待てど暮らすよ

この1ヶ月とちょっとの 〜曜日



月曜日

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わたしはある作家さんの、
作り続けるということがどれほどの意味を持つのか、という点においてとても救われたから
誰か(自分)が発信、作品を制作することで救われる誰かがいるのだと思う(思いたい)、

ただ、それは
作っていることがきちんと仕事として成り立っているからこそ通じる限定的なものなんだろうか、
つまり、プロである以上自信を持っていいというか そもそも迷う対象じゃないからだろうか、
だとしたら、仕事としていることはみんなちゃんと自分は大丈夫だと信じて続けているというのか

あの子は言葉を、あの子は絵を、それで生きていける武器に変えた
でも私はいまだにVintageのことで悩んだり迷ってばかりいるんだよ、
どういうことなんだよ

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私の人生においては、声の高く柔らかい人は総じて毒と棘のもった言葉を使う

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例えば、
なんの変哲もない白い石のようなもの、が、話を聞くことで
何百年も前に絶滅した種の骨のカケラだ、とかだったら価値があがります、
それとは逆に、今回の絵は自分ではとてもよく描けたなあと思っていても
いざ合評でボロクソに言われて一変とんでもなくゴミみたいに見えたりもします、

意味なんてなくても見たその瞬間に嬉しく楽しくなるものと
よくわかんなくて意味を知ってからようやく深みが増すもの、
どちらのほうが価値があるといえるのか

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火曜日

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啓発本をひさしぶりに読んだらとてもしんどく感じて
何がって、要点をきちんとまとめて何度も出してくるところとかで
ぼんやりと、石田衣良さんが
「啓発本」が出てきたのってつい最近なんだよねー
と言っていたのを思い出した、
普段から本を読む習慣がある人間は自身でちゃんと拾うことができるから

「〜しない3つの方法」とか「絶対に〜な3選」とかって
とにかく手に取ってもらう・クリックさせるためのものという認識だったんだけど
ほんとうにそういう抽出をしないとわかってもらえない、が正しいのかもしれない

つまりわたしのこのブログも、読みづらさ満載なんだろうな

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おっちょこちょい、すっからかん、ちんぷんかんぷん

〜のなになにの部分をちょっとふざけた音で記す人ってよい
(ほにゃらら なんちゃら)

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図書館って、借りたタイトルリストを
レシートみたいなので渡されるでしょう(少なくとも京都市の図書館は)、
これって現代版「耳をすませば」だよね

たまに前の人のが隙間に挟まっていることがあって
それをどんな本かなって調べてみたりするんです(こうゆうことする人きもちわるいいなーと思いながら)、
そうすると、ちょうまじめないわゆる名作文学みたいなものと一緒に
転生ものライトノベルが出てきたりしてびっくりするんだけど
そういうものだ人っていうのは、

というのを、前回のグラデーションのくだりと似た話のひとつとして

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自分の機嫌は自分で取れる、そうやってバランスよくしてきた、
よりどころを作るしかなかった、泣いたら大丈夫、大丈夫だから、
そっとしないでくれ、
どうか触れてくれ

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あの夜に戻りたいなと想える過去があるんだろう、
そこにいつも君はいない、
もちろんこれから先もずっといない

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好きな苗字
橘もしくは立花、椎名、桐のつく桐山桐谷桐島片桐

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水曜日

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ワクチンの副反応がひどく、39.0の体温の中ふらふらでお迎えに向かう

無理してもできることなんだったら「自分」でやることこそ美徳、とされてきた環境で育ったので
つい今でも、車出してほしいな の一言で解決することを、
自転車で1時間かかるようなところまで雨の中大荷物で行こうとしちゃったりするんだけど

やっぱりこれは間違っていると思う、
しんどいときに助けを求めないほうがかっこいいだなんて

滲む涙を風にのせて振り払う

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意識が朦朧としているなかせめて
寝ているだけの1日にしたくない、そうだ映画を観よう、
と選んだのが『ブルース・ブラザーズ』なの、
我ながらまるでセンスがないと思った(案の定30分経ったところでダウンした)

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みんななんでそんなに祝日をありがたがるんだろう、仕事したすぎる
4日行って3日休むとか、真ん中の水曜で一旦休むみたいのサイコー!とききますけど
それでは集中力発揮できなくて大したもの作れないんじゃないかなと思う

1ヶ月を、20走って10休む、これでも5走って2休むと合計数は大体一緒、
ってラーメンズ小林さん(また小林さんかいな)がいってたよな、
くらいがいいな

好きだけじゃやっていけないよ、じゃなくて
好きじゃなければやっていけない、でありますように

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トラウマってあるでしょう、
でもそれって大概が突発的な出来事?
映画のワンシーンだったり事故的に見てしまった画像だったりするでしょう、
(いやでも精神的にくる長期戦なものは当てはまらないか/ここでは経験によるものは置いといて)
トラウマの本(文章のみの)ってあんまりないなー、と思って。
文字というものはやっぱり自分から取りに行かないと絶対に進まないから
そういうのが自動的に、本能的に?避けられるんでしょうか

わかんない、ないのはわたしだけかもしれない 適当なことを言った

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木曜日

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フレグランスの瓶 茶色 なぜ

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好きな人に対しては少しの無理をしてでも合わせるものだから、
つまり好きな人ではないと言われているわけだった
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やっぱり「コンセプト」は本当に心の底からそう思っていますという気持ちなんてウソだと信じてしまう

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スカート澤部さんの結婚が素敵だしお腹が空いたけど何も食べたくないしもっと本を読む時間が欲しいし早く夜が明けたならあのお花屋さんに行きたいし買い付けはいつだって心理戦、

情緒がブンブン

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いまサワガニを4匹飼っているんですけど、
捕まえたときから片目がない子のウンチの量が他のだれよりも毎日すごくて、
ハサミが片方ない子もいるんだけど、その子はいたって普通なので、なんだろう、
「視覚が足りないというのは他よりもよっぽどエネルギーを使うこと」なのか そうでないのか どうなのか?
というのをぐるぐる考えている
答えはカニにならないかぎり出ませんが

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金曜日

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写真を撮る人が本を出している(文章がうまい)パターンが多いのなんだろう、
自身と向かい合っているから?対話を止めないからかな、
これは絵を描く人は文字も素敵、という一見近しいパターンよりも多いような気がするよ

私のブログはTumblrのガチ勢ほど小説家のようになれず
noteほど流行りやバズりを気にせず
まちがいなく自分の城だけど人に見られている前提で書いているふしがあってよくわからなくなる、

そしてひとつ、比べて気付いたことは
私はずいぶんと誰かや何かを好きだったり恋をしている感情によって文を書いている(書きたくなる)のだな、ということ

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文字が誤解を生みやすいのは自分の解釈が混じる(通している)からだろうなあと
人が絵本の読み聞かせで私と全然違う抑揚で話していたりするのを見ていて思う
メールだと怒ってるみたいにも捉えられるから電話がいいってそういうことじゃないの、

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ヤフオクにそれはそれは立派なおしゃれ植物の数々がまとめて1円で出ていて
「勝手に庭から引っこ抜いてください」と書いてあったのよかったな

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-『高校生と考える21世紀の論点』科学とはなにか?/ 仲野徹

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unpisさんの展示、柊有花さんの展示
ちょっと前の自分だったら見過ごしていたこと

とりあえず、普段やらないことにトライしたり(結果できなくてもそういう姿勢をもったり)
ずっと気になってたお店の扉を開けてみたり
人から聞いたオススメをすぐその日に試したり
ひたすらインプットするのがしっくりきている、

そのうち絵を再開したくなる時期がくるだろうと見計らっている
生に触れられるうちに触れる