鉄は熱いうちに冷め
2年間通いつめた場所からいなくなった日、聴きたくなったのは金延幸子さんの『空はふきげん』だった
どうせわたしのことだから「さぁこれからどこへ行こう」とゆう歌詞に身を委ねたかっただけだろう、
さようならもいわずにいきなりいなくなる判断はまちがっていなかったはず、
そんな人もいたねえくらいの温度を紡いで、惜しまれることに美を見出さず
知れば知るほどいままでの人生を恥じることになるのが果たして幸せか?
ちゃんとそのときは全力で生きていたんだよってゆえば許されるような話だろうか

例えば、仕事で取り返しのつかないことをしてしまったとします
なにかをやらかしても許されるような立場を築くこと、を優先していたら、
ほんとうにダメなときになんにも立ち上がれなくて
どんどん嫌われてゆく気がする、思い上がりを正してゆくべきだとゆうことにようやく気がついている、
叱られたときに、その物事に対してのみの注意と、今後は気を付けるように、の、とても正しいそれだけで終わるのに
自分自身が「そんなだからお前はダメ」ってまるごと人格否定をしてくる罪が、いつまでも離れないのね
.
例えば、受験日当日まであと何日、がもうすぐだとします
いまの自分で確保できる時間をできるだけ勉強にあてても、たしかには身に付いてくれなくて、ちいかわのハチワレくんみたいにどんどん先に行く周りだよ、
梅毒の問題に対してウシジマくんのいちばんはじめじゃん、とゆうのにも「なんとマヌらしい」と笑ってくれるのはいいとして
大学受験で決してうまくいかなかったことがずっとずっと重たい石、落ちたら、またしても「やっぱりお前はダメなんだ」ってあきれるんだろう、
受かっても、褒めることなく「ここからだからな」ってゆうんだろう、
こみ上げてくる涙を溜めて 自転車をこいで いつどのあたりでこぼれるだろうか、と遊んだりする
わたしはよく泣くから、泣きそうな人がいれば、その顔を見ればすぐ気がつける
どちらかとゆうと、そっとしておかれるより声をかけてもらいたいことも知っている
(そしてそれは、できれば自分から「悲しいからなぐさめてください」って近づけることのほうがかわいいはずだ、ということも、だ)
くしゃくしゃになった心の中で、社会人として揉まれたての頃に、たまたま帰りの電車で少し話した見知らぬとあるホテルの料理長のおじさんことをなぜか思い出す、
その人が今も変わらず健康に生きていてそれなりにしあわせだったらいいと願ったりする、
身近なだれかにとってはもしかしたら嫌う上司かもしれないとゆうのに、人は遠くの記憶にしかない顔も名前もわからない誰かを想ったりする余裕はあるのだ、
毎日のように好きと愛しいをもたらされたとて、それが自分がいてもいいとゆう存在価値になるにはまだ遠いらしい、
「遠い」と感じるあたり、いつかは辿り着けるものと捉えている時点でお花畑かもしれない
できるだけいつでも笑顔でいることとよく笑うこと、道すがらの挨拶や会釈をすることを忘れないことは、つまりは自分が自分の嫌いなやつにならないこと
それを守って、這った姿勢でかまわないから乗り越えること
.
「今日はなにをして遊ぼうか」に対して「共通テストの過去問を解きませんか」と誘えば
「なんでいまさら?」じゃなくって「ヨッシャやるわ」「おもしろそう」とのってくれる人たちに囲まれて生きてる、
国語の読解文が読み物としておもしろく、惚れ惚れ読んでいたら時間配分をまちがえて後半死ぬなどする、
注役に「*南天」や「*オカリナ」があって、18歳はそれすらもわからないような歳だったか、とびっくりした
シタールとかならわかる気もするのだけど、オカリナは幼稚園の頃に絵付とかしましたけど、とゆったら、出身イタリアでしたっけ、と返されて、
なんでオカリナがイタリア発祥だってそこまで知ってるんですか、逆に、と笑ったりもする
それが発展して「じゃあなにか資格試験の筆記を解いてみようよ」へと続いてゆけば、
なになに検定とか、どこどこアドバイザーみたいなのじゃなくって、3級持ってますだとむしろ持っていないほうがかっこいいようなものでもなくって、と条件が細かいんだからもう!
3人とも平等にさほど知識がないのがいいな、から行き着いた『発破技師』が興味深くて、ちょっと本気でなりたくなった
バラエティ番組とかで爆発しないといけないときに「あ、わたし発破できますよ」とかおもむろに言いたいじゃん、
おばあちゃんになってももし1回も実演することがなかったら、いっそ自分が散るのもいいんじゃないかしら(なにゆってるんだ)
でも結局、狩猟免許に「合法で銃を打ちたいやべーやつ」が集まるように「ダイナマイトを使いたいやべーやつ」にしかならない気がする
.
家のまわりに置いてある「駐停車してくれるなよな!」と大きな顔した石は『いけず石』とゆう名前だけれど、
「おうち 周り 石」などと検索たところで、よくてお庭に敷く砂利か、駐車場の縁石しか出ないのは、この世のバグのひとつだとおもう
とうもろこしを炒るとポップコーンになることも、あまりにもバグだとおもう
どうせわたしのことだから「さぁこれからどこへ行こう」とゆう歌詞に身を委ねたかっただけだろう、
さようならもいわずにいきなりいなくなる判断はまちがっていなかったはず、
そんな人もいたねえくらいの温度を紡いで、惜しまれることに美を見出さず
知れば知るほどいままでの人生を恥じることになるのが果たして幸せか?
ちゃんとそのときは全力で生きていたんだよってゆえば許されるような話だろうか

例えば、仕事で取り返しのつかないことをしてしまったとします
なにかをやらかしても許されるような立場を築くこと、を優先していたら、
ほんとうにダメなときになんにも立ち上がれなくて
どんどん嫌われてゆく気がする、思い上がりを正してゆくべきだとゆうことにようやく気がついている、
叱られたときに、その物事に対してのみの注意と、今後は気を付けるように、の、とても正しいそれだけで終わるのに
自分自身が「そんなだからお前はダメ」ってまるごと人格否定をしてくる罪が、いつまでも離れないのね
.
例えば、受験日当日まであと何日、がもうすぐだとします
いまの自分で確保できる時間をできるだけ勉強にあてても、たしかには身に付いてくれなくて、ちいかわのハチワレくんみたいにどんどん先に行く周りだよ、
梅毒の問題に対してウシジマくんのいちばんはじめじゃん、とゆうのにも「なんとマヌらしい」と笑ってくれるのはいいとして
大学受験で決してうまくいかなかったことがずっとずっと重たい石、落ちたら、またしても「やっぱりお前はダメなんだ」ってあきれるんだろう、
受かっても、褒めることなく「ここからだからな」ってゆうんだろう、
こみ上げてくる涙を溜めて 自転車をこいで いつどのあたりでこぼれるだろうか、と遊んだりする
わたしはよく泣くから、泣きそうな人がいれば、その顔を見ればすぐ気がつける
どちらかとゆうと、そっとしておかれるより声をかけてもらいたいことも知っている
(そしてそれは、できれば自分から「悲しいからなぐさめてください」って近づけることのほうがかわいいはずだ、ということも、だ)
くしゃくしゃになった心の中で、社会人として揉まれたての頃に、たまたま帰りの電車で少し話した見知らぬとあるホテルの料理長のおじさんことをなぜか思い出す、
その人が今も変わらず健康に生きていてそれなりにしあわせだったらいいと願ったりする、
身近なだれかにとってはもしかしたら嫌う上司かもしれないとゆうのに、人は遠くの記憶にしかない顔も名前もわからない誰かを想ったりする余裕はあるのだ、
毎日のように好きと愛しいをもたらされたとて、それが自分がいてもいいとゆう存在価値になるにはまだ遠いらしい、
「遠い」と感じるあたり、いつかは辿り着けるものと捉えている時点でお花畑かもしれない
できるだけいつでも笑顔でいることとよく笑うこと、道すがらの挨拶や会釈をすることを忘れないことは、つまりは自分が自分の嫌いなやつにならないこと
それを守って、這った姿勢でかまわないから乗り越えること
.
「今日はなにをして遊ぼうか」に対して「共通テストの過去問を解きませんか」と誘えば
「なんでいまさら?」じゃなくって「ヨッシャやるわ」「おもしろそう」とのってくれる人たちに囲まれて生きてる、
国語の読解文が読み物としておもしろく、惚れ惚れ読んでいたら時間配分をまちがえて後半死ぬなどする、
注役に「*南天」や「*オカリナ」があって、18歳はそれすらもわからないような歳だったか、とびっくりした
シタールとかならわかる気もするのだけど、オカリナは幼稚園の頃に絵付とかしましたけど、とゆったら、出身イタリアでしたっけ、と返されて、
なんでオカリナがイタリア発祥だってそこまで知ってるんですか、逆に、と笑ったりもする
それが発展して「じゃあなにか資格試験の筆記を解いてみようよ」へと続いてゆけば、
なになに検定とか、どこどこアドバイザーみたいなのじゃなくって、3級持ってますだとむしろ持っていないほうがかっこいいようなものでもなくって、と条件が細かいんだからもう!
3人とも平等にさほど知識がないのがいいな、から行き着いた『発破技師』が興味深くて、ちょっと本気でなりたくなった
バラエティ番組とかで爆発しないといけないときに「あ、わたし発破できますよ」とかおもむろに言いたいじゃん、
おばあちゃんになってももし1回も実演することがなかったら、いっそ自分が散るのもいいんじゃないかしら(なにゆってるんだ)
でも結局、狩猟免許に「合法で銃を打ちたいやべーやつ」が集まるように「ダイナマイトを使いたいやべーやつ」にしかならない気がする
.
家のまわりに置いてある「駐停車してくれるなよな!」と大きな顔した石は『いけず石』とゆう名前だけれど、
「おうち 周り 石」などと検索たところで、よくてお庭に敷く砂利か、駐車場の縁石しか出ないのは、この世のバグのひとつだとおもう
とうもろこしを炒るとポップコーンになることも、あまりにもバグだとおもう