにそうじゃないわけなかろうよ

あとは経験で「これなら痛くないだろう」と試された方法に対し
「痛い」というと「そんなわけない」と返ってくる、
決まってそれは自信に満ち溢れているゆえのまばゆい声
ですから、経験と統計ではなく"目の前の人"を見て欲しいのだけどな

泣いてる子に「泣かない泣かない」も逆効果だし、
男の子だから強いうんぬんも最悪手だとおもう、
ただ医者や看護師は保育士ではないからね
そこまで求めるのは違うんですよ、わかってます
わかってはいるのですが

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給湯室へ向かう廊下で6人部屋の名前を眺めるのが日課になっていた
並ぶ 繁さん 重さん 茂さん
ずいぶんとしげったお部屋だこと

雄や男がつくのも、子がつくのも廃れていっているのは
(いや今また日本古来の!な名前が盛り返しつつはあるから廃れてなどないのだけど)
ジェンダーの垣根がなくなってるということとなにか関係があるのかな、

男も女も使える名前、と聞かれて
私が真っ先にこれ!と挙げるのはカオルです

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高木正勝さんの『こといづ』を早々に読了、もっと本持ってくればよかった
私は彼の作品も外見も知らず
「大学のときの友達がとても崇拝していた人」
という認識しかしてません、読み終えたいまも…

泰行さんも多分誰かにとってこれなんですけど

♡⌒*:゚⌒*:゚⌒*:゚⌒*:゚⌒*:゚⌒*:゚♡


6月に発送されたものの、
アメリカ国内でずいぶんくすぶっていた荷物が
1ヶ月以上の時を経てようやく手元に到着しました!₊˚‧(๑σ̴̶̷̥́ oσ̴̶̷̀)·˚₊

追跡自体はできていたものの本当に動きがなくて
(COVID-19の影響です、通常であれば1週間ほどです)
このまま紛失したらどうしよう…とか
(アメリカの郵便局はまあ問い合わせたところで動いてくれないので)
保管中盗難にあったら、気温で腐ったらカビたら、
虫がたまごを生みつけていたら、
とか気が気じゃありませんでした🐝

そんなふうに毎日少しずつ精神を削られつつも、
到着したらしたで、今度は
「破損」や「欠品」という敵と
必ずといっていいほど対峙しなくてはならなくて
今回もまあそいつらが大いにやってきました☠️アー
割れ物がひとつもなかった!ってゆうの、7回中1回くらいです。。
それくらいいろいろ、犠牲(?)にして成り立っています実は

B.A.B.Yに並べられるまでに、あなたの手元にゆくまでに
果てしない偶然が重なってるんだよね🎀
何十年もの時を経て、違う国の人のもとへってゆうのも
十分奇跡なんだけど。

「無事」ってゆうのは本当にすごいや

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仕事が好きなことなのにどうしてつらいんだろうと思ってもよいのだと
好きな人でも時には喧嘩して嫌いになることもあるのだと
それらは相手が変わらずとも自分の状態によることも多いのだと

何をされても大丈夫、という場合はやっぱり片思いであり憧れなんだろうな、
嫌いより無関心がいちばんつらいというせりふ、なつかしい
夏木マリさんの『鎮静剤』思い出した(この歌 鎮静剤ってゆうのか・知らなかった)

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立場を盾にした甘えた発言しかできていない自覚をしましょう

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誰しにもあるとおもう
「あーもう私の伝えたいこと全部この人が最高の形でやってしまってる!」ってゆうの、
私にとっては、エストニアのアニメーションの巨匠・
プリートパルン(Priit Pärn)氏の『HOTEL E』なの。

エストニアが旧ソ連から再独立した翌年に作られた作品で
共産主義と資本主義、いわゆる"戦争"を描いていたはず、
あんまり衝撃すきで当時数回観て以来、怖くて見れてない 10年くらい
ものすごく心がぞわぞわしたのでもう1度そのぞわぞわに耐えられる心がもはや存在しない
(30分ほどの短編アニメーションでVimeoやニコニコでもすぐ観れるので興味のある方は🔍)

こういうのはいつまでも答え合わせをしないほうがよいことも知っていて
このときの橋本治さんのくだりにまさに反してるんだけど)

SF作家・星新一さんの、何という作品タイトルか忘れたけれど
”ガラスでできたとても綺麗な薔薇を大切にしているB子に嫉妬したA子が、
ある日事故を装ってその薔薇を割ってしまう、
泣いているB子を慰めつつも内心喜んでいるA子に、
違うのよ、あれは割った人が不幸になる花だから大切にするほかなかったの”
的なことを言う物語があるのですけど

その、物語の締めの文章の、
「その後鳴った電話は、彼女にとって悲しい知らせを告げ始めた」
ってゆう表現が好きすぎてずっとずっとずーっと持ってる、最高
なにが、って 彼女にとってのみ悲しいところが最高

でもこれも、細部どころか
ニュアンスすら若干違くなっている自信がある(たしか小学生の頃に読んだので)
けど、自分の中で大切にしてしまうとその誤解こそが拠り所になる、
旅の醍醐味は適切なガイドよりも何も知らず誤解することなんだって、
こといづでゆってたよ(早速)

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自分のことを本当に嫌いな人はこどもを生まないはず、という結論にしばらく前から至ってて、
私に子がいるということは
自己肯定は最底辺だけれど好きか嫌いかだと少なからず好きなのだという事実になる、悲しい

子供は親の所有物じゃないというのに顔とか傾向とか似ちゃうから勘違いしちゃうんだよね、
なんでこんな面倒な設計にされてるんだろう

あと子供ができるのは神秘でもなんでもなくて
最高の親の勝手だ、というある書記がいまのところいちばんしっくりきている
神聖化するのは国として都合がいいからということも

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多面性
↑ってメモだけしておいたんだけど何を書きたかったのか忘れた、雑すぎる

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娘、カタツムリのことをどんなに教えても「ぽーぽーぴぴ」と呼ぶ、
私が彼女と同じ年頃のときは「たたちょもり」だったそうだけど
それどころの騒ぎじゃない

🐌 👈 ぽーぽーぴぴ

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さいきんのお気に入り▶️


すべてにおいて痺れるのでぜひ
こういうのをギーク感という、らしい(ということであっていますか)

またひとつ賢くなりたいな