立派な人間になど、なれるわけがないと

(出産・育児・性別などいろいろデリケートな話なのでどうか読み飛ばしてください、
自分はいまこういう考えを持っている、こういったことを思ったという日記やメモとしての役割が強いです
不快に思われる方もいらっしゃるかと思いますごめんなさい、明日には考えが変わっているかもしれない消すかもしれない)



5月も半ばを過ぎたけれど
新1年生の息子の、

「がっこういかないからね( ー̀□ー́ )」
「おうちにかえる!˚‧º·(˚ ˃̣̣̥᷄⌓˂̣̣̥᷅ )‧º·˚ 」
「おかあさんがいっしょじゃないとやだ!(⌯ ˘̀^˘́ ̜⌯) ︠³ ︠³」

に、ほとほと頭を悩ませる朝

これにどう返せばいいのか、わからない
否定することなく気持ちに共感する(そっか〜行きたくないんだね)、
今できていることを褒める(門まで一緒に来れたじゃん!すごいね!)
などが有効なのはわかってはいるけれど、
いざ実施しても、泣きながら上のせりふを変わらず連呼されてしまうと、
やっぱり間違いなのかなあ…有でも効でもないな、どう対応するのが正しいのか?
「じゃあ今日は学校休んでいいよ?」は寄り添いと見せかけた放棄でしょう、

いざ帰ってくると、
「授業でこんなことしたのー!」とか
「今日は◯◯くん(人の名前を覚えるのは感心するほど得意)とツツジの蜜吸って遊んだー!」
といった具合のことをたくさん具体的にお話ししてくれて
朝のあれはまぼろしかな?というくらい楽しそうだし、
明日の用意も宿題もそれなりに進んで行うので
他のママ友がよく挙げる
「学校で何をしてるのか訊いても話してくれないから全然わからない…」
といった悩みとは無縁なのはありがたいのかもしない、


私の両親は
「わたしたちの敷いたレールを走らなければ許さん、それはお前がしあわせになるための愛なんだから」
という考えの人たちだから(いわゆる毒親とはちょっと違う気はしますが?)、
中学高校はもちろん、小学生低学年のときですら
「学校にずっといたい」「家に帰りたくない」と思ってたので
息子の「学校に行きたくない」という感覚がどうしても今までの自分のままでは解決できない
(そもそも、想像力を働かせて相手側に回る努力をしなければダメなんだけど)
(私と子どもは他人なので、たとえ同じように楽しく通っていても心の中は別でしょうけど)、


秋ぐらいには慣れてくるよ、というありきたりな言葉を頼りなく励みにしているけれど
やっぱり日にち薬しかないのかな

不登校・引きこもりにはこちらがあれこれ動いたり介入する必要はなく
ただ安心して帰ってこれる温かい場所を提供しなさい、とはいいますが…

.



どこからかぼんやりと流れてきただけなので詳しくはわかっていないけれど、
これが炎上?したのかなあ、
ただ少なくとも私には、ああこれは本当にそのとおりだ、私のことだ、って衝撃を受けたんだ


私には子どもが2人いるけれど、これはただ

「卒業したら就職して、27くらいまでには結婚して寿退社して、そのうち子どもができて…兄弟も…」

みたいな、一昔前のモデルロールになんの疑いも持たずに、のうのうと生きてきたからだ
欲しいと思って授かったわけじゃなくって、好きで結ばれた男女2人が暮らしていたら
気づいたらこうなっていた、流されただけの結果なんだ

だから今、「自分より脆弱なうえに感情的で制御できない存在の世話をする」ことに疲弊しているのだ
これは結果がどうなるにせよ、自分(たち)できちんと向かいあって答えを出さなかった「罰」のようなものだと思う


"すぐ不機嫌になる人は基本甘ったれてるっていうのはすごいわかる。穏和な人って結局大人なんだなーと思う。自分の機嫌を自分でコントロールできること、不機嫌で他人をコントロールしようとしないこと。年齢関係なくそれが大人ってことなんだろう。"

"子供とは何か、という質問に答えたある人の「人を傷つけたことに気付かず、人に許されていることに気付かない段階」という答えほど完璧なものはありませんでした"


私は自分自身のことが本当に好きではなくて、
その理由の元凶は
「好きなものや趣味や夢を、ことごとく親に否定され潰されてきたので自分の選択したものには価値がないと植え付けられてきた」
からなのでは、と思うので(さっきからまあこうやってなんでも親のせいにしていればラクだよねずるいねえ)、
そんな私が子どもを持つ、ということは
「自分みたいなこどもを増やすのではないか」
「親みたいな親になってしまうのではないか」
ということと結びつくのでまあまあ悩んだ(ゆえに結婚から出産の間がそこそこひらいている)、

でも結局のこれじゃないか!


子どもができなくても、夫婦ふたりでずっと暮らしていく生き方もとても素敵だ!と心から思う、
(それに対し「子どもがいないなんて老後どうするの?」みたいなこと言う人、介護させる気満々でちょっと疑う)

なかなか授かれない…という身で、長い時間と高いお金をかけて不妊治療して
それでもダメでどんどん崩壊していく夫婦のどろどろとした漫画とか消費されているけれど、
それって本当に子どもを持ったらしあわせになれるんだっけ、既に夫婦そのものが離れているのに?
何のために子どもが欲しいんだろう、何の「ために」って利益損得?義務になっている時点でダメなような、

いや、なんだろうな、違うなあ、子供をもつことも、夫婦で生きることも、
ふたりできちんと考えて話し合って出した答えならば、
それが一般的には外れた答えだとしてもたしかなんだよ、
さっきの『たてがみを捨てたライオンたち』じゃないけどさあ、
相手は「いま」どういう考えなのかを、ちゃんと話して共有することを習慣づけること

ただこれらは?私が自然に苦労することなく子どもを授かった身、
漠然とだけれど思い描いていた通りに進んだから言えることでしかなくて
(だからほんっとうにきれいごとを言ってくれてるな!と思われてると思う、ごめんなさい)、
もしもまだ私自身、夫婦ふたりの生活だったら
同年代の友達のインスタや年賀状を見てその度に疲弊しているんだとおもう、
結局叶わなかった道を羨むしかできないのか

『この世界の片隅に』で周作さんが

「過ぎたこと、選ばんかった道、みな覚めて終わった夢と変わりゃせんな。すずさん。あんたを選んだんは、たぶんわしにとって最良の選択じゃ」

と言うシーンがあるけれど、私はここで到底敵わなくなる
私は、私の選んだことが最良の選択だなんて迷いなく言える日はきっとこない

いつかの男性は「生まれ変わっても今の妻と結婚したいけれど、生まれ変わったら結婚はしない」と言っていた、
また別の女性は「産んで後悔するより、産まないで後悔するほうが自分だけの責任で済むから」といった意味のことも


うーんとえーと、いろいろぐだぐだ話しているけれど(論点がもう…)
子どもがいる人もいない人も欲しい人もいらない人も、
決めたことならそれを尊重したいし応援します、ってことは伝えておきたい、
そして決めなかった私 選ばなかった報い



そんなまあ、さまざま思うことがあって
タイトルが刺さってしまうわけです(まだちょっと冒頭しか読めていないんですけど)、

常にこう思っているという極端な話じゃなくて
(このところ、どっちの意見も持っていていい、
それが日によって変わってもいいっていう考え方が浸透しているように思う)
子どもを持って本当によかったと思うことももちろんたくさんある、これは誓える、嘘ではない、けれど
「子どもを愛している。それでも、母ではない人生を想う。」なんだよ、なんだよなあ。



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私は子どもより自分の気持ちを優先してしまうクソみたいな親なんだ

1日中絵を描いていたいとか、読みたい本だって積読されるばかり
友だちと海外旅行に行ったり、夫と映画にも観に行きたいポップコーンを食べながら
気になってたお店にふらっと立ち寄りたい、自分の食べたいものを注文したい
配信だってリアルタイムで追いたい、仕事だってもっとやれることがある
東京に暮らし続けた生活もあったかもしれない

好きな時に好きなことをしたいという、自分を満たす欲望にまみれてばっかりだよ


ただこれは、

「お年寄りの方が来たら席を譲ろう」と思っている人と、
「は〜〜誰でもいいから殺したい〜」と思っている人、
悪なのはどちらでしょう、
答えはどちらも「思っている」だけで
実際に何か行動にうつしたわけではないので
善も悪もないです、おんなじです

といったような文章を前に読んだんだよ(ソース探したんだけどどこだっけなあ絶対Tumblrなんだけど)、
それでいうとまだ救いがある(のかな)


子が体調を崩したら仕事を休んで病院に連れて行くし、
お休みの日は公園に出かけては砂にまみれるし、
好物を作るよ、好物ならあげるよ、サンタさんにもなるよ
ほんとうに実行していることはこっちだから大丈夫だよ

でもこんなの、当たり前なんだよ
当たり前の顔してなきゃあ


(うーんきっとあれだな、進んでしていたり楽しんでいるんじゃなくって「してあげてる感」が強いからよくないのよ、
親子は上下じゃなくって、子もひとりの人間(他人)として同様にリスペクトしなければならないというのに!
「相手を楽しませたい」ことが「世話をすること」よりもどれだけ重い意味を持つか!
やはり私は親のような親にしかなれないのか もういろいろ遅いのか)

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ちょっと別の話で、
「生まれてきてくれてありがとう」という言葉にずっと違和感を覚えていたんだけど
これってオカルト的な?「子は親を選んで生まれてきたんだよ♪」みたいなのが意味として含まれるからだけではなくて、
(胎内記憶を否定はしないしそういうのも全然、自分には縁がないだけでちゃんと存在するとはわかっているんだけど)

"国は何とか少子化を食い止めようと、出産や子育てがいかに素晴らしいか、美化することに躍起になっている。子供を産めない(産まない)人たちは、「生産性がない」と切り捨てられもする。だが俺はハッキリ言う。子供を持つということは、究極の「勝手」だ。なにしろ親の一存で、一つの「命」を創り出すのだ。その親が勝手に創り出した命だからこそ、親の思う通りにはまったくならない。子育ては美化されるようあものではなく、泥臭くて生々しくて、融通の効かないことだ。「死」がコントロールできないように、「命」を作り出した結果もまた、どこに行きつくかわからない。"

『子供を殺してくださいという親たち』という漫画内の、
問題のある子どもは親の責任であるというのが本筋のコラムですが
これの指すように、親の「勝手」でしかないんだよなあと思う、
そもそもの生むのも生まないのも、何人家族にしようかーなんかも不妊治療も
結局、親側がコントロールしているところがあるじゃないですか

単純に「〜してくれて」っていう言い回しに過剰に反応しているだけかもしれない
とにかく、よく使われるしいわんとすることはわかるけど自分は使いませんね、っていう話